臆病者の答え合わせ




 ポケモンリーグから正式な依頼を受けた次の日、ソニアはホップとともにエンジンシティの駅舎にいた。
「リーグのスタッフと合流するのは昼過ぎだから、それまで時間あるね。わたしはルリナとランチの予定だけど、ホップどうする?」
 調査に必要な荷物をコインロッカーに預けて、ソニアが弟子を振り返る。ホップは久々に味わうエンジンシティの活気を見渡しながら、楽しそうに言った。
「オレ、ひとりで街を散策してくるぞ。買い足したい道具とかもあるし」
「おっけ。んじゃ、十四時にポケセンの前に集合ね。ロッカーから荷物出しといてよ」
「わかった!」
 言うが早いか、ホップは風のように駆け去っていく。あの年頃の少年といえば、本当によく動く。無尽蔵の体内電池をうらやましく思いながらも、ソニアも元気よく歩き出した。
 行きつけのブティック近くにあるカフェに着くと、少し奥まった席にルリナの姿を見つけ、ソニアが手を振る。ルリナもそれと気づいて、嬉しそうに手を振り返した。
「ルリナ、お待たせ!」
「ソニア、久しぶり」
 弾んだ声で挨拶をすると、寄ってきた給仕にプレートランチを頼む。午後からの結構な労働量を鑑みて、新作のドルチェまでたっぷりと選んだ。
 美味しいランチに舌鼓を打ちながら、あれやこれやと近況を語り、それから話は存外真面目な方向へ向かった。
「今回の依頼、ちょっと不気味よね」
 様々なきのみの入ったトライフルを口に運びながら、ルリナが言う。ソニアも頷きながら、もちもちしたクランペットにナイフを入れた。
「うん。事前情報が少ないから、まだ推測の域を出ないんだけど、エスパータイプかゴーストタイプのポケモンかなって思ってる」
「トレーナーに、体調不良や記憶障害が起きてるっていうのが面倒ね」
「そう。そこが問題なんだよね。それに、なぜ突然ハシノマ原っぱに限定して起きているのか。地質調査研究所に問い合わせたけど、ここ数日、ワイルドエリアでの小規模地震や地盤沈下の報告があったらしいの。ハシノマ近辺も該当してる」
「地質調査?」
 きょとんとするルリナに、ソニアは研究者の眼差しで丁寧に説明した。
「推論その一。地盤沈下や水圧変動、地熱活動による崩落や地下水の噴出などによって、一時的にポケモンの生態に影響を与えた可能性。この場合、生命の危機に瀕したことで新たなわざや特性を備えたポケモンがいるかもしれない。推論その二。同じく、地盤沈下等の外的要因により、なんらかの形でガラル粒子、もしくは原初のガラル粒子と目される因子が規定量以上に噴出し、ポケモンの生態に影響を及ぼした可能性。こっちの場合は、既存種の特異個体になるかもしれない」
「……つまり、全く未知のポケモンがいるかもしれないのね」
「そゆこと」
 紅茶を傾けるソニアに、ルリナは純粋な賛辞の眼差しを向けた。
「さすがね、ソニア。もうそんな仮説を立てちゃったの」
「いやいや、これがお仕事ですので。それよりも、もしこの仮説が正しければ、遭遇するポケモンは現存するデータにない行動をするかもしれない。ルリナ、よろしく頼むね」
 その言葉に、ルリナはうっとりするほど美しく、凛々しげな笑みを浮かべた。
「任せてよ。なにが来ようと、わたしが全部流し去ってあげるわ」
「あはは、頼もし~。でも、流さないで~、めっちゃ興味ある研究対象だからさ」
「はいはい。ところで、ソニア?」
「ん?」
 難しい話は一段落、とばかりに、ルリナのアクアマリンの瞳が悪戯っぽくきらめいた。わずかにソニアの方へ身を寄せると、周囲には決して聞こえないほど低い声色で問いかける。
「――その後、どうなの? 恋人とは」
「んっ」
 切り分けたクランペットを口に入れたタイミングで、ソニアの喉が鳴る。息を詰まらせて真っ赤になった彼女に、ルリナは慌ててクランベリーソーダを差し出した。
「っ、ぷはっ、も、もうっ、死ぬとこだったじゃんか!」
「ごめんごめん。でもソニア、慌て過ぎよ」
「あ、慌ててないよっ」
 真っ赤な顔で否定する親友を、ルリナは呆れたような笑みで見つめる。それに、ソニアは居心地が悪そうにもじもじと揺れた。
「ど……どう、っていうか。別に、普通だよ……」
「まあ、向こうは絶好調みたいだし、上手くいってるとは思ってるけど……」
 バトルタワーのオーナーとして、数多のチャレンジャーを相手に生き生きとバトルをするダンデの好調ぶりは漏れ聞こえている。プライベートが充実すると、男は仕事にも身が入るもんだ、とは、ルリナの父親の談だ。
 そう思いながらも、ルリナは冷静な瞳でソニアを観察した。もじもじと赤い顔をして、普段の明朗快活な彼女とは思えないくらい恥じらってはいるが、それはまあ、長年の片想い(実際は両思いだっただろうけど)を実らせたのだから、多少浮足立つのも当然だろう。
 ただ少し、ダンデの話をするときの、ソニアの様子が気になった。
 幼いころから親友と公言してはばからない、ルリナの鋭い第六感である。   
「――なにかあるでしょ、ソニア」
「……」
 ズバリと切り込まれ、ソニアは素直に俯いた。そもそも、こころの内をなんでもさらけ出せる稀有な親友相手に、取り繕う気など初めからない。
 まるで自分自身に打ち明けるように、ゆっくりとソニアは口を開いた。
「……あのさ、ルリナ」
「うん」
「えと……ルリナってさ。いままで彼氏、いたよね?」
「うん、いたわよ」
「えと、それでさ……その、どのくらいで……」
 歯切れの悪い様子に、ルリナはピンときて瞬いた。
「キス? セックス?」
「っ!」
 ズバリとした単語に、ソニアの顔面がこれ以上ないほど燃え上がる。ルリナはあまりにも率直過ぎたかと反省し、それからわずかに表情を和らげた。
「ごめん。……ソニアとこういう話するの、あんまりなかったね」
「う、うん。いや、謝ることないよ。聞きたがったのわたしだし」
「モデルなんてやってると、露骨な話がそこここで聞こえるもんだから、わたしも悪い意味で慣らされたわ。ガラル淑女として謝罪します」
 おどけたように言って、さらりと頭を下げる親友に、ソニアは強張っていた肩の力を抜いて笑うことができた。
「いや、うーん。わたしも、ガラル淑女ですけども、いまはちょっとだけタイム。回りくどくしてたってしょうがないから、聞きます。探究心と知的好奇心の奴隷なので」
「はいはい、どーぞ」
 にっこりとほほ笑んだルリナに、ソニアは腹を決めて問いかけた。
「ズバリ。恋人同士になって、どのくらいの期間でセッ……一緒に、寝るの?」
 懸命に顔色を変えまいと眉を寄せるソニアに、ルリナはあっけらかんと言った。
「そんなの、個人差があるわよ。付き合ってその日にやっちゃうひともいれば、一年以上手もつながないってひとも知ってる」
「え、一年……すごいね、それ」
「あなたたちだって似たようなものでしょうが。お互いに両思いだったのに、五歳のころから十七年、よくも我慢できたわよね」
 おもにダンデが。さらりと言われて、ソニアは再び顔面から火を噴く勢いで赤くなった。
「い、いや~、わたしたちの場合は……ほんとにずっと、ただの幼馴染だったし」
「ただの、ねえ……。まあでも、だからこそ、急に恋人っていわれても、戸惑うこともあるか」
 ルリナの言葉に、ソニアは天啓を得たようにぱあっと顔を輝かせた。
「そ、そう! そうなの、まさに!」
「それにソニア、恋愛の機微とか疎いもんねえ」
「うっ」
 遠慮なく言われ、ソニアは面白いように顔色を変える。ティーンのころからずっとこころの傍にいてくれた親友相手には、もはや見栄もメンツもない。開き直って、おおきく頷いた。
「そう。わたし、恋愛偏差値ゼロじゃん。だってずっと周り年上で、しかもガリガリの学術畑で、男女交際なんてしてる暇あったら論文のひとつも書けっていう環境で、必死になって食らいついてきたんだよ。恋愛の機微? なにそれポケモンの生態調査より大事なの? ってなもんよ」
「まあ、威張ることじゃないけどねえ。言い分はわかったわ。それで?」
 優雅に紅茶を傾けながら促すルリナに、ソニアは据わった瞳で問うた。
「だから……わたしにはわかんないから、教えてほしかったの。男女の恋愛の機微。どのくらい付き合ったらどのくらい発展するのか、その平均値」
「はぁ……」
 思わず軽くため息をついて、ルリナは苦笑する。
「あなたねえ……こんなことにまで、数値を持ち込んでどうするのよ。ほんっと、偏差値ゼロねえ……」
「だ、だから言ってるじゃん! 平均値じゃなくていいよ、ルリナの基準教えてよ!」
 ぷぅっと頬を膨らませて、拗ねたように問うソニアに、ルリナは美しいアクアマリンの瞳を細めた。
「わたし? わたしの基準は『自分を安売りしない』よ」
「へ?」
「相手がどうであろうとも、自分のこころが進みたくなかったら絶対に進まない。それで離れるなら、それだけの男だもの。迷ったり悩んだりするくらいなら、自分を磨いてもっとこころが動く相手を探すわ」
 はっきりとしたルリナの言葉に、ソニアは思わず目を丸くして、それからぽうっと上気したほほを震わせる。
「ル……ルリナぁ、サイコーにかっこいいよぉ……っ! わたしが男だったら、ルリナと付き合いたいぃ」
「あら、光栄だわ。でも、もしソニアが男でも、あの幼馴染が手放さない気がするから、遠慮しとくわね」
 邪気のない軽口をたたいて、ルリナがころころと笑う。それに、ソニアは一瞬複雑そうに笑顔を引きつらせると、しゅんと肩を落とした。
「……わたしも、ルリナみたいに強くなりたいなぁ」
「どういう意味? ……まさか、彼に無理強いされそうなの?」
 ずん、とアクアマリンの瞳を据わらせて、ルリナが氷のように冷たく問う。その手はすでに、心強い手持ちたちが眠るボールホルダーへと向かっていて、みずジムの美しき守護者の怜悧な怒りの波動を受けて、ソニアは慌てて首を振った。
「ちっ、違う違う、全然ちがうよ、誤解だよルリナっ! ダンデくんはすっごい優しいし、無理強いなんてしないよ、むしろわたしの方が……っ」
 必死になって否定するソニアが、思わずのようにさらけ出した本音に、ルリナは素早く反応した。
「わたしの方が? なに、ソニア。ちゃんと説明しなさい」
 その真剣な表情に、こころから心配している親友の想いを感じて、ソニアは改めて正直になった。
「……わたしの方が、ダメなの。ダンデくんと、こ……恋人になれて、すごく嬉しいのに。傍にいてくれることも、触ってくれることも、……キスしてくれることも、すごく嬉しいのに。どうしても、うまく応えられない」
「……」
「なんか、怖いのかな、多分……急に、距離が近くなって、いままでずっと、知っていたはずのひとが、全然知らないひとみたいに思えて……。でも、嫌じゃないの。それなのに、嫌がってるみたいに見えちゃうかもしれなくて、そういうのが、ダンデくんを傷つけちゃったり、き、嫌われちゃったらどうしようって……」
 一生懸命言語化をしようとしているソニアの、不安げに揺れるエメラルドグリーンの瞳が、テーブルの上に落ちる。いまだかつてなく自信を無くしているソニアの様子に、ルリナは困ったように瞳を細めた。
「ソニア……。それ、多分、ダンデにも伝わってるわよ……」
「う、ん……そうだと思う。いつも、わたしが怯えてると思って、引いてくれるのわかる……」
「嫌がってるふうに見えるって、例えば、どんな?」
「えと……例えば、キ、スの時とか……最初は、軽く、あの、触れるだけだったんだけど、ある日その、えと、深くっていうか、そういうふうになって、そしたらなんか、わたし、ガチガチになっちゃって……」
「……それから、しなくなった?」
「いや、えと、それからはなんか、必ずそうなるんだけど、でも、わたしがいっぱいいっぱいになると、すぐにやめてくれるっていうか……でも、その時間がだんだん長くなってって、わたしももう、よくわからなくなっちゃって……」
「……」
「最近では、あの、頭ふわふわしちゃって……なんか、ダンデくんの指とか、手とか、すごく熱くて、そういうのもなんか……、でも、ちゃんとできなくて、わたし、いつもぐだぐだで、そしたらダンデくん、すぐに気づいて、引いてくれて、その繰り返しなんだよね……」
「……はぁ」
 ため息が聞こえて、ソニアが顔を上げる。正面では、褐色の肌をわずかに上気させ、苦々しげに宙を睨むルリナが、冷たいクランベリーソーダに口をつけていた。
「ルリナ?」
「……ソニア。大丈夫、あなたはなにも気にしなくていい。いつの間にか包囲網は完成してるから。――あいつのいつもの手じゃない」
「え?」
 ぼそりと呟いた言葉は低すぎて、ソニアの耳には届かなかった。ルリナは、真昼間のカフェでする話じゃないわよ、と呆れたように呟いて、それから細い腕にかけた時計を見やる。
「ソニア、そろそろ時間。出よう」
「あ、うん」
「あのね、わたしから言えることは……釣りの極意って知ってる?」
「つ、釣り?」
 突然の話題転換に、ついていけずにソニアが目を丸くする。ルリナはカードを取り出しながら、スタッフに軽く手を上げて、早口で続けた。
「ダンデは、スローリトリーブを仕掛けてるのよ。……確実に仕留めるためにね」
「え?」
「まあ、あんまり思いつめないことね。――お会計お願いします」
 近づいてきたスタッフにカード払いを依頼し、ルリナはソニアに向けて鮮やかなウインクを見せた。ソニアは言われた言葉を咀嚼するように眉を寄せつつ、今度釣り用語を調べてみよう、とこころのメモにチェックした。





2/7ページ
スキ