fugue
ぱたん、と音を立てて雑誌を閉じて、ソニアは机に突っ伏した。
場所は、シュートシティのダンデの住まうペントハウス。すっかり馴染んだ窓からの景色、運河沿いの自然公園の緑と、遠い観覧車のカラフルな色どりが、文句なく晴れ渡った七月の青空に映えて美しい。
突っ伏したまま唸るソニアには、その光景を眺めて楽しむ余裕はないけれど。
ソニアの足元に寄ってきたワンパチが、どうしたの? と言わんばかりに彼女の脚を舐めた。ソニアは俯せたまま手を伸ばし、相棒の顔やあごをぐりぐりとなでる。油断して、ぱちりとちいさな静電気が生じたことで、反射的に顔を上げた。
「いたっ、うう、ワンパチぃ」
「ヌワ?」
ぱちぱちにもめげず、ソニアはワンパチを抱き上げてそのやわらかな毛の中に顔を埋めた。スンスンと鼻を鳴らし、太陽のにおいに癒されているソニアに、その時背後からのしりと重量がかかる。
「うう、リザードン……ありがと、慰めてくれるの……? やさしいこ……」
「ぱぎゅあ」
ソニア用の甘えた声音で、リザードンがすっかりヒトカゲに戻ったようにつぶらな瞬きをする。肩に乗るリザードンのあごの下、少しだけやわらかな皮膚を爪でこすってやりながら、ソニアはリザードンのわずかに湿った硬い首筋にすりすりとほほを寄せた。
「ふふ、水浴びしてきたの? 苦手なのにえらいね。今日のトレーニングは暑かった?」
「ぱぎゅぅ」
「そうかそうか。がんばったこには、ソニアさんお手製のアイスがあるぞぅ」
「ぎゅあっ」
リザードンの喜びで、しっぽの炎が勢いを増す。ソニアがそのままかれのあごの下を掻いてやっていると、リビングに続く広い廊下から、続々とダンデの手持ちたちがこちらへやってきた。ペントハウスの広大な屋上敷地にある、ポケモン用の水場で汗やらなにやらをきちんと流し終えた順に、彼らは列を作ってソニアに甘えに来るのだ。
「はいはい、みんなお疲れ様~。ギルガルド、ちゃんと錆防止剤塗った? よし、おっけ。オノノクス、今日いいにおいするねぇ、新しいボディソープ似合うじゃん。ドラパルト、透けてるところもちゃんと……よし、洗ったね、えらいぞ。ドラメシヤたちもアイス食べようね。ドサイドン、砂全部払った……うん、大丈夫、さらさらだね。ゴリランダー、こっちへおいで、まだ葉っぱが湿って……うわっ」
ポケモンたちに囲まれていたソニアを、背後から伸びた腕がひと息に持ち上げた。細身とはいえ成人女性を、軽々抱き上げてそのまま対面のソファに座ったダンデは、驚きでぱちくりとしているソニアに向かってニカッと無邪気に笑った。
「ソニア、オレも!」
「……ダンデくんは、自分でできるでしょ!」
照れ隠しに憎まれ口をたたきつつも、ソニアはいそいそとダンデの肩にあったタオルを手に取る。借りてきたチョロネコのように、おとなしく彼の膝に乗せられたまま、湿った薄明色の長い髪を丁寧に拭いてやると、ダンデはにこにこと上機嫌に言った。
「ソニアが来てくれると、みんな素直に水浴びしてくれて助かるぜ。この時期のトレーニングは、どうしても汚れるからな」
「うん、まあ、お役に立ててなにより……って、そうだ、ダンデくん!」
一瞬、嬉しそうにほほ笑みかけたソニアが、思い出して声を上げた。ダンデの頭にタオルを乗せると、身軽にその膝から立ち降りて、テーブルの上に伏せていた雑誌を手にする。
「こっ、これ、この記事、なんだよこれぇ!」
「ん?」
それは、先月のすったもんだの原因になった雑誌『Battle Focus』の今月号。異例の二ヶ月連続特集は、バトルオーナーダンデのプライベートヒストリー。
そう、今度は『ヒストリー』ときた。しかも、先月はうまく編集されたのか、ダンデの語りも『よそ行き』だったのに対し、今月号はほとんど素のままのダンデの口調が、延々二十ページ以上も続いている。
生まれはハロンタウン、から始まって、五歳の誕生日を迎え、運命的に出会った『幼馴染の女の子』。リザードン色の髪と瞳を持ったその子は、ダンデがいままで出会った誰よりも頭がよくて優しくて、ポケモンが好きで詳しくて、バトルが上手で楽しくて、いたずらっ子で元気いっぱいで、ダンデと一緒に泥だらけになるまで遊んだ。気風がよくて潔くて、でも寂しがり屋で少し泣き虫。正義感が強くて無鉄砲なところがあって、だけど頭の回転はピカいちなのでここぞというときに誰よりも頼りになる。
一緒にジムチャレンジに挑み、ダンデがチャンピオンになった後は、ポケモンバトルから退いて、新たな目標に向かって邁進した。恵まれた環境に胡坐をかかず、まだ見ぬポケモンの世界へ飛び込むために、留学して博士号をとって地道にキャリアを積み続けた、努力の天才。
そしてこのたび、ガラル中を驚かせた新説を提唱し、その歴史的功績を認められて、最年少ポケモン博士となった、ガラルの至宝。
『――それが、オレの特別な女性です』
締めの言葉と同時に撮られた、ダンデの笑み崩れた甘い表情が、おおきな誌面写真になっている。こんなメロメロの顔、ガラル中のお嬢さん、お姉さん、奥様達の心臓を射抜いたに違いない。
ダンデの偽らざるヒストリーは、そっくりそのままソニアの半生の紹介文だ。固有名詞こそないけれど、ガラルの歴史を詳らかにした、一躍時の人であるソニアの功績やキャリアを知らないガラル人は少ない。ダンデの言う『特別な女性』を、誤解したり曲解する余地すら一片も残さず、鮮やかに全土へ宣言してのけた男は、澄ました顔でソニアを見上げてほほ笑んだ。
「なにって、オレの『特別な女性』を紹介しただけだぜ?」
「こっ、このぉ……っ」
そうやって笑って甘いことを言えば、ソニアさんがほだされると思ってぇ……っ
真っ赤な顔で悔しそうに涙ぐむソニアに、ダンデはたまらなくなって手を伸ばした。ギャッと色気のない声を上げて腕の中に納まった彼女は、まだ照れ隠しの怒りに悶えている。
「ご、ごまかされないよダンデくん! こんな記事書いて、世間に知られちゃって、バトルオーナーの立場に影響が出たらどうすんのさっ」
「影響? オレのプライベートがどう影響するんだ。するとしたら、オレがソニアに溺れすぎてバトルの腕を落として、ランクアップ戦で無様に負ける時くらいだろ。そんなことになったらたぶん、キバナがオレの息の根を止めに来るだろうから心配は無用だぜ」
「あんのねぇ、きみってやつは、バトルタワーを背負って立つ象徴なんだよ! 全ガラルの憧れの的! 歩く広告塔、スポンサーの寵児、抱かれたい男ナンバーワ……ンんっ」
グルン、と天地が逆さになって、ソニアはダンデの腕の中で仰向けになった。薄明色の長い髪が、帳のようにソニアに降り注ぎ、その中心で輝く黄金の瞳が、蕩けた蜜のように滴っている。
「――残念ながら、オレはソニア専用だぜ」
「~~~~っ、すとっ、ぷ!」
最近のダンデのスキンシップは、いままでの反動に輪をかけて激しい。いきなりトップギアになって猛進する幼馴染……恋人の勢いに、ソニアは完全に白旗を上げていた。
ダンデのくちびるを両手で抑えて、なんとか窮地を脱しようとする照れ屋な彼女が愛おしく、ダンデは上機嫌のままその手のひらに舌を這わせる。ふたたびギャッという色気皆無の声を上げて、ソニアは茹蛸のようになった。
「くぅ……っそぉぉ……っ、調子に乗るなよ、ダンデぇ! わたしだって、慣れたらそのうちきみのことなんてめろんめろんに……っ」
「これ以上にか、ソニア! きみのポテンシャルには頭が下がるぜ」
「ダンデくん!」
「ははは!」
いつまでたっても終わりのないような二人のじゃれあいを遠巻きに、手持ちたちは『ソニアの手作りアイス、まだかなぁ……』と、行儀良く見守っているのだった。
END.
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