fugue
ダンデがオーナー室のフロアへ戻ると、秘書室のひとりがエレベーター前で待機していた。
「オーナー。あの、お客様がいらしています」
「客? 悪いが、オレはたったいまから休暇に入る。調整はすべてオリーヴの采配に任せて……」
口早に言って部屋に入ろうとする手前、オーナー専用の応接室の扉が突然開き、中からゆったりと出てきた男が低く口笛を吹いた。
「焦ってるな、ダンデ。いいもん見れたぜ」
「キバナ?」
思いがけないライバルの出現に、ダンデは正直に面食らった。キバナは人好きのする笑顔で秘書に振り返り、「オーナーは休暇に入るそうだから、あとはほっといていいぜ」と手を振った。そしてそのまま、ダンデの肩を押すようにしてオーナー室へと消える。
「キバナ、どうしてここに?」
部屋へ入るなりそう問うてきたダンデに、キバナは懐からおもむろに雑誌を取り出す。その見覚えのある表紙に、ダンデはぐっとあごを引いた。
「見たぞ、コレ。んで、なんでこうなってんの?」
「……広報が暴走した」
「いやいや、そんなもん、ゲラチェックで普通に却下できんだろ。まさか、それ怠った?」
「ああ」
「はー。オマエさぁ……」
呆れたようにため息をつき、キバナはどさりとソファに座る。長い足を高く組み、複雑な表情をしているダンデを仰ぎ見て言った。
「この期に及んで、なんでも人任せってか」
「それは……」
痛いところを突かれ、ダンデが言いよどむ。チャンピオン時代から、ダンデの公的な発言にはリーグの厳密なチェックが入っていたのを知りながら、いままではそこに全く乖離がなかったことに油断していた。さらに、バトルタワーオーナー就任後に忙殺されていたことも大きい。
けれど、そのどれもが言い訳に過ぎないと、ダンデは重々承知していた。
「……まさか、こんなあからさまに変えてくるなんて」
「想像できるだろぉ。ノースキャンダルで十年てっぺんにいた王様が、突然壊れた蛇口みたいに惚気だしてみろ。普通は、パブリックイメージを守ろうと動くだろうが」
はぁ、と心底呆れたようにため息をつかれ、ダンデは自分の不甲斐なさを改めて痛感する。ポケモンバトルならば、初手で沈められても文句は言えない、致命的な失策だ。
「まぁ、それがオマエかぁ」
諦めたようなキバナの苦笑に、ダンデは複雑にため息をつく。
「ああ、それがオレだ。外堀を埋めようとしたら失敗して、なにも伝える前に逃げ出されたぜ」
「へ? 逃げ出すって……うっわまじかぁ!」
ぎょっとしたように目を丸くしてから、キバナが不謹慎に笑う。あくまでも傷口に塩を塗る男に、ダンデはさすがにむっとして机へ向かった。
「さっすが、ガラル屈指の才媛! オレさまが親切にも忠告して、先回ってやろうと思った一歩先を行くかぁ」
「忠告なら、昨日のうちに欲しかったぜ」
「いやいや、甘ったれんな。そもそも、オマエがこんな初歩的なポカしなきゃ、いまごろは収まるところに収まってたんじゃねぇの?」
「収まるところ、か」
ギシリと椅子の背もたれを鳴らし、ダンデが低く呟く。
「正直、ソニアがいなくなった本当の理由はわからない。オレの記事を見て、それをどう受け止めたのか。彼女の行動の理由に、オレが関与しているのか、確信はない」
この期に及んでそんなことを言うダンデを、キバナは心底珍しいものを見るように眺めていた。
ポケモンバトルを通じて、何度となく対峙してきた最強のライバルは、常に絶対の自信を漲らせていた。どれほどのピンチにも小揺るぎもせず、鍛え上げた相棒を信じ、自分の選択を信じ、勝利を信じ続けた。
――その、ダンデが。
まるでティーンエージャーのように、たったひとりの女の子に振り回され、自信を無くし、しょげ返っている。
「……オマエも人間だったか、ダンデぇ……」
「人間じゃなかったことなんてないぜ」
心外そうに言って、ダンデはロトムを呼び出した。そのまま執務室の隅に貼ったスクリーンに映像投影を命じ、慣れた声音で指示を出す。
「ロトム、ホップに繋いでくれ」
その表情は、一瞬前に見せていた心許なげなものではなく、すでにいつものダンデに戻っていた。キバナは呆れたような、安堵したような複雑な笑みを浮かべる。
「ンで? 確信はないけど、動くってか?」
「ああ。ソニアの気持ちがどうであれ、間違った情報が伝わったままなのはまずい。それに……」
なにかを言いかけたダンデを遮るように、ロトムが通話を開始し、同時にスクリーンへ映像が届いた。
『アニキ!』
「ホップ! 悪いな、待たせた」
画面いっぱいにホップの顔が映ると、彼はわずかに焦ったように視線を泳がせる。
『あの、アニキ、えっと、お客さんだぞ』
「客?」
きょとんと返すダンデに、ホップがわずかに身体を引く。すると、その脇からにゅっとしなやかな腕が伸び、スマホロトムの位置を変えるように画面がぐるりと流れ、そこに現れたのは滑らかな褐色の肌に華やかなメイクを施した、隙のないみずの女神。
『……ハイ、ダンデ』
「ルリナ」
冷え冷えとした微笑みを浮かべるルリナは、驚くダンデによそよそしく言った。
『ソニアに会いに来たんだけど、留守のようなのよ。少し心配だから、わたしは探すつもりだけど……あなたは、なんのために連絡をしてきたわけ?』
あくまでも淡々と問うルリナに、ダンデは真剣な眼差しで答えた。
「ソニアに誤解を与えたかもしれない。きちんと真実をオレの口から伝えたいから、探し出すつもりだぜ」
『……誤解、ねぇ。雑誌の記事のことなら、わたしの方から伝えてあげてもいいわよ。ゲラチェックもできないほどお忙しいオーナー様は、ソニアを探す時間なんてないんじゃないの?』
絶対零度の眼差しと容赦のない言葉に、ダンデの背後でキバナが縮み上がった。
ソニアの親友を公言してはばからない美しきみずジムの守護神は、都会的に洗練された容姿からは想像もできないほど激情型で、義理人情にも厚い。けれど基本的に、ソニアの望みや人格を最優先に尊重しているので、いままでダンデとの関係に口を出してくることは皆無だった。
そんな彼女が、これほどあからさまな怒りを表していることに、ダンデは改めて自分の不明を恥じながら、けれどソニアのこころの片鱗を見た気がして、一気に力を漲らせる。
「いや、オレの口から説明するぜ。あの記事は、ソニアのことだった。オレの特別な女性は、いまも昔もソニアだけだと」
『……』
いままでになくはっきりと断言したダンデに、ルリナは一瞬、苦々しげに唇を噛み、それから長いため息をついた。
『……それを言う相手は、わたしじゃないでしょう』
「ああ。だけど、きみはソニアの親友だ。オレの失策でソニアが傷ついたなら、きみにはオレをなじる権利がある。だから、挽回させてほしい」
「失策も失策ね。回りくどく外堀を埋めるつもりだったんでしょうけど、詰めが甘いうえに、もう少し意気地ってものが欲しいわね。十年以上もモダモダしてたんだから、決めるところはびしっと決めなさいよ」
ツンと顎をそらし、容赦のない断罪をするルリナの燃えるような眼差しに、ダンデは一言も弁明できずに頷いた。その真摯な様子に、ルリナはようやく落ち着いたように肩をすくめ、少しだけ譲歩する。
『……まあ、あなたの気持ちもわからないでもないわ。ソニアの方も、ずっと向き合えずにいたわけだし』
「……そんなソニアに甘えてきたのも、オレだ」
『どっちもどっちよ。でも、今回こそあの子も年貢の納め時でしょうね。逃げ癖が付くのはよくないわ。ちゃっちゃと見つけちゃいなさい、ダンデ』
言いたいことだけ言って、ルリナは水が流れるように優雅に背を向ける。ロトムはそのまま、彼女の傍らでやきもきしていたらしいホップへと照準を合わせた。
『ア、アニキ。マグノリア博士に確認したぞ。ソニアのパスポートは、家にあるって』
「そうか。なら、国外には行ってないな」
『それから、調査用のポケモンが数体連れていかれてる』
ポケモン研究所が所有登録している、探査・調査に特化したポケモンのうち、数体のポケモンボールが失くなっていた。その個体名を上げると、ダンデの背後からぬっとキバナが顔を出す。
「そいつらを使いそうなとこって言うと、場所が絞られるんじゃねーか?」
「ああ。他に、ヒントになりそうなものはないか? ホップ」
ダンデの問いかけに、助手見習いの少年はいっぱしの研究者らしい真剣な表情で、手元のPCを操作する。
『直近で連絡を取っている研究者とか、調査依頼とかはあったけど……でも、全部カモフラージュっぽいぞ』
「攪乱作戦かねえ。ダンデが追いかけてくることを想定していたとか?」
キバナの言葉に、ダンデは考えるように沈黙した。
昨日、ソニアはバトルタワーにおいてガラル粒子の計測報告を行っている。そのあと研究所に戻り、そして今朝ホップが出勤するまでの十時間少々で事後の段取りを組み、フィールドワークの準備をしたとなると、自分の足跡をごまかす細工はそれほど多くはないだろう。
ダンデは素早く考えをまとめ、ホップに問いかけた。
「ホップ。最近ソニアが興味を示していた論文や、研究資料なんかはないか?」
『直近で読んでた論文は、『遺跡由来のガラル粒子分布と、ポケモン進化の関係性』で、これはアローラの進化系統に絡めた記述もあったんだけど、パスポートがある以上、アローラじゃない』
「遺跡由来……」
ソニアがマグノリアの『宿題』で、ガラル中を旅していた際、各地で遺跡の調査も行っていた。そのうちのどこかか、または新たな遺跡に足を延ばしたか、それとも……
『ターフ鉱層旧跡』
その時、ルリナの凛とした声が響いた。ダンデが顔を上げると、ホップの傍らに現れたルリナが、PCの画面を見つめながら言う。
『少し前、ソニアが話していたの。古代のガラル文明の名残で、地下の多層構造に人工的に掘られた研究坑道があるって。これ……このメール。多分、立ち入り制限区域の特別許可申請よ……ほら』
『あっ……ほんとだぞ! ルリナさん、さすがだ!』
ホップが弾んだ声を上げる。その言葉に、キバナが思い出したように指を鳴らした。
「そういや、ナックルラボの研究テーマも、確か原初のガラル粒子とムゲンダイナの干渉でおきる空間歪曲の調査だったよな。古代ガラルの地層とか地下遺構に自然に存在していた因子を、現在のガラル粒子と照らし合わせるとかで、ポケモン研究所との共同事業って聞いたぜ」
『ああ、その話ならオレも聞いてるぞ!』
「だとすると、ソニアはナックルラボと組む前の下調べとして、まずターフを選んだってことも考えられるな。あそこ、古代ガラルの地下遺構が残ってるし、連れてったポケモンの顔ぶれも、まさにそういう調査向きだぜ」
キバナの言葉に、ダンデがきらめく黄金の瞳を上げた。
そのまま、画面越しのホップとルリナに、ニカッと太陽のような笑みを見せる。
「ホップ、ルリナ、助かったぜ! オレはいまから、ソニアを迎えに行く」
『アニキ! がんばれよ!』
『……ちゃんとしなかったら、流し去るからね』
ルリナのそっけない言葉とともに、ぷつんと通信は途絶えた。ダンデは手持ちの入ったボールホルダーを掴み、キバナを振り仰ぐ。
「キバナ。サンキュー」
「上手くいったら酒おごれよ、オーナー」
軽く言って洒脱に笑うライバルに、ダンデは片手を上げて踵を返した。
その足取りに迷いはなく、眼差しは真っ直ぐに彼女へと続いていた。