fugue
ブラッシータウンのポケモン研究所は、九時に始まり十八時に終業する。基本的にはカレンダー通りに開いているが、調査や研究の押し詰まった時期は、文字通り修羅場と化すこともあった。
研究所の責任者はガラル博士協会から正式に任命された『ポケモン博士』であり、これは各地方に一人(まれに複数)しかいない、特別な肩書だ。
ポケモン博士の多くは、トレーナーに対して情報の開示、助言、スタートアップのサポートなどを行うことを求められている。
しかし、ポケモン『博士』という名の通り、彼らの主業務は『ポケモンの研究』である。多くの研究者がそうであるように、時間はいくらあっても足りなかった。
ことに、ポケモンバトルが空前の盛り上がりを見せ、国を挙げての興行へと進化しているガラルにおいては、一般のトレーナーのすべてをサポートすることは現実的ではなかった。そのため、基本的に研究所への訪問は予約申請制とし、その条件も『ジムチャレンジのメダルを獲得すること』とされていた。
本来のポケモン博士に望まれる公益性には欠けるが、これでどうにか自身の研究時間を確保できる。ガラルの新米博士であるソニアは、ようやくつかみかけてきた『博士業』に、ほっと一息ついていた。
そんな矢先のことだった。
「ソニア! データ入力終わったぞ」
ホップが声をかけると、ソニアはPC用の眼鏡を外してふぃ~、とため息をつく。
「サンキュ~。これでなんとか、一段落だわ……」
ここ数日かけて行っていた、バトルタワーにおけるガラル粒子の変動調査報告書が完成した。ガラル全土に散見される、パワースポットの粒子調査は、マグノリアの後継として正式に引き継いだ業務であり、助手としては何度も携わっていた作業だったが、自分が『博士』として責任ある立場に立つと、想像以上に身の引き締まる思いだった。
トリプルチェックまで終えたデータを確認し、ソニアは椅子の上で思い切り伸びをした。
「お疲れさま、ホップ。まだ慣れない助手仕事、ひとりでよく頑張ったね」
そう声をかけると、見習い助手の少年は嬉しそうに笑う。
「いろいろ勉強になったぞ! なんか、意外とオレ、数字に強かったかも……」
「意外じゃないよ。あんた、昔っから計算早いし数字好きだし、才能あると思ってたよ、ソニアさんは」
悪戯っぽく笑って言うソニアに、ホップはますます照れたように首をすくめた。
「ちょっとは役に立ったんなら嬉しいぞ」
「もっちろん。ご褒美に、エンジンシティでいま人気のクッキーあげるよん。お茶にしよ」
上機嫌に言いながら、ソニアが簡易キッチンへと向かう。ホップはデータ資料や機材などを手早く片付けながら、あ、そうだった! と頓狂な声を上げた。
「昼休憩に抜け出して、買ってたんだった!」
地声の大きな弟分が、ガタガタと騒がしく荷物をあさっている。それを背中で聞きながら、ソニアはのんびりと問いかけた。
「ん~? なに買ってきたの?」
「アニキのインタビューが載ってる雑誌!」
「へ?」
アニキ、の一言に、ちょっとだけ興味を引かれたソニアが、ケトルを火にかけたタイミングで振り返った。ホップはおおきなボディバッグから雑誌を取り出し、その表紙を飾る見知った男を前面に押し出す。
「バトルタワー開業半年記念の広報活動の一環で、アニキの特集記事が組まれたんだ。いままでみたいな、チャンピオンに特化したバトル指向のインタビューじゃなくて、アニキのいろんなことが書かれてるって評判なんだぞ」
「へえー。いろんなことって?」
「プライベートも結構聞かれてて、生い立ちとか趣味とか……」
ホップが雑誌をパラパラめくりながら言うのに、ソニアはちょっとだけ胸を弾ませた。
プライベート。ダンデくんの、プライベートだとぅ。
五歳のころから知っている幼馴染のプライベートなど、今更珍しいわけではない。しかし、それを『ソニアが』知っていることと、『世間が』知ることには、だいぶおおきな隔たりがある。
ダンデくん……なに、言ったんだろ。
たとえば、ハロンタウンで育ったこと?
たとえば、ジムチャレンジの時の思い出?
たとえば、休日になにをしているか?
その、どれもにソニアが絡んでいる。自惚れじゃなくて、そうなのだ。
ダンデとソニアは、五歳のころに知り合って、以来つかず離れず十七年と少々。途中、ダンデがソニアを降してチャンピオンになったり、ソニアが自分のアイデンティティに迷って後ろ向きになったり、『幼馴染』なんて脆い絆では、いつの間にか疎遠になってもおかしくないほどの紆余曲折があったが、なぜかいまでも付き合いは続いている。
――もう、ここまできたら、そろそろ認めてもいいかもしれない。
ダンデはともかく、自分がどうして、ダンデとのつながりを、その細く脆い糸を、必死につかみ続けてきたのか、その、意味を。
今更だいぶ恥ずかしいけれど。とんでもなく照れくさいけれど。
そろそろ、素直になってもいいかな……
『ロトロトロトロト!』
その時、ホップのロトムがけたたましい着信の声を響かせた。ソニアは、物思いにふけっていた分余計に驚いて、ぴゃっと声を上げて飛び上がる。
雑誌から顔を上げたホップは、急いでロトムに通話を命じた。
『もしもし、ホップ!』
「ユウリか? どうした?」
『ごめん、あのね、いまげきりんの湖なんだけど、来れる!?』
「えっ」
『あの、あの、色違いのヨーギラスが大量に……あーっ、待って、それ噛んじゃダメ!』
ガサガサっとなにかが擦れるような音とともに、一方的に通話が終了した。ホップは慌てて立ち上がると、ボディバッグをひっつかんで叫ぶ。
「ソニア! ちょっと行ってくるぞ!」
「はいは~い、気をつけんのよ」
まるで母親のようにのん気に言って、ソニアは風のように去っていく少年を見送った。
色違いヨーギラスの大量発生は、なかなか興味深いけれど……まあ、たぶん、ホップが現着するころには、そんな現象も収まっているだろう。それを重々承知のうえで、『放っておけない女の子』の要請には、いちもにもなく駆けだすのだ、あの弟分は。
それにきっと、ユウリも。用件なんて、なんだっていいんだろう。ここ最近、忙しくてプライベートの時間もなかったホップの『もうそろそろ暇かな』というタイミングを、謎の嗅覚で正確にかぎ分けるあたり、チャンピオンになるべくしてなった強運を感じる。
そんなことを思ってにやにやしながら、ソニアはワンパチ型のマグカップに紅茶(飲むのは自分だけだから、ティーバッグだ)を淹れて、デスクへ戻る。
その途中、弟子の机に放り出されていた、幼馴染の営業スマイルが目に入った。
「……」
ちらりと目線をやると、それはポケモン関連の業界内で一番の発行部数を誇る月刊誌で、バトル・育成論・ワイルドエリアの詳細情報・トレーナーのハウツーに特化された専門誌でありながら、カジュアルに読める大衆性もある。発行元はバトルリーグ運営傘下のメディア部門で、多くのスポンサーを擁している、リーグの中枢事業だった。
堂々と表紙を飾るダンデは、ここ十年で見慣れていたチャンピオンユニフォームではなく、バトルタワーのオーナーとして公式の場で見せるようになった、乗馬服風ジャケットを着こなしている。ガラル貴族の狩猟服を思わせる、クラシカルで品の良いその姿は、猛々しさを前面に出していたチャンピオン時代とは一線を画す、大人の男性としての魅力が溢れていた。
リーグ委員長も兼任しているため、おそらくダンデのパブリックモードのイメージ戦略は、以前と変わらずポケモンリーグが請け負っているのだろう。伊達に長年ダンデを支えてはいないな、と、隙のないプロデュースにソニアは唸る。
こちらを見つめて挑戦的に微笑む金の瞳から目が離せなくなったソニアは、きょろきょろと無人の研究所内を見渡した。ワンパチマグを机に置いて、そうっと雑誌を手に取る。
パラパラとめくると、見慣れない雰囲気の幼馴染の写真が何ページか続いた。ダレトクだよ、これぇ……なんて憎まれ口を呟きながら、目はインタビュー記事を追う。
<元チャンピオン・ダンデ、次なる伝説へ――バトルタワー開業半年の今、語る"覚悟と支え">
表題に続き、インタビュアーの質問に誠実に答える文言が続く。ソニアが懸念したよりは、だいぶ『よそ行きのダンデ』の問答で、少しだけ拍子抜けしたような、安心したような、複雑な気持ちで読み進めていった。
――バトルタワー開設という偉業を成し遂げたオーナーダンデの、支えとなっているものはなんでしょう?
――そうですね。家族や友人、そしてチャンピオンだったオレを応援してくれた人たち、みんなが支えです。ただ……中でも、特別な存在は、いますね。
ドキン、と、心臓が強く震えた。
ソニアは、全力疾走をした後のように忙しなくなった胸を押さえながら、その続きを読む。
――それは、どういった『特別』ですか?
――(考えるように沈黙して)彼女は、誰とも比べられないほど『特別』な人です。
――相手は、女性?
――ええ。他の誰にも、彼女の代わりはできない。オレにとっても……そして、ガラルにとっても稀有な存在だ。
文字の上を目が滑り、ソニアは無意識に眉根を寄せた。
ガラルにとっても稀有な存在? それはもしや……
「……ユウリ、とか?」
ダンデを降して新しい時代を築いた女王は、チャンピオンであると同時にガラルを救った英雄でもある。正真正銘、稀有な存在だ。
でも、『ダンデにとって特別』というのは、どこか違和感がある。それに、ユウリのことならば『女性』なんて大人びた表現は、使わない気もするし……
――ガラルにとって……と言いますと、著名な方でしょうか?
――そうですね。才能も、情熱も、そして実績もある。まさに、ガラルの至宝と言っても過言ではありません。
手放しの称賛に、ソニアはますます眉根を寄せる。ダンデにここまで言わせる女性……ユウリじゃなければ、マグノリアか?
――その女性は、オーナーダンデにとって、恋愛の対象、ということでしょうか?
突っ込んだインタビュアーの問いに、ソニアが目を丸くする。
――恋愛の対象、というか……。オレには、彼女しかいませんね。
――ということは、オーナーダンデの恋人ということでしょうか?
――それは、ご想像にお任せしますよ。ただ、彼女はすでに現役を退いています。なので、これ以上の詮索はご容赦ください。
そこまで読んで、ソニアはさらに混乱した。
現役を退いている……やっぱり、おばあさまのこと!? えっでもダンデくん、さすがにおばあさまに恋してるとか……ないよね? まさかね!?
なんだかよくわからない汗が、滝のように流れる。ソニアは震える手で雑誌を掴みながら、それでも懸命に最後まで文字を追っていった。
インタビューはそれから、当たり障りのないものが続き、結びにダンデはバトルタワーの魅力をたっぷり語って挑戦者を募ると、呆気なく終了した。
ソニアはなにか他に、ダンデの真意が図れる文言はないかと目を皿のようにして記事を追い、ページの最後に小さく記載された編集注記に気が付いた。
『編集者注:オーナーが語る『特別な女性』は、すでに表舞台から身を引いた一般女性。取材・撮影等はご遠慮いただきたく、詳細は非公開とさせていただきます』
その言葉に、ソニアの胸が先ほどとは違った痛みに騒ぐ。
ユウリでも、そしてもちろんマグノリアでもない――一般女性。
当たり前だけれど、ソニアでもない。
ソニアは約一年前、ガラルの歴史を根底から覆す大発見を著し、一躍時の人になった。最近こそ落ち着いてはいるが、正式にマグノリアから『ガラルのポケモン博士』の地位を継ぎ、メディアの露出も増えている。
だから――
「……オレには、彼女しかいない、か」
幼馴染としての近しい距離が、ソニアを自惚れさせていた。
決定的なことは、なにも言われなかったし、言わなかったし、匂わせることすらなかったけれど。
ただ、忙しい時間を縫って研究所に来ることや、他の誰にも見せないような、気安く屈託のないやり取りを続けていることが、ソニアにとっては『特別』だったのに――それは単に、彼にとっては『幼馴染』なら当たり前の、親愛の情でしかなくて。
『特別』だと思ってたのは、自分だけだった――
震える手で雑誌を机に置くと、ソニアは深い、深いため息をついた。
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