拝啓、いとしのきみよ
【親愛なる ダンデくんへ
11歳のお誕生日、おめでとうございます。
元気にしていますか?
毎年きみの誕生日に手紙を書くようになって、今年は初めて郵便で送ります。
誕生日の朝、プレゼントと一緒に手紙を渡すと、ダンデくんはいつもすごく喜んでくれたよね。その顔を見るのが、わたしも楽しみだったんだなあって、今年初めて知りました。
離れて初めてわかることもあるね。ポケモンと同じで、いろいろな条件下で同じ事象の結果を調べるみたいに……うん、なんか変な話になったね。
柄にもなく、ちょっと緊張しています。
半年前、チャンピオンになったダンデくんは言ったね。
『勝負に勝った方が、負けた方にひとつだけ、言うことを聞いてもらえるよな』
ほんのちいさい頃、まだヒトカゲとワンパチで、バトルの真似事みたいなことをしてた時の決まり事を、きみは久しぶりに持ち出した。
おやつを一個さし出したり、好きな歌を歌ってもらったり、ポケモン図鑑の読み聞かせをしたり、昔はそんな、他愛のないお願い事だったのに。
チャンピオンになったきみは、わたしに『手紙を書け』って言ったね。
毎年、必ず、誕生日に。
決して、噓をつかず、偽らず、その時の気持ちを書けって。
まいったね。ダンデくん、きみは、本当に勝負強い。
本音を言うと、わたしはあの時、もうきみとは一緒にいられないって知った時、すごくすごく寂しかった。
お母様とお父様がいなくなった時に感じていた、胸の中にぽっかりと穴が開いたみたいな気持ちで、目の前が真っ暗になったのを覚えてる。
チャンピオンになりたくて頑張っていたし、ジムチャレンジをする以上、最終目標は勝ち上がること。そんなこと、わかっていたはずなのに。
きみとふたり、毎日楽しくポケモンのことばかり考えて、学んで、育てて、戦って、そんな日々が、ずっと続くみたいに錯覚して。
そしてきみはチャンピオンになって、わたしたちは別々の道を行くことになった。
危なかったよ、ダンデくん。きみが昔の『ルール』を言ってくれなかったら、この『手紙』をねだってくれなかったら、わたしはもしかして、ものすごくタイムロスをしていたかもしれない。
きみと一緒にいられなくなったことに動揺して、子供の頃に戻ったように不安定になって、情けなくも目標を見失ってしまったかもしれない。
『手紙』だからね、正直に書くよ。わたしは自分が思っていたよりも、賢くなかったみたいだ。考えてみれば当たり前の別離を、その時になるまで全然覚悟していなかったなんてね。
でも、もう大丈夫。きみがチャンピオンとして頑張るなら、わたしは別の道で頑張る。
ポケモン博士を、目指すよ。
だからもう、ジムチャレンジはしない。トレーナーも、卒業する。ワンパチ以外の仲間は、然るべきところに預けたり、野生に帰したり、きちんと行き先を決めたよ。
……いま、ダンデくんの声が聞こえました。
『どうしてトレーナーを、バトルをやめるんだ、ソニア!?』
どう? 図星でしょう?
そうだね、もちろん、ポケモン博士を目指しながらトレーナーも続けられる。なんなら、チャンピオンの座を狙ってもう一度、きみと熱いバトルだってできる。
でもね、わたしはもう、新しい目標を見つけてしまったの。
ダンデくんがチャンピオンになって、ひとりで知らない土地に行って、大人たちの中で頑張っている姿を、わたしは見ているだけしかできなかった。この数か月、すごくすごく歯がゆかった。
いますぐなにかをしなきゃ、始めなきゃ! って、それだけしか考えられなくなって。
いままで隣で走っていたダンデくんが、どんどん先に行っちゃうような気がして、焦ってた。
でも……焦れば焦るほど、もう、バトルをする自分を想像できなくなったんだ。
だってわたしは、ポケモンが好きで、ポケモンのことが知りたくて、だからバトルをしていた。ダンデくんと一緒に、バトルを通じてかれらを深く学んでいくのが楽しすぎた。
いま、ひとりになって、ダンデくんに追いつくためだけに、バトルがしたいかって自分に聞いたら、それは全然違うよって答えが返ってきたの。
わたしのバトルは、誰かを追いかけるためのものじゃなく、ポケモンを知るための手段だった。
だから、もうわたしは、バトルはしない。少なくとも、チャンピオンを目指すためには。
そのかわり、もっともっと深く、鋭く、広く、ポケモンのことが知りたい。何もかも。
だから、ポケモン博士を目指すよ。
ダンデくん。約束通り、毎年誕生日には手紙を贈ります。
正直に、嘘をつかず、こころの内を書きます。
ダンデくんは、無理しなくていいからね。チャンピオンは忙しいだろうし、わたしの誕生日なんて、忘れちゃうかもしれない。それでもいいんだよ。
でも、ひとつだけ、忘れないで。
わたしはあなたのライバルであったことを、誇りに思います。
ずっときみを応援している ソニアより】
一年で一番、大切で楽しみで切ないくらいに待ち遠しい、自分の誕生日。
朝一番に玄関のチャイムを鳴らして、プレゼントの包みを抱えたソニアが、満面の笑みで手渡してくれる便せんは、今年は無機質な配達員の手によって、郵便受けに入れられていた。
プレゼントはちいさな箱に入った万年筆。鮮やかな橙色がペン先に向かって濃い朱赤にグラデーションになっている。ソニアの色だ。ダンデはその重さを確かめるように手のひらで転がしながら、何度目になるかわからないほどの回数、手紙の文面を読み返していた。
チャンピオンになって初めての誕生日は、周りの大人の計らいで、一日オフをもらえていた。とはいえ、前日までジムリーダーたちとの調整試合や会合が詰まっていて、明日からはメディアに露出する前に必要なレクチャーやマナー講座、チューター制度による特別カリキュラムが待っている。
ただひたすらにポケモンを鍛え、夢中で突き進んだチャレンジを終え、ダンデはその身を玉座に据えた。少なくともこの一年は、彼はガラルの頂点にして王者であり、弱冠11歳の少年だからといって、その責任から逃れる術はない。
わかっていたことのようで、なにもわかってはいなかった。ダンデの引き起こした旋風は、ガラル中を巻き込み、膨れ上がり、ダンデそのものをすら飲み込んでいまなお増殖を続けている。
そんな、嵐にもまれる木の葉のようなダンデに、ひとつだけ残された命綱。
あの時、ソニアの手を掴み、決して離すまいとエゴ丸出しでつなぎとめた自分を、ダンデは後悔していない。
けれど、寂しげな眼差しで自分を見つめていたソニアに、どう思われているのかだけが怖かった。
ソニアを倒し、その夢を奪った自分が、それでも彼女の手を離さず、自分を見てほしいだなんて。彼女がどれほど真剣にポケモンを愛し、ジムチャレンジをしていたか知っているからこそ、ダンデはあまりにも無神経で傲慢な願いだと自覚している。
それでも、どうしても――。
11歳の少年は、5歳の頃から傍にいた、かけがえのない女の子の手を、離すことはできなかった。
そんなダンデの元に、誕生日に届いた手紙。ひどく懐かしい香りと、慣れ親しんだ筆跡は、読み進めるダンデの涙腺を刺激し、何度も目をこすって堪えた。
おそらくソニアは、相当の葛藤の末、この手紙をしたためたのだろう。同い年ながらも知能指数が高く、成熟した情緒と自意識を備える彼女にとって、これほどまでに赤裸々に、本心をさらけ出すことは苦痛だったかもしれない。
けれど、会おうと思えば毎日会えて、無遠慮に踏み込むことを許されていた近しい距離は、もうない。会いたくても会えない、声さえも届かない現状で、行儀よくソニアの建前を聞いてなどいられない。
多少無理やりでも、幼馴染の図々しさで、彼女の本心を暴かなければ。
身体の距離だけじゃなく、こころの距離まで果てしなく広がってしまう。
「……いやだぜ、ソニア……」
手の中の万年筆をぐっと握りこんで呟く。まるでチャンピオンを目指し、一途にジムチャレンジをしていた頃のような切迫した渇望を浮かべて、ダンデは金の瞳をそっと閉じた。