拝啓、いとしのきみよ
【親愛なる ダンデくんへ
9才のお誕生日、おめでとうございます。
今日だけは、おめでとう、と言わせてください。
夜、ちゃんと眠れていますか?
わたしの部屋の窓のかぎは、いつも開いています。夜、眠れなかったらいつでも来てください。
ご飯は食べられていますか?
スクールでの昼食の時は、みんなが周りに集まっているから、ダンデくんは普段通りに食べてるね。おうちでも、きっとおばさまやおじいさまたちを心配させまいと、元気にふるまっていると思います。
でも、ちゃんと美味しいって思えてるかな。味がしてるかな。
いまきっと、ダンデくんは水の中にいるみたいじゃないかな。
音が遠くで聞こえて、息が少し苦しくて、見えてるものがたまにゆがんで、手足が上手に動かせないんじゃないかな。
こわいよね。自分が自分じゃなくなるみたいな、そんな気分じゃないかな。
明日、そばに誰もいなくなるんじゃないかって、思ってないかな。
ダンデくん、わたしはダンデくんが心配です。
ダンデくんは、大丈夫だよって言うと思うけど。
本当に大丈夫なのかもしれないけど。
わたしは、ダンデくんが心配です。
どうか、ダンデくん。わたしに会いに来て。
いつまでも待っている ソニアより】
カタン、とちいさな音が鳴って、ソニアははっとしたように目を開けた。
傍らで眠っていたワンパチが、いつの間にか起き上がって窓を見つめている。唸り声はなく、短い尻尾をパタパタと振っているその様子に、ソニアは弾かれたように布団を蹴った。
そのまま、学習机の前にあるシェードを上げると、太い木の幹に腰掛けて、ばつが悪そうにこちらを見つめる金色の瞳が、夜の闇の中に浮かんでいた。
「ダンデくん……っ」
極力ちいさな声で呼びかけ、急いで窓を開く。鍵はかけていない。そのことに、ダンデはちょっとだけ眉を寄せたようだった。
少し見ない間に、幼いほほの線がこけたようなダンデは、ソニアに促されるままするりと部屋へ入ってきた。一階で眠る祖父母を慮り、音をたてないように窓を閉めたソニアは、ぼうっと部屋の中央に突っ立っているダンデを振り返る。
「ダンデくん」
そっと呼びかけると、迷子のような瞳が返ってきた。迷子といえば、彼が自力でソニアの家までたどり着けたとは到底思えない。見ると、腰につけたモンスターボールの中にヒトカゲがいるらしい。ソニアの部屋の窓に渡る木の枝に登る際、ボールに入れたのだろう。
「ヒトカゲ、出す?」
問うと、ダンデは少し考えてからゆるく首を横に振った。
ソニアは机の上に置いていたモンスターボールを手にすると、ダンデの足元でくんくんと彼の匂いを嗅いでいたワンパチに声をかけた。
「ワンパチ、少しだけごめんね」
言うと、従順な目をした相棒をボールの中に入れる。カチリと音がして、あとはダンデとソニアのふたりだけとなった。
薄闇の中、ダンデの金の瞳が俯きがちにソニアを見やる。ソニアは、生真面目で少し緊張したような面持ちで、ダンデへと手を伸ばした。
「ありがとう、来てくれて」
それから、ダンデの手をゆっくりと掴み、しっかりと握りしめる。緊張でわずかに冷たいダンデの指に自分の指を絡め、あの頃もらった大切ななにかを返すように、ソニアは静かに呟いた。
「もう、だいじょうぶだよ」
その言葉に意味はない。ただ、あの頃の自分は、誰かにそう言ってもらいたかった。
父と母を亡くしたソニアは、ただ安心できるなにかが欲しかった。
父を亡くしたダンデも、きっとそうだと思うのだ。
大丈夫だよ、と言ったところで、子供のソニアには、ダンデの境遇を救ってやることはできない。
いま、ダンデの胸を苛み、こころを荒らす悲しみや絶望を、ソニアはどうしてやることもできない。
彼の悩みも、寂しさも、怒りも、混乱も、途方もないほどの喪失感も、ソニアにはどうしてやることもできない。
ただ、傍にいることはできる。
ソニアの傍らに、ダンデがいてくれたように。
彼がそれを望んでくれるかどうか、ソニアは毎晩祈るように眠り、そして今夜、彼は来てくれた。
ソニアが傍にいることを、彼は許してくれたのだ。
「だいじょうぶだよ……」
言いながら、ソニアはダンデをぎゅうっと抱きしめた。彼のちいさな額を肩に押し付けると、それからほどなくして、そこがじんわりと熱く濡れてきた。
震える薄明の髪を撫で、痛いくらいに掴まれた背中の重みに唇を噛んだ。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ……」
意味のない言葉に、祈りを乗せて。
ソニアは、ダンデの身体を力の限り抱きしめ続けた。