拝啓、いとしのきみよ




【親愛なる ダンデくんへ


 20歳のお誕生日、おめでとうございます。
 って、この間も会ったのに、改めて手紙を書くって、なんか気恥ずかしいね。

 思えば、この『誕生日の手紙』を始めた時、わたしたちはまだ、プライマリースクールに通ってた。簡単な単語で書いた、たどたどしい内容のお手紙を、ダンデくんが喜んでくれたから、わたしも嬉しくて毎年書いてた。
 それから、ダンデくんがチャンピオンになって、離れ離れになって。なかなか会えない距離だったから、かえって『手紙』っていう手法で、お互いに素直な気持ちを表すことができてたと思う。
 でも、いま、わたしがガラルに戻ってきて、ダンデくんとあの頃よりは頻繁に会えるようになって……大人になっても、この『手紙』を出すのは、なんだかすごく、気恥ずかしいんだよね……

 ちいさいころの約束で、『年に一度の誕生日の手紙』でだけは、自分の心を偽らず、素直に、思いのたけを伝える……って、決めたのはわたしだけど。
 いまは、ちょっと、それが難しいです。

 ダンデくんは、約束を守ってくれて、決して誕生日の『手紙』の内容については、口にしたりしないけれど。
 わたし自身、きみの顔を見て、自分が手紙に書いたこころの内を思い出すと、いたたまれなくって恥ずかしくて、変な感じになっちゃいそうです。

 なので、今年はちょっと、ズルするね。
 本音も、弱音も、一回休み!
 自分の中で、もう少しいろいろ整理できたら、また手紙を書くかもしれないけど……
 そろそろ、わたしたちも素直じゃいられないオトシゴロ、ってことかもね?

 それはそれとして、たまにはアポとって会いに来てよね、と思う ソニアより】





 未成年チャンピオンだったころのダンデは、チューター教育やマナー講座などで生活を管理され、彼自身自由にできる時間は極端に少なく、そのため年に数度の里帰りすらままならない年もあった。
 けれど、成人したころには、チューターによる特別教育課程をすべて修了し、大学卒業相当の資格も取得済み。マナー講座などの対外的な訓練も不要となり、ようやく自分の裁量で動ける時間が増えていた。
 そういう経緯の末、最近のダンデは、月に二~三度の頻度でブラッシータウンを訪れていた。
 ブラッシータウンのポケモン研究所は、シュートシティからアーマーガアタクシーを使うと、途中の街で最低一回、疲労回避のために個体交代をはさむ必要があり、所要は二時間を少し超える。鉄道を使えば、ナックルシティでの乗り換えを経て二時間四十分から三時間。
 リザードンの通常運行は鉄道よりは早いが、それでも二時間半はかかる計算だ。
 たいていは往復五時間をかけ、滞在時間がせいぜい一時間にも満たない慌ただしい行程でやって来る。目的は研究所にある貴重な資料や最新の論文、ポケモンバトルに欠かせない情報収集としているが、本音はもちろん、ソニアの顔を見るためだ。
 そんなわかりきった意思は、けれど長年の幼馴染としての近い距離感が逆に邪魔をして、はっきりとソニアには伝わっていない気がする。
 いまはまだそれでもいいか、とのん気に構えていたダンデに訪れた、20歳の誕生日の翌日。
 彼は、分刻みのスケジュールを無理にねじ曲げ、普段は相棒を思って控えている“離れ業”を、あえて選んだ。
 発熱による寒冷防御と、防風気流をまとう火竜の力を最大限に引き出し――
 時速180キロで飛ぶ、最速のリザードンがブラッシーの空に火の軌跡を描く。
 それは、秘かにブラッシー名物と呼ばれていた。


 お茶の時間を過ぎたころ、ポケモン研究所の扉が開かれた。
「こんにちは、博士」
「こんにちは、ダンデ」
 正面の観葉植物に水をやっていた老齢の女性が、突然の訪問者に慌てる様子もなく顔を上げた。高速騎乗に耐える専用のライドギアに身を包んだダンデは、防風ゴーグルを脱ぐと、乱れた前髪をぶるりと振って整える。その様子に、マグノリアは呆れたふうに眉を上げた。
「……リザードンをお出しなさい。ちょうど、おおきいマラサダがあります」
「……感謝します」
 言うと、ダンデは少々気恥ずかしげに相棒のボールを投げる。現れたリザードンは、限界まで酷使した身体でそれでも快活そうにマグノリアに向かい、慕わしげに『ぱぎゅあ』と鳴いた。
 マグノリアは、温室のやわらかなクッションにリザードンを横たえらせ、甲斐甲斐しく世話をする。その、ポケモンに対する愛情深い眼差しは、孫娘とよく似ていた。
 再びダンデと対峙したマグノリアは、幼いころからよく知る青年が、緊張に強張った顔をしていることにもちろん気づいていた。そして、その理由も。
「ソニアなら、出ています」
「……どこへ」
「その質問に答える前に、あなたの用件を聞きましょう」
 静かなマグノリアの言葉に、ダンデは緊張で胃がすくみ上る思いだった。
 何千何万という観客を前に、崖っぷちのバトルを繰り返して培った度胸も威厳も、幼年期に叩き込まれた根源的な畏怖には勝てない。幼いころ、悪戯がバレてはソニアと一緒に𠮟りつけられた思い出が、ダンデの胸に苦くせりあがってくる。
「……ソニアに、話があって来ました」
「話ですか。リザードンを最速で飛ばせ、そんなふうに髪を乱してまで急ぐほどの、どんな話です?」
「……」
 沈黙するダンデは、けれど決して屈しない強い金の瞳でマグノリアを見つめていた。意志の強い眼差しに、マグノリアは一瞬複雑なため息をつき、それからゆっくりと杖をついて振り返る。
「……あの子が、あなたになにか泣き言を言いましたか」
 椅子に座り、静かに問いかけるマグノリアに、ダンデは首を振った。
「いいえ、なにも。ソニアはオレに、泣き言は言いません……いまは」
「いまは……そうですね。距離の近さは、あの子から素直さを奪ってしまうかもしれません」
「中途半端な距離だからです」
 力強く言って、ダンデはマグノリアに挑戦的な目を向けた。
「幼馴染の距離では、ソニアは打ち明けない。なら……」
「恋人の距離なら、夫婦の距離なら、あの子はあなたに救われますか?」
「っ」
 逃げ場がないほどはっきりと問われ、ダンデは一瞬言葉に詰まった。
 誕生日に贈られたソニアの手紙には、いままでになくはっきりとした『距離』が生まれていた。子供のころのような素直さ、ジムチャレンジ後の不安定さ、留学したころの苦しみや、己に言い聞かせるような希望も前向きさも、すべて隠したソニアの距離に、いてもたってもいられなくて、リザードンの背に乗ってやってきた。
 その焦りと混乱を見抜かれた気がして、ダンデは一度、おおきな息をつく。
「……オレが気持ちを告げることで、彼女が楽になるのなら、そうします。でも、きっとオレの想いは……いまの彼女には劇薬だ」
 わかっていても、どうしてもここに来ずにはいられなかった。理性的なことなどなにも浮かばず、ただソニアに会いたい一心で突っ走った自分を改めて恥じるように、ダンデは俯く。
 そんな青年の苦悩に、マグノリアは愛おしげに瞳を細めた。
「……あの子はいま、研究者としておおきな壁に突き当たっています」
 静かなマグノリアの言葉に、ダンデはつられるように眼差しを上げた。マグノリアは、温室のやわらかな光に目を細めながら、問わず語りのように続ける。
「19歳までに、博士号を四つも取得したことは、紛れもない快挙です。我が孫ながら、誇らしいほどの才能です。ですが、あの子は……『マグノリアの孫』なのです」
「……どういう、意味ですか?」
「本来ならば、なんの障害もなく手放しに評価されるものが、歪んで貶められる。『学術的序列』『身内研究の閉鎖性』そしてなにより、ガラルにおける『ガラル粒子の重要性』が、彼女本来の才能を阻害している……」
 ふう、と息をつき、マグノリアは視線をダンデに戻した。理知的なその瞳は、ダンデの愛する色。エメラルドグリーンのその奥に、彼女の孫娘の瞳と同じ苦悩が浮かんでいた。
「ソニアがいままでの経験で得た最大の強みは、『フィールドワークでの徹底的な調査』であり、『ポケモンの生態そのもの』に対する強い興味とこだわりです。彼女の真骨頂は、すでに解明された『ガラル粒子の働き』を追及することではなく、その根源的な謎……わたしの研究の、その先にあるものを追う力です」
「……」

 ――ハロンタウンやブラッシータウンの外には、どんなポケモンがいるんだろうね?
 ――ワイルドエリアの気候や、それにともなうポケモンの生体の変化や、気になることはたくさん、たくさんあります。
 ――自分の中で仮説を立てて、それを実証した時に得られるなんともいえない感覚。ポケモン博士への道のりは、意外なくらい、ポケモンバトルと重なる部分があって、ダンデくんと一緒に旅した時間が、本当に得難い経験だったなって思うよ。
 ――もっともっと深く、鋭く、広く、ポケモンのことが知りたい。何もかも。
 ――だから、ポケモン博士を目指すよ。

 次々と思い出されるソニアの言葉。彼女の魂に刻まれた、ポケモンへの愛と飽くなき探究心は、どれほどの回り道をしても、きっと彼女を新たな世界へ導くだろう――
 じっと押し黙るダンデへ、マグノリアは静かに続けた。
「いまの彼女は、自分の力を信じ切れず、もがいている状態です。ですが、研究者であれば、そうした苦悩は必ず通る道。自分自身の力で克服しなければ、決して高みは望めないのです」
「……はい」
「あの子を幼いころから見守り続けてきたあなたにも、辛く苦しい時間かもしれませんが……ダンデ。どうか、あの子を静かに見守ってあげて。あの子の力を、誰よりも信じているのは、あなたなのですから」
「……!」
 黄金の瞳を瞠って、ダンデは絶句した。
 他の誰でもない、ソニアの目標……ダンデの人生における初めての『師』ともいえるマグノリアが、断言したことは。
 ダンデが初めてソニアに出会ったほんの幼いころからずっと、彼の胸をあたため、彼のこころを照らし続けてきた光、そのものだった。

「ただいま戻りまし……あー、ダンデくん!」

 その時、弾けるような声が背後の扉から響いた。
 素早く振り返ったダンデの目の前に、ソニアが屈託なく立っている。彼女の足元から弾丸のように飛び出してきたワンパチが、嬉しそうに短い尾を振りながらダンデの足にまとわりついてきた。
「なによもー、またアポなしで来たの? まったく、しょうがないなあ。今日はなに?」
「……あ、えっと」
「ん? あれっ、リザードンどうしたの!?」
 温室で寝ているダンデの相棒に気づき、ソニアが慌てた声を上げるのに、マグノリアはゆっくりと杖を突いて立ち上がりながら、冷静に返した。
「少し疲れていたから、昼寝をさせているだけですよ。ソニア、私は家に帰ります。調査の結果は、明日の朝までに仕上げておくように」
「あ、はい。わかりました、博士」
 『助手』の顔で答え、祖母の道行を見送ったソニアは、扉が閉まったと同時にくるりとダンデを振り返った。
「さて。どーしてリザードンが疲れてるのかな、ダンデくん?」
「……えーと。ちょっと無理させた」
「またぁ? ダメじゃん、相棒は大事にしなきゃ」
 怒ったふうに腕を組み、それでも仕方ないなあ、とため息をつく。すぐに切り替えるように、軽い調子で踵を返した。
「ダンデくん、お腹すいてる?」
「えっ、うん」
「昨日のカレーがあるよ。リザードーン、大盛あげるから待っててねぇ」
「ぱぎゅあっ」
 ワンパチに顔中を舐められながら、リザードンが嬉しげに鳴く。ソニアは上機嫌に簡易キッチンへと消え、ダンデはまだ少しぼうっとしている面持ちで、それに続いた。
「……ソニア」
「ん~?」
 ぱたぱたと動き回るちいさな背中へ、ダンデが声をかける。こちらを振り返りもせず、効率よく準備するソニアに、ダンデはやわらかく微笑んだ。
「――ソニアのカレー、手早く食べられて大好きだぜ!」
「あっのねぇ。うちは食堂じゃないっつーの……まったくもう、ヒトのことなんだと思ってんだろね、ダンデくんは」
 ぶつぶつと言いながらも、鼻歌交じりに動くソニアを見つめながら、ダンデはこっそりと、舌の先に言葉を乗せる。

「――光」

「え? なんか言った?」
「いいや!」
 ニカッと屈託なく笑って、ダンデは自分用の大きな皿を出すべく、勝手知ったるキッチンへと入っていった。




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