拝啓、いとしのきみよ
【親愛なる ダンデくんへ
18歳のお誕生日、おめでとうございます。
それから、それから。もう、これを言いたくて半年我慢してたんだけど――
今年のわたしの誕生日プレゼント、とんでもない量の薔薇、びっくりした!
びっくりしたけど、すごく嬉しかったです。ありがとう。
研究室でいろいろあっても、ささくれた気持ちで部屋に帰れば、懐かしいガラルの初夏の香りがして、よし、頑張ろうって気合が入ったよ。
まあ……多少、量が多すぎて、花瓶が足りなかったりもしたけど……
ポプリにしたり、お風呂に入れたり、ワンパチの花冠を作ったり、思う存分楽しみました。
もう一度。ありがとう、ダンデくん。
そんなふうに、きみに気合を入れてもらったので、今年のソニアはとんでもなく張り切っています。
まず、去年から取り組んでいた『高エネルギー環境下におけるポケモンの昼夜行動モデル』の資料のため、ホウエン地方とイッシュ地方に短期留学に行ってきました。前にも話した、研究室のジニア先輩に勧められて、それぞれ数か月だけど、みっちり調査してきたよ。
ホウエンでは主に、異常気象下におけるポケモンの行動パターンを調査しました。高温・乾燥状態(グラードンの影響を模した実験エリア)における地上ポケモンの夜行性傾向を計測したり、潮汐・水位変化(カイオーガ由来)による水棲・両棲ポケモンの活動時間帯の変化を調べたり。どちらも、ガラルでは見られない現象や傾向があって、すごく勉強になった。
イッシュでは、地下エネルギーと都市型ポケモンの適応行動調査を軸に、ジャイアントホール付近の異常低温状態における夜行性ポケモンの活動ログや、リバースマウンテンの高熱地帯(火山活動+エネルギー鉱石)に住むポケモンの昼夜交代行動を調査してきました。
特にジャイアントホールは、若いときにクラベル先生も調査に携わったらしくて、色々細かくアドバイスをもらえたの。ジニア先輩は、実際に一緒に調査に加わってくれて、ふたりにはすごく、すごくお世話になったんだ。
でも、今回の論文は、あくまでもわたしの「単著」として発表するように、クラベル先生も、ジニア先輩も、最大限のバックアップをしてくれて。
その期待に応えるために、精一杯の力で論文を書き上げました。
いまは、最終審査の結果待ちです。
もしも、この挑戦がうまくいかなかったとしても……今回、色々な人の手を借りて、自分の限界まで力を出し切れたことが、なによりも自信に繋がる気がします。
……なんて。格好いいことを書いたけども、この手紙には、本音を書くのがルールだよね。
正直、学べば学ぶほど、知れば知るほど、自分に足りないものが増えていく気がするんだ。ポケモン博士への道は、終わりのないジムチャレンジみたいだって前に書いたけど、まさに、そんな感じです。
ダンデくんが、ずっとチャンピオンであり続けることの偉大さを――いまになって、改めて、ものすごいことだって実感してます。
わたしも、もっと頑張りたい。
誇れるなにかを、見つけたい。
……なんて、焦りばかりが募ってしまって、全くわたしらしくない、今日この頃です。
でもとりあえず今は、論文の審査が無事通るように、ワンパチを抱っこしながら長い夜を超えることにします。
ちょっとだけナーバスになってしまった、珍しい ソニアより】
音楽が止まると、ダンデは抑制のきいた仕草で、彼女の身体をそっと離した。
美しい赤毛の女性は、満足そうに頷いて、淑やかに礼をする。ダンデもそれに応え、――それからふ、とちいさく息をついた。
その瞬間、赤毛の女性が厳しい声を上げる。
「ノン! チャンピオンダンデ、女性の前でのため息、ルール違反です」
「すみません、マダム・オルデーヌ」
ピンと背筋を張ったダンデが謝ると、マダム・オルデーヌはわずかに鋭い視線を和らげ、微笑んだ。
「素直でよろしいですね。それでは、ダンスのレッスンはここまで……オゥ、そうでした。この後は、ミス・オリーヴから依頼されている、特別レッスンです」
「特別レッスン?」
この上まだあるのか、とダンデは素直にげんなりしかけ、マダム・オルデーヌの視線に慌てて表情を引き締める。チャンピオン専属のマナー講師は、ダンス講師も兼任し、さらにまた新たな教育を依頼されているらしい。
ローズ委員長肝入りの有能な女性は、底なしの忍耐力と確固たる信念をもって、ハロンの片田舎でのんびり過ごしてきたダンデ少年を、シュートシティの特権階級が主催する、最も厳格な晩餐会に出しても恥ずかしくない、洗練されたガラル紳士に仕立て上げた。
テーブルマナーや社交の話術、ダンスの作法などに至る上流階級の身の処し方から、ポケモンバトルのチャンピオンたる堂々としたパブリックモードまで、数年がかりで叩き込まれたダンデは、そろそろ免許皆伝のお墨付きを得られるところまで来ていたはずだが、ここにきて新たな課題を与えられるとは。
「ウィ、チャンピオンダンデ。貴方に教えることは、もうありません。このレッスンが、最後です」
厳しくも優しいマダム・オルデーヌの微笑みに、ダンデがほっと肩の力を抜いた。それから、ダンスホールの隅に用意された休憩用のソファセットへと向かうと、マダムが自ら淹れてくれた紅茶を喫しながら、最後の講義に臨んだ。
「さて、チャンピオンダンデ。貴方は今年、おいくつになりました?」
「先日、18になりました」
「ウィ。では、ここガラルでは、法的に完全な大人と見做される年齢ですね。飲酒・喫煙・選挙権・結婚など、大人の自由をすべて持つ立場となったわけです」
マダム・オルデーヌのなめらかな声に、ダンデはわずかに背筋を伸ばした。講義の内容にうすうす気づき始めた彼に向かって、マダム・オルデーヌは威厳のある微笑みを浮かべる。
「10歳でリーグの頂点に立ち、以来八年。貴方は同じ年頃の少年少女が享受する自由も、学校へ通う権利も、家族と共に過ごす時間すら、すべてを犠牲にして玉座に在り続けました。貴方の功績は素晴らしく、ガラルの英雄と称えられるものです」
「……」
「ですが、それと同時に。貴方はいままで、ポケモンリーグの傘の下、すべてにおいて護られてきました。おわかりですね?」
マダム・オルデーヌが静かにダンデを見つめる。ダンデは黄金の瞳をわずかに伏せ、それからまっすぐに視線を返した。
「はい。子供だったオレを、リーグ……ローズ委員長は最大限バックアップしてくれたと思っています」
「ボン。チューター教育による特別カリキュラム、ポケモンバトルに関わるあらゆる雑事、庶務、チャンピオンとしての諸事万端、そしてあなた個人の衣食住、すべてリーグでお世話をしてまいりました。もちろんそれは、チャンピオンたるあなたの当然の権利で、リーグの義務でもあります」
「はい」
「ですが、あなたが『未成年』であったことで、特殊なフォローが発生していたことも事実です」
言葉を切ったマダム・オルデーヌは、そこからがらりと表情を変えた。にっこりと楽しげに、まるで不出来な息子を見守るように目を細める。
「飲酒、喫煙、薬物、そして異性間交遊など、チャンピオンのパブリック・イメージを損なうものは断固として寄せ付けず、徹底的な管理下に置きました。さぞ、居心地の悪いこともあったでしょう」
「……」
マダム・オルデーヌの言葉に、ダンデは苦笑で答えた。明言を避ける彼に、有能な教師は軽く頷く。
「それでも、貴方はほとんど完璧なチャンピオン像を貫きました。その点、リーグからの信頼も絶大です。今後もおそらく、自分自身の首を絞めるような真似はしないと確信しています――しかし」
一段声のトーンを落として、マダム・オルデーヌが言葉を区切る。ダンデを正面に見据え、厳しい講師の顔でこう言った。
「ひとつだけ。貴方の年頃で、一番の懸念事項があります」
「なんですか」
「女性問題」
ズバリと言われて、ダンデは鼻白んだ。冗談でも言っているのかと思ったが、厳格なマナー講師は真剣な顔で続ける。
「自分には関係のないことだと思っていますか? ノン。大変甘い心構えです、チャンピオンダンデ。成人を迎えた貴方は、いままでリーグが護っていてくれた傘を出て、鵜の目鷹の目でチャンピオンの歓心を得ようとする美しきハンターたちを相手にしなくてはいけないのですよ」
「……」
悪いと思いながら、ダンデは笑いを堪えることができなかった。芝居がかったマダム・オルデーヌの台詞には慣れていたが、この手の話題はどうにも背筋がかゆくなる。下を向いて肩を揺らす教え子に、マダム・オルデーヌは眉を上げた。
「笑い事ではありません。貴方はもう、一人前のガラル紳士。女性の扱いを間違えれば、人生を棒に振ることにもなりかねないんですよ」
ぴしりと言い置く真剣な声音に、ダンデは居住まいを正して頭を下げる。
「すみません、マダム・オルデーヌ。でも、オレには無用の懸念です」
「貴方の方にはそのつもりはないでしょう。けれど、女性とは強かな生き物です。ことに、貴方のように地位、名声、富、そして好ましい容姿を兼ね備えた妙齢の男性は、常に『獲物』とみなされる覚悟が必要なのです。仮に絶世の美女が、貴方にすべてを委ねその膝に身を投げ出してきても、平然としていられますか?」
だんだん露骨になってきたマダム・オルデーヌの講義に、ダンデはけれども動じることなく淡々と答えた。
「ええ、まあ」
「いまここでは、なんとでも言えます。いいですかチャンピオンダンデ。男と女というものは、理性や理屈で説明のつかない事も多いのです」
一度言葉を区切り、マダム・オルデーヌは優雅に紅茶を喫した。その品の良いたたずまいから繰り出される下世話な講義のギャップに、ダンデはわずかに愉快になって、緩むほほの肉を嚙む。
だが――確かに、自分は社会的に成人と見做される年齢になった。いままでは、水面下で断固としたリーグの庇護に置かれていた諸々が、今後はダンデ個人の裁量に任されることも多くなるだろう。
その中でも、チャンピオンのイメージを著しく損なう懸念……女性問題は、いつの時代も著名人の足元をすくう危険性を孕む。
10歳の頃から玉座に座り、幼いながらもガラルのポケモンバトルファンを魅了し続けてきた清廉な王者は、その品行方正なパブリック・イメージが巨大であればあるほど、反動のダメージは計り知れない。神輿に担いだダンデの疵は、そのままポケモンバトル全体にまで波及しかねないのだ。
そう考えると、愉快だと斜に構えてばかりはいられないかもしれない。ダンデはわずかに居住まいを正し、マダム・オルデーヌが再び口を開くのを待った。
「貴方がいくら紳士的であろうとしても、魔が差すということもあるのです。そんな時、貴方の魅力に抗える女性は相当に少ないでしょう。貴方には、そういった力があるのですよ」
「……」
その言葉に、ダンデの眼差しの明度が下がった。わずかに暗くかげる黄金の瞳の先で、マダム・オルデーヌが丁寧に続ける。
「貴方はこの先、おそらくそれほど苦労なく女性の心を射止めることができるでしょう。男性の心理として、獲物を狩る快感も覚える年頃です。簡単に手に落ちる甘露に、夢中になったとしても不思議ではありません」
「……」
「貴方には、リーグトップのタイトル保持者として、果たすべき責任があります。スポンサーの意向に従う義務もある。その上で、大人として身を処し、己の魅力と力をきちんと自覚して、無分別な行動を控える理性を――」
「16歳で博士号を取得する女性を、どう思いますか、マダム・オルデーヌ?」
「え?」
唐突に切り返された問いに、マダム・オルデーヌは思わずぽかんと口を開いた。ダンデは構わず、わずかに自嘲的な笑みを唇に浮かべて、ソファの背もたれに身を預ける。
「17歳にして単身で外国へ渡り、四面楚歌の学閥の中、自力で二つ目の博士号を取得。厳しい環境下でも音を上げず、努力して前を向き道を切り開く女性は、オレの魅力とやらに気づくことがあると思いますか?」
会話の主旨が掴みきれず、けれどマダム・オルデーヌは素直に感嘆を口にした。
「まあ……それは、相当に、非凡な、女性ですね」
「そうですね。でも、彼女はそれに気づいていない。自分がどれだけ優秀で、高度なことを成し遂げているか自覚が薄く、自信なさげに弱音を吐くんです」
「……」
「そんな女性を助けることも、護ることもできないオレは、本当に力がある男でしょうか?」
ダンデには珍しい、自虐的な風情で呟く様子を、マダム・オルデーヌはじっと見つめた。ほんの幼いころから、彼女が根気よく作り上げた『ガラルの英雄』は、けれどまるでどこにでもいるティーンエージャーのように、自分の無力を嘆いている。
思いがけず、マダム・オルデーヌは最後の講義の成功を確信した。
「……チャンピオンダンデ……いえ、ミスター・ダンデ。貴方は、その女性に望まれる人間になりたいと願っているのですね?」
確信的な問いに、ダンデは一瞬怯んだように口を閉ざしてから、まさにティーンエージャーそのものの、熟れきった顔色で頷いた。心のうちを素直にさらけ出す少年王者は、いつだってこの、厳しくも優しいマナー講師には逆らえない。
そんな教え子を愛おしげに見つめ、マダム・オルデーヌはきっぱりと言い放った。
「ボン! 私の講義は、以上です。ミスター・ダンデ、貴方は私の『最高傑作』ですよ」
「……はい、マダム・オルデーヌ。いままでありがとうございました」
立ち上がり、握手を交わす。マダム・オルデーヌは可愛い教え子の金の瞳を見つめ、茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
「ミス・オリーヴには、チャンピオンダンデにはいかなる懸念も無用だと報告しておきましょう。どれほどの美女の誘惑にも、ハニートラップにも屈することはない、と」
「はは……感謝します」
気恥ずかしそうに苦笑するダンデに、最後の餞だと、マダム・オルデーヌが口を開く。
「非凡な男性には、非凡な女性がお似合いだと思いますよ。貴方が貴方の持てるすべての魅力を解放した時……さあ、その稀有な女性は逃げ切れるでしょうか? 大変に興味深いことですね」
その言葉に、ダンデは金色の瞳を瞠って。
それからちいさく、はにかんだように微笑んだ。