拝啓、いとしのきみよ
【親愛なる ダンデくんへ
17歳のお誕生日、おめでとうございます。
ちゃんとこの手紙を書くの、ずっと楽しみにしてた。
わたしたちの“ちいさいころの約束”――口に出すのはナシ、本音は手紙で、っていうあれね。
だから、この前のきみの手紙には、やっぱり手紙で返すよ。
――しょうがないなあ! 留学先でどんだけ忙しくても、絶対にこの手紙は、一年に一度、きみに届けるよ!
どう、安心した?
パルデアに来て、色々目まぐるしくて、ついついダンデくんにも弱音を吐いちゃったけど、だいぶ慣れてきたので、生活は落ち着いています。
研究は忙しいし、論文は難しいし、指導教官(クラベル先生っていうの。教授って呼ぶと照れるので、先生って呼んでる)は優しいけど厳しいし、先輩は気さくだけどなんというか、気が抜けない。
研究者なんて、みんなどっか癖が強いんだよね。もちろん、自戒も含め。
それから、去年すったもんだした共同論文『テラスタルエネルギーと行動異常:第一期報告』で、見事博士号を取得できました。
とはいえ、これはほとんどクラベル先生の主導で、わたしは第二著者として、おまけで評価してもらえたようなもの。先生はすごく親身になって指導してくれるけど、めっちゃくちゃ厳しくて、何度も何度も論文の書き直しをさせられた。そのうえで、データ分析やフィールド貢献値を高く評価してくれて、それが博士号の取得につながったと思ってる。
そして次の挑戦は、『高エネルギー環境下におけるポケモンの昼夜行動モデル』。パルデアの中心であるエリアゼロ付近の高エネルギー反応や、ナッペ山の地下鉱脈を通じてテラスタルエネルギーが流れ込んで、局地的な高エネルギー環境が発生している事象について、徹底的に調査・研究を重ねています。
そこで、調査協力のユニットを組むんだけど、その中にいるジニア先輩というのが、なかなかにクセモノなの。
見た感じ穏やかで、物腰はやわらかいんだけど、なにを考えてるかわからない……すっごくつかみどころのない人です。でも、言ってることは理路整然としてるし、ふわふわ~って話してるつもりが、いつの間にかものすごく深い沼に引きずり込まれるみたいな……うん、不思議な人。
でもすごく親切で、いまのところ、クラベル先生の他では一番頼りにしている存在なんだ。
今度の論文は、単著を目指してるんだけど、わたしの年齢で、しかもよそからの留学生という立場上、目立つ行動をするとどうしても口を出されたり、やっかまれることもある。そんな時、クラベル先生やジニア先輩はさりげなく庇ってくれます。
研究職って、みんな頭がいいのに、人間ってどこまでも嫉妬や欲を捨てきれない生き物だなあって思うよ。
もちろん、わたしも。
わたしが目指しているポケモン博士。そこに至るまで、どれだけ泥をかぶっても、どれだけ傷つけられても、絶対に諦めたくはない。
それでも、どうしても、辛いなあって時は。
――ワンパチのお尻に顔を埋めて、思う存分吸ってます!
パチ吸いは、研究室のみんなにも結構好評で、ワンパチはアイドル街道まっしぐらです。パルデアには、パモっていうこれまた可愛いポケモンがいて、日々の癒しには事欠かないけれど、やっぱりワンパチが一番だな。
ああでも、久しぶりに、リザードンの固い皮膚に触りたいなって思う時があるよ。
あの子がまだヒトカゲのころからの癖で、あごの下のちょっとやわらかい皮膚を爪でひっかいてあげると、まるで猫みたいに喉を鳴らすよね。
最強無比のチャンピオンポケモン、リザードンの、あの甘えた唸り声をまた聞きたいな。
今夜はリザードンの夢を見たい ソニアより】
矢も盾もたまらない。
そんな心境で、一日を過ごした。
出番を終え、チャンピオンとしての義務を果たしたと感じた瞬間、身体は正直に走り出していた。
回廊を足早に過ぎている間、頭に浮かぶのは昨夜届いたソニアからの手紙。パルデアでの日々をユーモアを交え、時に学術的な成果を明かしながら、彼女らしくつづり――
そして、隠しようもなく滲んだ、その弱音。
嫉妬にまみれた人間の欲深さや醜さを、いやというほど目にしてきたダンデには、ソニアが置かれている状況が手に取るように察せられる。いま、彼女は10歳のころのダンデが味わっていたような、息苦しいほどのプレッシャーに押しつぶされそうになっている。
それが、ダンデにはわかる。
そして、ダンデのこころにソニアがいたように、ソニアのこころにも、きっとダンデがいるだろうことも。
リザードンに会いたい、ということが、そのままダンデに会いたい、と読み解くのはたぶん、ダンデの希望的観測にすぎないだろうけれど。
彼女の文面に見え隠れする、『頼りにしている存在』とやらが、自分の焦燥に拍車をかけていることも、重々自覚の上で。
「オリーヴさん!」
ようやく見つけた細い背中に、ダンデは鋭い声を上げた。
何事かと振り返る冷静な瞳に、矢継ぎ早に告げた望みは、しかしほとんど間髪を入れずに却下された。
「どうしてもですか、オリーヴさん」
「どうしてもです、チャンピオン」
真剣な表情で詰め寄るダンデを、オリーヴは軽くいなす。冷ややかなまなざしで、話はこれで終わりだとばかりに踵を返すその後ろ姿に、ダンデは固く拳を握った。
却下されることなど、火を見るよりも明らかだった。それでも、どうしても、口にせずにはいられなかった願い。
激情を抑えるように、ダンデがふぅ、と息をついた時。
「……おぉい。なんか、シリアスだな」
「通行の邪魔ですよ」
背後から、聴き慣れた声がする。シュートスタジアムの選手控室へ続く回廊での一幕なので、特に人目をはばかっていたつもりもないが、人に聞かれて気持ちのいい場面でもなかったと、ダンデは切り替えるよう振り返った。
「キバナ、ネズ。お疲れ」
「おう。とりあえずオレさまたちの出番は終わったぜ」
「毎年どこかしら改良を加えますねぇ、このスタジアムは……」
基本的にダイマックスバトルを想定した強固な作りになっているシュートスタジアムだが、ダイマックスバトルを頑なに拒むネズや、天候ポケモンを操るキバナのバトルでも十分に迫力を持ち、観客や中継を盛り上げられるよう様々な工夫がなされている。そのため、ジムリーダーは折に触れ調整試合を行い、それによってガラルのポケモンバトルは一流のエンターテイメントとなっていた。
「この後の予定は?」
キバナがダンデに問う。ダンデは腰に提げたボールに手を添えながら答えた。
「オレたちの出番も終わりだ。今日は少し暴れたから、リザードンたちはこのままセンターに預ける手はずになってる」
「お。なら、飲みに行こうぜ!」
「は? オマエら未成年だろうが」
クマの濃い瞳をじろりと流すネズに、キバナは明るく笑う。
「もちろん、エールじゃねーよ、ジュースだジュース」
「なんだそりゃ。おれは失礼しますよ、この後予定が……」
「マリィも呼んでおいたぜ。スタジアム裏の、パブ」
「はぁあ!? ふざけんなや、正気で言いよっとか!?」
瞬間的にブチ切れたネズが詰め寄ると、キバナは高い上背で逃げるようにつま先立ちになり、胸ぐらを掴むネズにどうどう、と両手を上げた。
「大丈夫だって! レナたちに迎えに行かせたし、パブっつっても健全で、夜九時前はおこちゃまも歓迎してる、オレさまの馴染みの場所! 一応、奥の個室もキープしてるから超安全だっ」
「……」
不承不承キバナの胸倉を離し、ネズははぁ~っとため息をつく。妹を人質に取られては、このまま帰るわけにはいかない。
そのままずんずん歩き出すネズの後ろを、ダンデを伴ったキバナが続く。人の好さげな笑みを浮かべて、キバナはダンデに問いかけた。
「んで? さっきのはなんだよ」
「さっき……ああ、オリーヴさんとのことか」
やっぱり見逃してはくれないよな、と、ダンデはどこか気恥ずかしげに笑う。
「いや、ちょっと無理を言ったんだ。もともと難しいとは思っていたが……」
「無理? 優等生なバトルジャンキーには珍しいですね。ワイルドエリアに一か月こもりたいとでも言ったんですか」
興味を引かれたようにネズが振り返る。ダンデを中央に、男三人が横一列になって歩くスタジアムの回廊は長く、ダンデはぽつりぽつりと漏らし始めた。
「いや……旅行に、行きたいって言ったんだ」
「旅行? お前が?」
およそダンデのイメージにはかけ離れた願いに、キバナとネズがそろって声を上げた。10歳のころから王座に君臨しているバトルバカは、ポケモンバトルと、チャンピオンとして求められる公的な態度や礼儀作法以外、ほぼ赤ちゃんと言っていいほど無知で無欲で、情操教育の敗北とすら言われている。(もちろん、ダンデの本質を知る、キバナを筆頭としたジムリーダーたちの愛あるいじりだ)
「どこに行きたいんだよ。近場なら、なんとかねじ込めねぇの?」
非常に珍しいダンデの願いを、叶えてやるくらいできないのかと、キバナが人の良い面を見せる。それに、ダンデは沈んだ口調で答えた。
「……パルデアに」
「パルデアぁ?」
「国を超えますか」
それは、一日二日で行ってこれる距離ではない。まとまった休みでのバカンスならばいいが、ダンデがねじ込めるわずかな休暇では、とんぼ返りも苦しいだろう。
まして、来月から始まる今シーズンのジムチャレンジを控えては、彼が長く不在にできるはずもない。チャレンジ中はいたるところでチャンピオンの露出は増えるし、ファイナルトーナメントに向けての調整も始まってくる。一年を通して、一番忙しい時期だと言っても過言ではなかった。
キバナとネズは顔を見合わせ、チャンピオン業七年目のダンデが、それに思い至らないわけがないと目で語る。その上でどうしても、無理を通したいと談判したわけだ。
いったい、パルデアになにがあるのか。
豪放磊落に見えて、案外秘密主義なチャンピオンに、今日ばかりは突っ込んで問うてみたいと、キバナはにやりと犬歯を見せて笑った。
「まぁまぁ、愚痴ならオレさまたちがたっぷり聞いてやるぜ~。酒は出ねぇけど、料理が美味いのよ、オレさまの馴染みパブ」
「はぁ……仕方ねぇな。マリィをホテルに帰してからなら、付き合ってやらねぇでもねぇですよ」
なんだかんだ言って面倒見のいいネズも、腰を据えてダンデに付き合う気になったようだ。年の近いライバルたちの気遣いに、ダンデはわずかに気持ちを上向かせるように微笑んだ。
「ありがとう、キバナ、ネズ。とりあえず、リザードンみたいな肌触りになるためにはどうしたらいいか、相談に乗ってほしい」
「……おいやっぱ強い酒が欲しいぜ」
「あと一年我慢しやがれ」
間の抜けた掛け合いを続けながら、少年たちはスタジアムの回廊を出口へと進んだ。