あなたのそばに
ガンルームから乱暴に出てきたバルトは、むしゃくしゃした足取りのまま迷いなくギアハンガーへと向かった。
急ピッチで行われているギアの修繕作業は、予定通り明日の夜までには目途が立つ。それまでの短い時間に、この理不尽な現象をどうにかおさめる術を探すとなると、一刻の猶予もなかった。
「おう、お疲れさん」
「若!」
アンドヴァリの修繕チームに声をかけると、嬉しげな顔で迎えられた。熟練の技を持つクルーたちは、バルトの命を預ける機体を一筋の余念もなく修復し、整えてくれる。その功績に感謝を抱きつつ、けれどどうしても譲れない願いを口にした。
「あのさ、これからギアを出せるかな」
「えっ?」
驚いたように目を丸くするクルーに、バルトは拝むように言った。
「頼む。どうしても、フィールドに出なきゃなんねぇんだ」
「いや、しかし若。アンドヴァリの調整はまだですし、なにしろ損傷が激しかったんでパーツの交換もままなってません」
「いや、そうだろうけどさ……」
「不安な状態でギアに乗せるわけにはいきません。俺たちの面目にかけて、できない相談です」
きっぱりと断られ、その言い分には頷くところしかない。バルトは苦渋の表情で、深く頭を下げた。
「すまん。無理を言った」
「いいえ、そんな」
「作業を続けてくれ」
取り繕うように笑って、バルトはギアハンガーを後にした。
フィールドに出るにしても、一人では心もとない。ギアに搭乗して出て行く算段も、考えてみれば無理が大きかった。落ち着いているようで、どこか混乱している自分の横っ面を一度平手で叩き、気合を入れるように息をつく。
状況を鑑みれば、理不尽で不可思議な現象ではあるが、実害はほぼない。バルトとマルーが触れ合えないことは、戦争の最前線に立つ戦艦ユグドラシルの運行にも、ましてそれぞれの思いを抱いて命を賭している仲間にも、なにひとつ関係はないのだ。
自分とマルーだけが飲み込めば、なにも問題はない。それに、この現象がどれほど続くのか、原因を突き止めたところで改善が見込めるのか、なにもかもがわからない状況で、時間を割いている余裕はない。
頭では、冷静な判断が次々に浮かんだ。
それでも、どうしようもなく気持ちが騒ぐ。なにも問題ないと言いつつ、一歩も動けないほどの焦燥感に胸がつぶれそうだ。
とにかく、原因を。
「わか」
ふと顔を上げた瞬間、目の前にぼんやりとたたずむマルーがいた。薄暗いハンガーの隅、出入り口を背に立つ彼女は、どこかふわふわとした表情でほほ笑んでいる。
「マルー?」
その名を呼び、近づきそうになって触れ合えないことを思い出した。別に、常からそれほどべたべたと触っているつもりはないが、幼い頃から傍にいて、その熱を分け合うことが当たり前だった相手に、うかつに触れることさえできないというのは、思った以上のストレスを感じることだった。
その苛立ちをぶつけるつもりはないが、まるで餌を前にお預けを食らっている犬のような情けなさを感じて、ふてくされることは抑えられそうになかった。
「なんだよ。しばらく俺には近づくなって言ったろ」
こんなセリフを吐かなくてはいけないことすらストレスだ。バルトが苦々しく思っているのも知らず、マルーはとことこと気軽に近寄ってくる。
「おい、マ……」
きつく注意しようと声を上げる間もあればこそ、マルーは数歩の距離をたたたっと軽やかに駆け、驚くバルトの正面から抱きついていった。
「わっ……」
あまりにも意表を突いた行動に、さしものバルトも反応を返すことができず、されるがままになった。自分の胸に飛び込んで、ぎゅうぎゅうと腕を回すそのぬくもりも重さも、間違いなくマルーのものだ。
だが、強烈な違和感がある。一体、どういうことだ?
「おい、マルー……ちょ、なんで? 治った? おい……」
「わか」
どれほど触れ合っても衝撃も痛みもない。当たり前の日常といえばそうだが、だったら何故、先ほどまでは異常があったのだ。ひたすら疑問が湧き上がったが、そんなことよりも、自分の胸に懐いて腕に憩うマルーの懐かしい香りやあたたかさに、情けなくも安堵で力が抜ける。
時間にすれば、ほんの数時間。ただ『触れ合えない』という事実だけがあって、なにも不便や害はなかったはずのその間、自分がどれほどのダメージを負っていたのか、改めて気づいた。バルトはほうっと息をつきながら、マルーを抱く腕にギュッと力を込めた。
それからふと、改めてまじまじと、自分の胸の中のちいさな頭を見やると。
そこには、白い野花の花冠が乗せられていた。
「――ん?」
その瞬間、フィールドであった出来事が勢いよく思い出され、まさかと思いながら腕の中のマルーに問いかける。
「ま、マルー」
「わか」
「おい、お前……マルー、だよな……?」
「わか」
ただひたすらにバルトを呼びながら、マルーはふんわりと笑った。そのちいさな唇が、わか、と甘く囁くたびに、バルトはなにも考えられなくなる。とにかく、この腕にマルーが戻った。どれほど触れ合おうとも、誰に文句を言われる筋合いはない。
バルトは一切の考えを放棄して、ただひたすらにぬくもりに酔っていた。