このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

日常

セックスについての一考察

2021/05/22 23:23
考えたこと
題名の通りです。
セックス。別の言い方をすると性交とか性行動とかね。色々あるけどまああれのことです。なのでそういう話に耐性のない方は回れ右で。


皆さん、『純猥談』ってご存知ですか?
様々な方から性愛に関する体験談を募っているサイトです。それを元にした短編映画や楽曲などもあるし、最近書籍化もされました。

純猥談



私ね、これすごく好き。
寝ただけで特別になれると思ってる奴もいれば、そんな事ないととうの昔に知っていて、そんな絶望の中で抱く奴もいて。好きな人と寝ることは容易くても好きな人の好きな人にはなれない。あの時寝ておけば。あの時寝なかったら。

小学生の頃に思い描いていた性と恋が結びついていない、単純で、清くて、美しい物語はこの現実には存在していないことを、今の私は知っています。
あれはフィクションの中のフィクション。きっとそんな恋愛がしたかった、という大人の描いた桃源郷。

プロフィールにも書いていますが、私は人間の『喪失』にとても魅入られてしまっている人間です。

例えば、お気に入りのマグカップがあるとしましょう。とある雑貨屋で見つけた可愛いからマグカップ。冬はココアなんかを入れて使っている。
ところが、ある時不意に落としてしまい割れてしまう。それはもう粉々に。もうそれはマグカップでは無い。なんの意味も成さないタダの陶器の欠片に成り下がってしまった。ほんの一瞬の不注意のせいで。
この破片を片す時には何を考えるでしょう。ここで「片付けるのが面倒だ」などと思うようなキャラクターは私の世界には不要です。私の世界の住人はこのとき、見つけた時のあのときめきを思いだす。あるいは、粉々になったことで奪ってしまった未来を。

きっと、このマグカップが割れずにずっとずっと使われて、でもいつか忘れ去られて食器棚の奥で眠り続ける、よりは余程物語でしょう。壊れてしまった方が、美しい。だってその人の心を砕いたんだから。砕くまでいかなくていい。傷が少し入る。それだけで、存在した意味がある。

純猥談の後悔エピソードも同じだと思っていて。
あの時寝なければよかった。と後悔できているのは、寝たことによって心に傷がついたから。その人はその後長い時間その傷と共に生きていかなければならない。これはある種の呪いです。俗に言うトラウマってのと似てますね。
或いはあの時寝なければよかった、というのは、寝たことによって奪われた未来があるということでもあります。もう手に入ることの無い未来。自ら絶ってしまった幸せへの道筋。

大人ってね、そういう後悔を背負っているものだと思っています。
その個数は問題じゃないんだ。傷との向き合い方だと。あったかもしれない未来にどう蹴りをつけるか。今の筋を全肯定するのもいいでしょうし、忘れてしまおうとするのも手。ある人は取り戻そうと必至に藻掻くかもしれない。それが間違っていると分かりながらも。
でもいいんです。たぶん、きっと、そういうことをしないと大人になれない。傷のない人間は大人ではない。

セックスの話に戻ります。

先程から大人というワードが出てきていますが、さて、大人を象徴するものって何が浮かびますか。
権力、金、車、酒。そして、セックス。

これね、上に書いたものの中で「年齢的に大人ではなくても手に入れられるもの」があるの分かります?そう、セックスです。何歳になったらセックスして良い、なんて決まり事はない。その気になれば、小学生だって出来てしまう。

セックスって、子供が大人ぶるのに丁度いいおもちゃなんです。だって、できるもん。僕にはペニスがついているし彼女には穴が空いているしで、じゃあできるじゃんって。
自力でお金は稼げないし運転免許は取れないしお酒とタバコは買えないけど、これならできる!ってわけ。

純粋無垢な子供が大人に憧れる。
早く大人になりたい。近づきたい。
どうしたら大人になれるだろう?
色々考えた結果がセックスです。
で、セックスしてみて気がつくんですね。
大人というものの虚無と、自由と、憧れる対象でもなんでもないことに。または、そんな大人たちに敵わない自分の無力さに。

この絶望こそが私の大好物。
キラキラした幻想が壊れる瞬間。喪失です。別に童貞卒業とか、処女を捨てるとか、そんな事に一喜一憂することなんてしません。仮にそこを取り上げるとしても、その先、卒業してからの捨ててからの、得たものに対する失くしものの大きさに興味がある。

ああこんなもんなんだ。
大人への過度な期待。これこそが子供がこどもと呼ばれる所以。
その幻想が破れた先の話を私は書いていたい。または、その過度な期待を懐かしむ元子供たちを。傷の癒し方を探しながら生きていかなければならなくなった子供の亡霊を。


ここで私の好きな作家の紹介を。
山田詠美さんです。中でも学生たちを書いた小説が好き。
『放課後の音符』という短編集があるのですが、その解説をなさっている人が、
「学生時代にこの文庫本をカバンの中に常に潜ませていたかった」
と書かれている。私は忠実にそれを守りました。高校時代の通学カバンには常にこの本が入っていた。私の心の安定剤でした。

恋という大人の階段を登るのか登らないのか。登ったとしたら、どうなっちゃうんだろう?瑞々しいんです。まだ傷を負っていない男の子と女の子の放課後のおしゃべり。
少し古い本ですので中古本としてなら安く手に入ると思います。また読み返そうかな。


私はセックスは必ずしも恋人同士でのコミュニケーションツールではないと思っています。友達としてのセックスだってアリだって思うんです。互いの了解があって幸せなら良い。最高級のおしゃべりですよね、あれって。相手に気持ちよくなってもらいたい気持ちって素敵です。エロス。子供を作る時だってあるんだぞ。生への渇望。イコール、あなたと繋がりたいという思い。

お気に入りのマグカップは壊れてしまった。あの頃あんなに憧れた人は大したことない人間だった。それでも良い。今はただあなたとの永遠が欲しい。
命を継ぐって、ひとつの永遠の形なのかもしれませんね。


脈のない文章となってしまいましたが今回はこの辺で。

コメント

[ ログインして送信 ]

名前
コメント内容
削除用パスワード ※空欄可