お姫さまの墓
「……よしっ」
改札から踏み出す。熱い風が頬を撫でる。昨日はどんより曇ってたのに、今日は快晴。
迷いなく足を進める。向かう場所はただひとつ。だけどまず、花屋さんに寄らないと。
白い木造の建物の前には所狭しと花の苗が並んでいる。木彫りの板に店名が書かれているはずなんだけど、雨に晒されて劣化したのか店の名前は読み取れない。なんとか読み取ろうと看板前で難しい顔をしていると、中から赤毛の店員さんが出てきてくれた。
「萌木。フラワーランド萌木。古臭い名前でしょう」
「そんなことないです」
「あらありがとう。この名前、祖父がつけたのよ」
彼女は薄らと笑った。この人、笑うと右にえくぼが出来るみたい。いかにも花屋さんの店員さんって感じの、柔らかい雰囲気のある人。
駅を降りてすぐに花屋がある事を知ったのはほんの数ヶ月前のこと。それまでは電車に乗るまでに花束を買って、花束を抱えて電車に乗っていたのだけど、これじゃあ月イチで送別会帰りみたいになっちゃうから恥ずかしかったんだよね。
「いやあ、今日は暑いですね。友達が寮を出るときに帽子を被った方がいいって言ってくれてたのに、結局被らずに出てきちゃって」
「私の、貸しましょうか?」
「いや、いいんです、ありがとうございます」
彼女は店内に僕を案内してくれた。一ヶ月前に来た時とは全く様子が違っている。店の中にある花の色味が違うからかな。でも花の匂いで店中がいっぱいってことは、前に来た時と変わってない。
「ほら見て。あなたの髪と同じ色」
「わあ、ほんとだ。綺麗に咲いてますね」
「バラは今の季節が1番なの。私、このバラを入荷した時一番にあなたの事を思い出した。あの1ヶ月に1度のお客さんと同じ色だなあって」
「なんか照れるなあ」
姫宮も言ってたっけ。今の季節がバラは一番綺麗だって。いつも姫宮のバラ園に出入りしてるからバラ自体は見慣れちゃってるけど、この色のバラはなかった気がする。
「よく僕のことなんて覚えていられますね。僕だったら月に1回だけのお客さんなんて忘れちゃうなあ」
「だって、あなた目立つもの。それに、買っていくものもいつも同じだし。……今日も一緒?」
「あ、はい。お願いします」
「任せて」
彼女は店の奥から立派な白い花を持ってくると、これよね、と僕にめ戦を送ってくれた。洗いたてのシーツのように白い花びらが四方に綺麗に散っている。切って長さを揃えて束にして、紙でくるんでリボンで止めて。店員さんの手つきは、ミッキーのピアノの手元と同じで滑らかだ。楽器を弾くように花を包むなんて素敵だなあ。
「リボン、ピンクにしといたから。きっと喜んでくれると思うわ」
お会計を済ませてユリの花束を胸に抱くと、ふわっと花の匂いが僕を包んだ。
「ありがとうございます。こんなに綺麗な花束なら、喜ばない訳ないですよ。リボンの色まで気を使ってもらっちゃって。店員さん、優しい人なんですね」
「……萌木よ」
「へ?」
「私の名前ね、萌木。お店の名前と一緒なの。私が生まれた時に一緒に始めたお店だから、祖父が一緒にしたらどうだって」
「そうだったんですか……」
「本当に優しいおじいちゃんだった。このお店はおじいちゃんとの思い出の店でね……」
ふと、萌木さんは店の外へ目をやる。また電車が着いたところのようで、数人の人達がみんな揃いも揃って同じ道を登っていく。着飾った人なんていない。大きな声で話しながら歩く人も、いない。皆、真っ直ぐに道の先を見つめながら歩いている。
「ここはさ、誰か大切な人を亡くして、普段通りに生きようとしているけれど、時々恋しくなってここへ来ちゃうっていう人が沢山来てくれる場所なの。君もその1人かもしれないね。」
ドキリ、とした。
「私不思議だったの。おじいちゃんが何故こんなところに花屋さんを開いたのか。そりゃあユリの花は沢山売れるけれど、普通に考えたら街にお店を出した方がいいじゃない。だけど、おじいちゃんはここにこだわった」
なぜだと思う?と萌木さんは聞く。残念なことに、僕にはわかってしまう気がした。分からない人が羨ましい、とも思う。
「わかるって顔、してるね。あなたにはわかると思う。でも私には分からなかった。……あの日が来るまでは」
「あの日?」
「おじいちゃんが死んじゃった日よ。今から5年前のこと。ある日突然ぽっくりとね。朝ベッドから起きてご飯を食べて、学校に行って授業を受けて。放課後になったら友達と遊んで家に帰る。そういう、普通の中から、ぽっかりとおじいちゃんがいなくなる。穴が空いたように。そう、私、それまで失くしたことがなかったの。だから、分からなかったの」
パパ、ママ、ほら見て!
一生懸命に描いた絵を見て褒めてくれる2人は、もうこの世にはいないと知った日。
穴。果てしない、穴。
「私ね、今でも夢におじいちゃんを見るわ。その度に泣いて目が覚める。そんなもう戻らない穴を抱えている人には、花が必要なのよね。花でその穴をいっぱいにして埋めてやる。そのお花を渡す場所として、ここは必要なんだ」
改めて店の中を見回す。色とりどりの花、花、花。花びらの形も違えば葉の長さも違う。僕には名前も分からない花が、所狭しと並んでいる。もしかしたら、この花は、人によって違う形をした穴を埋めるために、多種多様なのかもしれない。
「ごめんなさい、こんな話。なかなか、歳の近い女の子ってここには来ないから……」
「ウテナです。天井ウテナ。僕の名前」
「ウテナさん。いい名前ね。ぜひ、また来てね」
「もちろん」
店を出ると、更に気温が上がっているような気がした。青空に浮かぶ雲は風に押されて足早に流れていく。ぐっと花束を抱き直すと、墓地へ続く道へ踏み出した。
父さん、母さん。今、会いに行くよ。