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お姫さまの墓


「ウテナさま、どこかへお出かけになるのですか?」
「あ、うん、ちょっとね」

エプロン姿の姫宮が驚いたように目を丸めた。艶やかな肌にウェーブのかかった青紫の前髪はよく映える。今日も長い髪をいつものようにくるくるっと纏めているけれど、あれ、どうやってやるんだろう。僕には難しそうかも。なんて考えていると、姫宮はくるりと背を向けて急ぎ足で行ってしまった。階段を上がる音がする。
月に一度だけ、僕は学園を出ることにしている。いや、別に月一じゃ無くてもいいんだけど。でも、月に1回だけ。必ず。
外出許可書は事務室から発行してもらった。あそこであれを買うのを忘れないようにしないと。帰りにあそこに寄って……。やることが多いと頭がこんがらがっちゃう。僕は一度に沢山のことをするのが苦手なんだろうなと思う。
今日は土曜日。学校は休み。クラス会も無い。本当は男子バスケの助っ人に呼ばれてたんだけど、それも今日はパス。バスケ部のキャプテンは残念がってたけど、助っ人をそこまで当てにされても困るって話なんだよなあ。にしても、今日体を動かさない分、明日は運動しないと。体が鈍ると調子狂うし。

「ウテナさま、お財布、持ってらっしゃいますか?」
「財布?」

エプロン姿の姫宮が何かを差し出してくれている。黒くて小さなポーチ。小さな金のバラのチャームの付いた。

「あっ、いっけない!ありがとう姫宮。財布を忘れるなんてシャレにならないよなあ」
「お掃除してた時に見つけたんです。お出かけになるのにここに置いてあるのはもしかしてと思って」
「掃除も君一人にさせてしまって悪いのに忘れ物まで注意してもらっちゃって。申し訳ないな」
「いえいえ。気にしないでください」

鳳学園から歩いて少しで最寄り駅。そこから電車に乗って……30分くらいかな?で、着いたはず。転校してきてから何回も行っているはずなんだけど、どうにも覚えられないんだよなあ。最寄り駅の名前とか、そこまでいくらかかるとか。

「ところでウテナさま、今日は暑くなるそうですから帽子を被った方がいいみたいですよ」
「え、そうなの?あーでもあんまり歩かないし……」
「では移動は自転車ですか?」
「ううん、電車で」
「…電車……?」

姫宮、きょとん。

「電車って、あの鉄の箱に乗るやつですよね?」
「……え?」
「違いましたっけ」
「いや、あらまし合ってるけど、鉄の箱って……。も、もしかして姫宮、電車乗ったことない?」
「ありませんねえ。お話で聞くくらいで」

電車に乗ったことない14歳って、いるんだなあ〜…。なんか逆に感心しちゃうな。姫宮って根っからのお姫様なのかも。移動はいつでもタクシーだとか?

「じゃあさじゃあさ、バスは?乗ったことある?」
「バス……お風呂には毎日入りますよ」
「じゃなくて!バス!乗り物の方の!」
「あー、皆さまが通学に使ってらっしゃるやつですよね、車の長いバージョンみたいな」
「そうそう。乗ったことは?」
「ありません」

バスもないのかあ。僕はバス酔いには強いけど、姫宮はどうなんだろう。勝手な想像だけど、弱そう。

「というか……」

エプロンを首から外して折りたたむ。いつもの白いフリルの着いたエプロンだ。その手つきは慣れたもので、ススッとお店に並んでいるように畳んでしまう。

「私、学園から出たことがありませんから」
「えっ、そうなの?」
「はい。小中と鳳学園ですし、寮も敷地内の部屋を使わせて頂いていましたし」
「初耳だなあ」

確かに、突き詰めたところここにいれば無為に外出しなくても生きていける。食事は学食で食べられるし、自炊するにしても材料は配給所に取りに行けばある。欲しいものがあれば学生事務室に言えば取り寄せてくれるし。もちろん、カタログなんかで注文して届けて貰うことも出来る。
思い返せば、僕もここに転校してくる前と比べれば外出の頻度は減ったなあ。最近なんて、この月に一度決めた日以外は校門の外には出ていない。

「本当に、本当に学園の外に出たことが無いのかい?」
「記憶の限りでは。べつに出ないと困ることなんてありませんし」
「それはそうだけど……」
「若葉さんから聞く外の話、楽しいんですけど自分には合わないかなって思います。こう、キラキラしすぎているというか」
「それは若葉が楽しかったことだけを話してるからだと思うけど……」
「カフェって所で紅茶を飲むのと、お部屋で紅茶を飲むのと、どう違うのか私には分かりません。味は一緒だろうに、どうしてああも楽しかったと話すのか」
「それは」

姫宮はスっと壁に掛かった時計に目をやる。釣られて僕も時計を見ると、体がぴょんと跳ねた。

「電車って、決まった時間に出発するのではなかったですか?」

……あ。

「ほんとだ!んじゃ姫宮、夕方には帰るから」
「はい。行ってらっしゃいませ、ウテナさま」

姫宮から受け取った財布をカバンに放り込むと、踵を靴に突っかけて走り出す。視界の端に静かに手を振る姫宮の姿を見た。門番に外出許可書を見せて門を潜り坂を下り自転車を押す買い物帰りらしいおばさんとすれ違うけれど、頭の中はただひとつのことを考えるだけで精一杯だった。一生懸命に回転する足と心が全く合っていない。
姫宮、君は知らないだけなんだ。
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