影が薄い子の
「似たもの同士、なのかも」
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なんてことは無い。単に、虫の居所が悪かった、それだけ。
「名前のマキリは、誰かに貰ったのか?」
「え?」
そんな、女たちの会話を聴いて、少し思うことがあっただけ。
「随分古そうだが、よく手入れが行き届いている。きっとカムイが宿っているはずだ」
「カムイ…」
「神様のことだ。私達は、物を大切に扱うことでそれに神様が宿ると思っている」
「ああ、付喪神的な意味」
「ああ。私のマキリはアチャに貰ったから、名前もそうなのかと思ってな」
「…わたしのこれは、母から譲り受けた物です」
親から貰ったというその小刀を、撫でる手つきはやさしい。それを見た途端、腹の中に渦巻く不快な感情のやり場に、困っただけ。
それから、あいつとは話をするどころか顔を見ることもなかった。
「──…」
真夜中の、皆が寝静まった頃。僅かな布擦れの音に目を覚ました俺は、気配無く小屋から出て行ったであろう女を追うように気配を消して外へ出る。
外は、晴れた夜空にぽっかり浮かぶ月と数多の星が、地上を明るく照らしていた。
「やっぱり、起きて来ると思った」
不意にかけられた声は、控えめではあったがこの静かな空気の中ではよく聴こえた。
見上げていた顔を正面に落とすと、女は小屋から少し離れたところに座り込んでいて。視線が合うと、促すように二度ほど自身の隣を叩く。そして振り返っていた顔を戻したことで視線は外れ、じっと動かなくなった。
…恐らく、俺が行くまで待っているつもりなのだろう。正直気乗りしないが、今日一日話をしていなかったこともありこれ以上拗れるのは良くないとなけなしの良心がざわつくので仕方なく、女の元へ歩を進めた。
一人分の距離を開けて、隣に座り込む。横目に見た女の手には、件の小刀が収まっていて。思いがけず持ち上がった肩を、俺と同じように横目に見ていた女が「やっぱり」ともう一度呟いた。
「コレのことで怒っていたんですか」
「…別に、怒ってはいない」
「盗み聞きしておいて怒って八つ当たりするかのように無視するなんて、随分勝手が過ぎるのではないですかねえ」
「…怒ってはいない」
「無視は認めるんですね」
「…」
「無言は肯定とみなします」
一日話していなかった反動だろうか、いつになく饒舌な女に下を巻いていると、はあ、とわざとらしい溜め息を最後に口を閉ざす。
…これは、あれか。俺が話し出すまで待つつもりか。
少しだけ億劫に感じたが、こうして外に連れ出して向こうから話しかけてきて、きっかけを作ってくれたこいつに文句は言えまい。
だから今度はこちらから話を切り出す。あの時抱いた感情を思い出すのは少し気が引けたが、このままでいるのも埒が明かん。そう思うから。
「…その小刀、母親から貰ったのか」
「…えーと、」
途端、歯切れの悪くなる女に怪訝な顔を向けるのは仕方のないことだろう。
「実はこれ、家にあったものを適当に持ってきただけで。母から貰っただの譲り受けただの、そんな大層なものじゃないといいますか」
しかし続けられた言葉を聞いてみれば、なんともまあ、肩透かしを喰らうもので。
「…なんだってあんな嘘吐いてんだ」
「ああ言っておけば、キレイな話で終わるかなと思いまして」
たはは、と真顔で心にも無い苦笑を言うその横顔は、件の小刀に向けられたまま。話し出してから今まで視線が合うことはないが、それがかえって話しやすかった。
…そうか。親から貰ったものではなかったのか。
その事実に、あの不快感がまるで嘘のように無くなっていくのがわかった。
一方で、女はいじけたように膝を抱える。
「そんな嘘を吐くくらいには、親離れできてないんですよ。わたし」
その様は、あのアイヌの少女よりも幼く感じられた。
「親から何か貰ったことなど無くても、わたしは彼女たちが嫌いではありませんでしたから。」
しかし、「貴方もそうでしょう?」そう問うてくるその顔は、幼子のそれとは明らかに違っていた。見透かされそうな瞳は、どこまでも深く昏くて、光が差し込まれることは無い。
「だから貴方は、〝親から貰ったものを大切に持っているわたし〟に怒っていたのでしょう?」
…嗚呼、この瞳を持つ人間を少なくとも一人は知っている。だからだろうか、本来であれば自分にとって地雷であるその話題を、自ら踏みに行くような真似をしてしまうのは。
「…俺はただ、みっともなく縋っている様が気に入らないと思っただけだ」
思い起こされるのは、茨城の家、鮟鱇鍋、兵舎の階段、戦場、屋敷、血に濡れた小刀。
「だが、まあ…あれか。お前がそう思う気持ちも、わからんでもない」
思い起こされるのは、憐れみと、煩わしさと、諦観の中に混ざったほんの僅かな期待。
「今まで、思ってもみなかったけどな」
すきだったのかと問われれば否と答えるし、無関心だったのかと問われればそれも否だ。後者であれば××しなどしないのだから。
じゃあ、嫌いだったのか?……その問いにも、自分はきっと否と答えるのだろう。
ただ、嫌いではなかった。それだけは確かな事実だった。
「名前のマキリは、誰かに貰ったのか?」
「え?」
そんな、女たちの会話を聴いて、少し思うことがあっただけ。
「随分古そうだが、よく手入れが行き届いている。きっとカムイが宿っているはずだ」
「カムイ…」
「神様のことだ。私達は、物を大切に扱うことでそれに神様が宿ると思っている」
「ああ、付喪神的な意味」
「ああ。私のマキリはアチャに貰ったから、名前もそうなのかと思ってな」
「…わたしのこれは、母から譲り受けた物です」
親から貰ったというその小刀を、撫でる手つきはやさしい。それを見た途端、腹の中に渦巻く不快な感情のやり場に、困っただけ。
それから、あいつとは話をするどころか顔を見ることもなかった。
「──…」
真夜中の、皆が寝静まった頃。僅かな布擦れの音に目を覚ました俺は、気配無く小屋から出て行ったであろう女を追うように気配を消して外へ出る。
外は、晴れた夜空にぽっかり浮かぶ月と数多の星が、地上を明るく照らしていた。
「やっぱり、起きて来ると思った」
不意にかけられた声は、控えめではあったがこの静かな空気の中ではよく聴こえた。
見上げていた顔を正面に落とすと、女は小屋から少し離れたところに座り込んでいて。視線が合うと、促すように二度ほど自身の隣を叩く。そして振り返っていた顔を戻したことで視線は外れ、じっと動かなくなった。
…恐らく、俺が行くまで待っているつもりなのだろう。正直気乗りしないが、今日一日話をしていなかったこともありこれ以上拗れるのは良くないとなけなしの良心がざわつくので仕方なく、女の元へ歩を進めた。
一人分の距離を開けて、隣に座り込む。横目に見た女の手には、件の小刀が収まっていて。思いがけず持ち上がった肩を、俺と同じように横目に見ていた女が「やっぱり」ともう一度呟いた。
「コレのことで怒っていたんですか」
「…別に、怒ってはいない」
「盗み聞きしておいて怒って八つ当たりするかのように無視するなんて、随分勝手が過ぎるのではないですかねえ」
「…怒ってはいない」
「無視は認めるんですね」
「…」
「無言は肯定とみなします」
一日話していなかった反動だろうか、いつになく饒舌な女に下を巻いていると、はあ、とわざとらしい溜め息を最後に口を閉ざす。
…これは、あれか。俺が話し出すまで待つつもりか。
少しだけ億劫に感じたが、こうして外に連れ出して向こうから話しかけてきて、きっかけを作ってくれたこいつに文句は言えまい。
だから今度はこちらから話を切り出す。あの時抱いた感情を思い出すのは少し気が引けたが、このままでいるのも埒が明かん。そう思うから。
「…その小刀、母親から貰ったのか」
「…えーと、」
途端、歯切れの悪くなる女に怪訝な顔を向けるのは仕方のないことだろう。
「実はこれ、家にあったものを適当に持ってきただけで。母から貰っただの譲り受けただの、そんな大層なものじゃないといいますか」
しかし続けられた言葉を聞いてみれば、なんともまあ、肩透かしを喰らうもので。
「…なんだってあんな嘘吐いてんだ」
「ああ言っておけば、キレイな話で終わるかなと思いまして」
たはは、と真顔で心にも無い苦笑を言うその横顔は、件の小刀に向けられたまま。話し出してから今まで視線が合うことはないが、それがかえって話しやすかった。
…そうか。親から貰ったものではなかったのか。
その事実に、あの不快感がまるで嘘のように無くなっていくのがわかった。
一方で、女はいじけたように膝を抱える。
「そんな嘘を吐くくらいには、親離れできてないんですよ。わたし」
その様は、あのアイヌの少女よりも幼く感じられた。
「親から何か貰ったことなど無くても、わたしは彼女たちが嫌いではありませんでしたから。」
しかし、「貴方もそうでしょう?」そう問うてくるその顔は、幼子のそれとは明らかに違っていた。見透かされそうな瞳は、どこまでも深く昏くて、光が差し込まれることは無い。
「だから貴方は、〝親から貰ったものを大切に持っているわたし〟に怒っていたのでしょう?」
…嗚呼、この瞳を持つ人間を少なくとも一人は知っている。だからだろうか、本来であれば自分にとって地雷であるその話題を、自ら踏みに行くような真似をしてしまうのは。
「…俺はただ、みっともなく縋っている様が気に入らないと思っただけだ」
思い起こされるのは、茨城の家、鮟鱇鍋、兵舎の階段、戦場、屋敷、血に濡れた小刀。
「だが、まあ…あれか。お前がそう思う気持ちも、わからんでもない」
思い起こされるのは、憐れみと、煩わしさと、諦観の中に混ざったほんの僅かな期待。
「今まで、思ってもみなかったけどな」
すきだったのかと問われれば否と答えるし、無関心だったのかと問われればそれも否だ。後者であれば××しなどしないのだから。
じゃあ、嫌いだったのか?……その問いにも、自分はきっと否と答えるのだろう。
ただ、嫌いではなかった。それだけは確かな事実だった。