影が薄い子の
星に溶けゆく
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大雪原で、突然の寒波と追っ手から逃れるために急遽、鹿の体内に文字通り潜り込みそれらをやり過ごすこととなった。
急拵えだったこともあり雄鹿を三頭しか仕留めることができず(アシリパさんの発案にかなりの抵抗があったものの、背に腹は変えられなかった)(あとでちゃんと弔ってやらねばと固く決意した)、急いで内臓を掻き出し肋骨と筋肉と脂肪、そして皮に囲まれた狭い中へ各自入り夜が明けるまで待機ということになったのだが…。
(なんでわたし、この人と一緒なんだろう…)
鹿三頭につき、人間は五人。必然的に二人、二人、一人になるのはわかるし、杉元さんとアシリパさんが一緒に入るのも頷ける。
誰よりも早く低体温症になり命の危険に晒されていた白石さんを誰よりも早く鹿の中へ突っ込んだのもわかる。
そうなると余った者同士、わたしと尾形さんが同じ鹿の中へ入るのは仕方がないことなのかもしれないのだけれど…この状況に、文句のひとつでも言いそうな相手から何も無いのが不思議を通り越して不穏でならない。
「…」
「…」
(まあ、いいか。別にこちらから話し掛ける義理もないし)
多少の気まずさを感じられなくもないが、そんなのは些末なことだ。向こうに一任しよう。そう開き直ったわたしは、改めてこの状況について考えてみることにした。
鹿の中は狭い。そんな中大人二人が収まるには距離を縮めなくてはならなくて、寝そべるわたしの背中に尾形さんの前面が密着するようにしている。
互いに少しでも動けば直ぐに相手に気付かれてしまうような距離の近さは、新鮮さを感じるとともにやはり慣れないものでなんだか落ち着かない。おまけに腹部に回された腕や、旋毛の辺りに微かに相手の呼吸を感じるものだから、ますます落ち着かなかった。
鹿の生々しさのお陰か、寒さは感じられず少し息苦しいくらいだ。
しかし文句など言えるはずもない。アシリパさんの案はわたしたちをこうして生かしているし、わたしたちのために命を失った鹿たちに申し訳が立たないから。
(…ああ、でもこれじゃあ。今夜は星が見られないのか)
それだけが残念に思え、惜しむように正面の肉の壁に手を伸ばす。しかしその手は腹部にあった男の手に不意に掴まれ、それ以上視界を阻む肉に触れることは叶わなかった。
「…オイ」
「…なんですか」
やっと反応をした相手のぶっきらぼうな声に同じような調子で返すと、少しの間の後に「…何やってんだ」と然して興味も無さそうに尋ねてきた。間を持たせるためにまさかあの、尾形さんが、話しかけてくるとは思いもしなかったので、相手に見えないのをいいことにわかりやすく目を丸くして驚いてしまった。
この人、意外とかまってちゃんなのだろうか。でもそれなら興味無さ気な様子を隠した方がいいのではなかろうか。
「特に意味は無いです。ただ、今夜は星が見られないなあと思っただけで」
なんて突っ込みは頭の中だけで処理して、わたしも言葉を返す。話しかけられたらきちんと返す、それくらいの常識は持ち合わせている。
「…ああ、そういえばよく見上げてるな」
「ご存知だったのですか。まあ確かに、尾形さんなかなか眠らないですしね」
「怪しかったから見張ってただけだ」
「わあ酷い」
周囲を警戒する必要もないし、外にも出られないため余程暇なのだろう。皆といる時より饒舌な相手は、わたしが夜、皆が寝静まった頃に起きていたことを知っていたようだった。見られて困るものではないけれど、まあ少しだけ気恥ずかしいという気持ちはある。
警戒の必要もなく、星も見られない。武器の手入れどころか満足に動けないこの状況に暇だと感じるのは、わたしも同じだった。
「本当に、特に意味はありませんよ。ただ、数ヶ月前までは夜に活動していたことが多かったもので…毎日のように星や月を見上げていた習慣が、未だ抜けていないだけで」
季節によって見える星は変わるけれど、地上の変化には左右されない夜の空。およそ人の力ではどうすることも出来ない絶対的なその存在が、不変であるその存在が、わたしはすきだった。
「人間は、なんてちっぽけな存在でしかないのだろう。そう思うと大抵のことがどうでも良くなると言いますか」
「わたしのしてきたことも、わたしに命令してきた人間も、その他大勢の人間が何をしていても。この星の前には些細なことでしかないのだろうと思うと、また頑張れるような気がしたんです」
言い切って、はっとした。誰かにこんな話をしたことは今まで無かったことで、また何とも言えない気恥ずかしさがじわりじわりと頬の熱をあげていくようだった。
「…な、なんてね」最後にそう付け足して、気まずさから居住まいを直そうと身を捩るわたしは、そこでようやく手が掴まれたままだったことに気が付いた。
「ぐえ」
それどころか、その手ごとわたしの身体を相手の方へと引き寄せられ、さらに密着するわ簡単に身動きが取れなくなるわでどうしたらいいかわからなくなった。
こんな、相手に寄りかかるような体勢…以前にも一度だけあったけれど、自分の背中を、身体をここまで他人に委ねたのはこの人が初めてだった。
お互い信用なんてしていない、何考えてるかもわからない。そんな相手に、こんなこと…旅について行く前のわたしだったら、有り得ないことだ。
「変なことを考える奴だな」
「変とは失礼な…」
「まあ、人間がちっぽけな存在だってのには同意だがな」
だから、ちっぽけで弱い人間が独りで生きていくには生きにくい世の中なんだろう。旋毛に吐き出された言葉は、そのままわたしの全身に降りかかるようだった。
素直に驚いたのだ。少なからず考えていたことを言い当てられてしまったから。
(ああ、そうか。この人もそうなのか)
そして唐突に理解した。信用していないし何考えてるかもわからないが、この人とわたしは似通った部分があるのだと。
「世知辛いですねえ」
「全くだ」
「だから、早く殺してくださいね」
「そう思うならさっさと稼ぐんだな」
それに気づけた時、ひどく安堵に似た感情が身体を巡った。
鹿の命と引き換えに知れたこと
急拵えだったこともあり雄鹿を三頭しか仕留めることができず(アシリパさんの発案にかなりの抵抗があったものの、背に腹は変えられなかった)(あとでちゃんと弔ってやらねばと固く決意した)、急いで内臓を掻き出し肋骨と筋肉と脂肪、そして皮に囲まれた狭い中へ各自入り夜が明けるまで待機ということになったのだが…。
(なんでわたし、この人と一緒なんだろう…)
鹿三頭につき、人間は五人。必然的に二人、二人、一人になるのはわかるし、杉元さんとアシリパさんが一緒に入るのも頷ける。
誰よりも早く低体温症になり命の危険に晒されていた白石さんを誰よりも早く鹿の中へ突っ込んだのもわかる。
そうなると余った者同士、わたしと尾形さんが同じ鹿の中へ入るのは仕方がないことなのかもしれないのだけれど…この状況に、文句のひとつでも言いそうな相手から何も無いのが不思議を通り越して不穏でならない。
「…」
「…」
(まあ、いいか。別にこちらから話し掛ける義理もないし)
多少の気まずさを感じられなくもないが、そんなのは些末なことだ。向こうに一任しよう。そう開き直ったわたしは、改めてこの状況について考えてみることにした。
鹿の中は狭い。そんな中大人二人が収まるには距離を縮めなくてはならなくて、寝そべるわたしの背中に尾形さんの前面が密着するようにしている。
互いに少しでも動けば直ぐに相手に気付かれてしまうような距離の近さは、新鮮さを感じるとともにやはり慣れないものでなんだか落ち着かない。おまけに腹部に回された腕や、旋毛の辺りに微かに相手の呼吸を感じるものだから、ますます落ち着かなかった。
鹿の生々しさのお陰か、寒さは感じられず少し息苦しいくらいだ。
しかし文句など言えるはずもない。アシリパさんの案はわたしたちをこうして生かしているし、わたしたちのために命を失った鹿たちに申し訳が立たないから。
(…ああ、でもこれじゃあ。今夜は星が見られないのか)
それだけが残念に思え、惜しむように正面の肉の壁に手を伸ばす。しかしその手は腹部にあった男の手に不意に掴まれ、それ以上視界を阻む肉に触れることは叶わなかった。
「…オイ」
「…なんですか」
やっと反応をした相手のぶっきらぼうな声に同じような調子で返すと、少しの間の後に「…何やってんだ」と然して興味も無さそうに尋ねてきた。間を持たせるためにまさかあの、尾形さんが、話しかけてくるとは思いもしなかったので、相手に見えないのをいいことにわかりやすく目を丸くして驚いてしまった。
この人、意外とかまってちゃんなのだろうか。でもそれなら興味無さ気な様子を隠した方がいいのではなかろうか。
「特に意味は無いです。ただ、今夜は星が見られないなあと思っただけで」
なんて突っ込みは頭の中だけで処理して、わたしも言葉を返す。話しかけられたらきちんと返す、それくらいの常識は持ち合わせている。
「…ああ、そういえばよく見上げてるな」
「ご存知だったのですか。まあ確かに、尾形さんなかなか眠らないですしね」
「怪しかったから見張ってただけだ」
「わあ酷い」
周囲を警戒する必要もないし、外にも出られないため余程暇なのだろう。皆といる時より饒舌な相手は、わたしが夜、皆が寝静まった頃に起きていたことを知っていたようだった。見られて困るものではないけれど、まあ少しだけ気恥ずかしいという気持ちはある。
警戒の必要もなく、星も見られない。武器の手入れどころか満足に動けないこの状況に暇だと感じるのは、わたしも同じだった。
「本当に、特に意味はありませんよ。ただ、数ヶ月前までは夜に活動していたことが多かったもので…毎日のように星や月を見上げていた習慣が、未だ抜けていないだけで」
季節によって見える星は変わるけれど、地上の変化には左右されない夜の空。およそ人の力ではどうすることも出来ない絶対的なその存在が、不変であるその存在が、わたしはすきだった。
「人間は、なんてちっぽけな存在でしかないのだろう。そう思うと大抵のことがどうでも良くなると言いますか」
「わたしのしてきたことも、わたしに命令してきた人間も、その他大勢の人間が何をしていても。この星の前には些細なことでしかないのだろうと思うと、また頑張れるような気がしたんです」
言い切って、はっとした。誰かにこんな話をしたことは今まで無かったことで、また何とも言えない気恥ずかしさがじわりじわりと頬の熱をあげていくようだった。
「…な、なんてね」最後にそう付け足して、気まずさから居住まいを直そうと身を捩るわたしは、そこでようやく手が掴まれたままだったことに気が付いた。
「ぐえ」
それどころか、その手ごとわたしの身体を相手の方へと引き寄せられ、さらに密着するわ簡単に身動きが取れなくなるわでどうしたらいいかわからなくなった。
こんな、相手に寄りかかるような体勢…以前にも一度だけあったけれど、自分の背中を、身体をここまで他人に委ねたのはこの人が初めてだった。
お互い信用なんてしていない、何考えてるかもわからない。そんな相手に、こんなこと…旅について行く前のわたしだったら、有り得ないことだ。
「変なことを考える奴だな」
「変とは失礼な…」
「まあ、人間がちっぽけな存在だってのには同意だがな」
だから、ちっぽけで弱い人間が独りで生きていくには生きにくい世の中なんだろう。旋毛に吐き出された言葉は、そのままわたしの全身に降りかかるようだった。
素直に驚いたのだ。少なからず考えていたことを言い当てられてしまったから。
(ああ、そうか。この人もそうなのか)
そして唐突に理解した。信用していないし何考えてるかもわからないが、この人とわたしは似通った部分があるのだと。
「世知辛いですねえ」
「全くだ」
「だから、早く殺してくださいね」
「そう思うならさっさと稼ぐんだな」
それに気づけた時、ひどく安堵に似た感情が身体を巡った。
鹿の命と引き換えに知れたこと