中原
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※動物に対し、ひどい表現が含まれています。
不快に思われる方はご注意していただくか、閲覧を控えてください。
※原作より四年前、太宰失踪後。
任務が滞り無く終わり、部下である黒服の運転で本部へ戻っている最中だった。
後頭部座席に座り何となしに窓から流れる外の様子を見ていると、通行人の一人に見知った顔を見付けた。
「…彼奴……」
それは今から一年程前だったか、猫を助ける為に木から降りられなくなっていたところを、自らの異能を使い助けた女が居た。其奴とは互いに名乗る事もせず、ただ異能力の事を口外しないよう強く口止めだけして別れたんだったか。それ以降一度も逢うことはなく、世間が異能の事で騒ぎにもならなかったからすっかり忘れていたが……思い出したとあれば、話は変わってくるというものだ。
「オイ、其処の角曲がって停まれ」
「え?然しそれでは本部へは……」
「一寸野暮用思い出したんだ。後は自分で歩いて帰る」
その後も渋る部下と何度かの交渉を繰り返して、やっとの思いで黒塗りの車は停まってくれた。「何かあったら直ぐに呼んでください」と最後まで念を押してくるのはまあ、俺を心配しての事なんだろうが。
「最近、変な事件も多いですから呉々もお気を付けて」
「わかったわかった。良いから手前はさっさと戻れ」
立場が上になっていくという事は、他組織にもその面が知れ渡っていくという事でもある。それによって狙われる可能性というものも高くなっていく為、上に立つ人間は外を歩く時、部下を連れている事が暗黙のルールになっているのではあるが……
──生憎こちとら、自身の腕っぷしで幹部候補にまでなってんだ。部下に心配される程落ちぶれちゃいねぇよ。
「……にしても、変な事件、ねぇ……」
漸く動いた黒塗りの車を見送り乍ら、先程言われた言葉を復唱する。恐らく黒服が言っていたのは、ここ一年の間で未だ解決されていない、未解決の殺人事件の事だろう。そんなもの、此処横浜では──世界中に溢れているというのに。
「全く、軍警は何してんだか」
然しそんな未解決事件、俺等マフィアには何の関係もない。組織に関わりのあるものならば全力を以て叩き潰すまでだが、そんな個々の事件は表の連中に任せておけばいいのだ。
ポートマフィアが出張るのは、飽く迄裏稼業の案件なのだから。
踵を返したものの、先刻の黒服との遣り取りで随分と時間を食ってしまった。まだあの辺に居れば良いのだが、そう思い乍ら人の流れに乗り時に追い抜き足を進めると、何やら人集りが出来ていた。
──?何だってんだ一体……。
「一寸、なにやってるのあの子……」
「あんなもの、保健所に任せればいいのに」
「よく平気な顔で死骸なんて触れるよな」
「気持ちわる、」
人集りの視線はある一点に注がれていて、囁く声は決して良いものではない。其れに何故か俺はふとあの女の姿が脳裏に浮かび、真逆と思った。
「というかアレ、車が来たら危なくないか?」
極めつけは、危険を予測しながらも何もしようとはしない、その無責任な声だった。
「悪ィ、一寸退いてくれ」
一番後ろに居た俺はその予感のままに人混みを押し退けていく。此処に居る人間たちの冷徹さと旺盛な好奇心と無責任な……それでも非日常を求める態度にぞっとし乍ら慌てて先頭へと躍り出ると、其処には──ある程度予想していたが、それでも矢張り目を見張る光景が映し出されていた。
部下の運転で車に乗っていた時、道路の真ん中で猫の轢死体を見た。部下はいち早く其れに気付き器用に避けてはいたが、車間距離の近かった後続の車は気付くのが遅れたのだろう、その鉄の塊で踏んづけていた。バックミラーでそれに気付いた部下は「酷いことをする」と不快そうにボヤいていたが、俺は特に何も思わなかった。
いや、思った事はある。それは決して猫に対する憐れみでは無く、部下に対する僅かな苛立ちで……マフィアが一々、猫の死骸の行く末に心を揺さぶられるなんて情けない、といったものだ。
これ迄、数多くの死体の山を作ってきた己にとって、そんな同情めいた感情等既に持ち合わせてはいなかった。犬であろうが猫であろうが、将又其れが人間であろうが、己に関わりの無い者であれば何とだって思わない。でもそんなの、俺に限った事ではないだろう。
人間を殺していようがいなかろうが、人間たちは他人の死に対してあまりにも無関心だ。所詮は他人事で、自分の身内、知人、将又己自身に不幸が訪れない限り、死と隣合わせで生きているという事実を忘れている。
そんな人間たちが、自身が飼っている訳でもない猫の死骸を見て、何も思わないのは至極当然の事だ。
──だのに、あの女は。
視界に飛び込んできたのは、道路のど真ん中にしゃがみ込む女の姿。俺が知っている、あの時の女だ。其奴は傍に敷いた真っ白なバスタオルの上に、襤褸雑巾のように横たわっていた薄汚い猫の死骸──奇跡的に、臓物がぶち撒かれていない分、至って綺麗なそれ──を乗せタオルで包んでいた。
僅かに見える横顔は、静かに泣いている様に見える。然しそれを抱き抱え立ち上がった時に見えた顔は、慈しむように微笑んでいて。神も仏も信じちゃいないが、その姿は宛ら、産まれたばかりの生命をその腕に抱えて喜ぶ聖女のようにも見えてしまう程
の神秘さがあった。
「がんばったね。もうゆっくり、おやすみ。」
思わず見惚れてしまうその光景の中で、女は腕に抱く尽きた命に優しく囁きかける。その声は実際に俺の耳に届いた訳ではなく口の動きでそう言ったのがわかっただけなのだが、どんな声色をしているかなんて想像に容易い。
そして思い出すのだ。此奴は一年前と変わらない、何よりも動物たちの事を優先し動いていた事を。
そして、思い出すのだ。此奴は動物たちの為なら、自分さえも如何なろうが構わないと思っている節がある事を。
誰かが言った。「危ない!」
女が立っているのは、未だ車道の上だった。本来であれば其処は自動車が優先であって、決して歩行者がど真ん中に立ち尽くしていて良いものでは無い。そうだとしても、今はまだ昼間だ。遠目からでも人の姿に早く気付けるだろうし、気付けたのであれば運転者はいち早く危険を知らせるだろう。
然し、人間は油断と慢心をする生き物だ。長い運転中、集中が切れてしまいつい余所見をしてしまう奴も少なくはない。
誰かの声に我に返った俺の耳に、比較的近い位置から車の走行音が入り込んでくる。その音源の方を見れば一台の乗用車が此方に向かってきていて……それはまだ良い。問題は、その運転者が前方を見ておらず下に視線を落としている事だ。恐らく、携帯か何かを見ているのだろうが……自分の走っている先に女が立っているなんて、真逆思いもよらないだろう。
「ッおい!早く此方来い!!」
思わず俺は、女に向かってそう叫んでいた。其処で女の方も漸く猫から顔を上げ、車の存在に気が付いたようだったが──。
「……!?オイ!聞こえてんのか莫迦!!」
女はその場に立ち尽くしたまま、呆と迫って来る車を見詰めているだけで。驚愕も、恐怖も、何も感じさせない表情を浮かべていた。
俺は盛大な舌打ちをかましてから柵を跳び越え、車道に侵入する。
──嗚呼、苛々する。
ザワつくだけの野次馬も、まるで見世物を記録する様に向けられた携帯カメラのレンズも、動く凶器を操っている自覚の無い運転者も、手前等全員〝表〟の人間だろうが。如何して目の前で誰かが死ぬかもしれないのに、助けようとしねぇんだ……如何して其処まで、他人事で居られるんだよ。そんなの、そんなんじゃ、〝裏〟に居る俺等と何ら変わりねーじゃねぇか。
──嗚呼、虫唾が走る…!
そして、何よりはこの女だ。何故自分が死にそうになっているこの時まで、如何でも良さげな顔をしているんだ。何故此奴は……自分の生に対して執着を見せないんだ。これじゃあまるで、どっかの包帯野郎と同じだろうが……ッ!!
「気に喰わねェンだよ糞がッ!!」
苛立ちを吐き出すと同時に間一髪、女と車の間に滑り込んだこの時、俺は完全にブチ切れていた。後先考えず、然もこんな白昼堂々と異能を使ったのは、まだこの力を制御出来ていなかった頃以来の失態だった。