織田
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
※原作より五年位前。
空に浮かぶのは、未だ満月に成りきれていない然しあと二、三日もすればそれは綺麗な真ん丸になるだろう、欠けた月だ。
三日月や満月はその輪郭がハッキリと明確になるというのに、どうして今のそれはぼやりと不明瞭なのか。月そもそもがそう見えるのか、私と月の間にある大気の温度がそう見せているのか、気象現象に突出した知識を持たない私には到底分かり得ぬ事柄だった。
──嗚呼、然し。そのぼやけた月が放つ光は満月の時と同じでとても強く、そして明るい。黒く何も見えない筈の夜であるにも関わらず月は街を照らし道を照らし、人工の灯りが無くとも十分に歩ける程だ。
之では内密な取引も内緒の逢瀬も、月明かりの元に曝されてしまうだろう……否、光が強い程、影も一層深くなるから矢張り秘密事には最適かもしれない。
そんな事をぼんやり──今の思考が物騒だとは思わない程、自身は此方側の世界に入って随分経つのだな、とも──考えては、所詮こんな考えは現実逃避でしかないのだと思い出す。
私がこの思考に至る前に考えていた事、そして悩んでいた事がどうしたら良いのか皆目見当もつかず、つい如何でも良い事に思考が揺れてしまったのだ。
「……さて、如何したもんか」
ぽつん、口をついて出た独り言は、誰に拾われるでも無く明るい夜の空気に溶け込んでいった。
私の悩みの種が撒かれたのは、明るい暗闇を歩く一時間程前の事だった。
──「犬か猫が欲しい!」
そう、私にお強請りをしてきたのは、一年前に私がとある事情で引き取り、養う事になった五人の子供たちである。何時ものように子供たちを保護してくれている親父さんの店に顔を出し挨拶をしてから、彼らの住居となる二階へ階段を上がり、部屋の扉を開けた。
この子供たちを引き取ることで、私が犯した罪が無くなる訳では無い。少なからず贖罪の思いは有って、悲しい想いをした彼らに少しでも笑っていて欲しいと、毎回沢山の菓子やリクエストされたものを持っては様子を見に来ていた。今回も例の如く正にそれで、遊びに巻き込まれつつも子供たちの喜ぶ顔を見て内心安堵し、そして帰りがけに問うたのだ。何時ものように、屹度新しい縫いぐるみや玩具を要求されるのだろうと思い込んで。
然し今回、子供たちが望んだものは私の予想の斜め上を行くものだったのだ。犬が欲しい、猫が欲しい、何方でも構わないし、其れ以外の生き物でも構わない。兎に角命あるものを飼ってみたいと、そう言うのだ。──それが正しく、私が悩んでいる原因だった。
実を言うと、私は生まれてこの方、生き物を飼ったことが無いのだ。幼い頃の記憶はどうも曖昧で定かではないものの、記憶がはっきりとしている十数年前の私は、既に〝奪う側〟となっていた故か、何かを育てるなんてまるで善人のような、そんな事したいとも出来るとも思っていなかったのだ。
命を育てる、その神聖とも取れる行いをまだ幼い子供たちが出来るのか。信用はしているが何分未だ時期尚早のようにも思え、だから一度は説得という名の拒否を試みたものの……彼らは頑なで、結論を言うと、子供たちの心意気と覚悟に私は首を縦に振ることしか出来なかったのである。
とは言え、私も子供たちも生き物を飼う初心者で、何を如何すれば良いのか分からない。一番の悩みは其処であるし、先ず第一、何処で犬や猫を見付ければいいかも分かっていない。そういった店の存在は知ってはいるものの、生き物を金で買う行為は何だか違うような気がして、まあつまり、既に行き詰まっているのだ。
友人たちに相談してみるか。そう考えていた矢先に、道の途中で見えてきた看板に意識が向く。
「鉄…動物病院……」
何て事は無い、只の看板。名前と診察時間、休診日が簡単に描かれた其れの奥には2~3台しか停められそうにない駐車場が有り、その更に奥に、クリーム色の壁と橙色の屋根をした、名前の割に随分と柔らかい印象を持つ病院らしき建物が確かに建っていた。
──動物病院、か。今まで入った事ないな。
其処に赴く理由が無い限り足を踏み入れる事は決してないであろう、人を選ぶ場所。自分のような人間には縁のない場所である其処に、然し気になる貼り紙を見付けた私は、思わずその敷地内に足を踏み入れた。
外からも見えるよう、窓に貼ってある紙。その用紙の一番上にはでかでかと【里親募集】の文字、今の私を引き付けるには十分魅力的な言葉である。その文字の下には可愛らしい三毛の仔猫の写真があり、更にその下にはこの仔猫の特徴が書いてある。【生後三ヶ月程、かわいいかわいい女のコ、性格はおっとりさんだけどごはん大好き!な食いしん坊さん。チャームポイントは……】等々。綺麗な字体なのに文面はとても可愛らしく、この仔猫の事が本当に可愛くて仕方が無いんだ!という感情が其処から滲み出てくるようだった。
手描きで作られた其れはとても暖かみ溢れるもので、見ている側にまでこの仔猫を飼ってみたい、可愛がりたいと思わせる効果があるーーまあ私が少なからずそれを求めているからかもしれないが。然し何とも、絶好のタイミングである。
話を聞くだけでもいいかもしれない。【詳しくはスタッフまで!】と締め括られているそれを一望し、一度空を見詰めた視線は次に自身の左腕に落ちる。時間を確認すれば、今の時刻は十九時四十分、確か看板で見た診察時間は二十時までだった筈……幾ら話だけとは言え、明らかに時間が足りないだろう事が頭を過ぎった。
迷惑をかける訳にもいかないし、今日は出直すとしよう。そう思い直し踵を返そうとした正にその時、隣にあった扉がばかりと開いた。
「こんばんは」
耳に心地好いメゾソプラノが聴こえたのは、それから直ぐの事。
これが、私と彼女との出逢いだった。
(あれ、織田作から獣の匂いがする)
(また猫探しでもしていたんですか?)
(否。さっきまで病院に行っていたからだろうな)
(……獣の匂いで…)
(病院……?)