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『神様、奇跡なんていらないから』


 今日の鐘が鳴り響く前に僕はあの子を見つけたくて、娘が寝ている間に神社へと足を伸ばした。窓辺にあった青紫の一輪を少しだけ拝借したのは、もしもあの子に会えたのならこの手からもう一度渡したいからだ。
 幾年の月日が流れたのか、鳥居に続く石の階段は一部が崩れ落ちて通りづらくなっていた。飛ばし飛ばしで上がっていく途中で僕はその足を止めてみる。埃を被って風化してしまったあの時の景色の中に、参拝者は僕一人。誰一人としてこの神社に足を運ぶ者などいないのは昔からだ。それはちょっぴり嬉しくて、ちょっぴり切なく思えた。

 木の鳥居をくぐり抜けると、祠まで続く石畳が姿を現した。人知れずに立ち尽くす祠が一つあるここは、神社と呼ぶにはあまりにも簡素なものだろう。周りを囲む生い茂った樹が創り出す森は幼い僕たちを覆い隠すのには充分で、秘密基地とは程遠くも遠からず。
 学校が終わって帰ってくると黒いランドセルを鳥居の近くに放り出して、境内の中に忍び込み二人でかくれんぼをしたことを思い出した。あの子は昔から隠れるのが上手かったから、じゃんけんに負けてオニを被ると僕は最後まで見つけることができずに泣きべそをかいた。その時は決まってあの子は僕の頭を撫でにくるから、泣き真似をしてあの子を見つけることはいつものことだった。今思うとなかなか困ったやつだ。
 たくさん遊んだ日も終わりの鐘が響き渡ってしまうもので。夕暮れの声が鳴ったら僕は転がしたランドセルを拾い上げて、「また明日ね」と手を振る。別れを告げたその際に見せるあの子の笑顔は、どうしてどこか淋しそうだったのだろう。

「いつも誰と遊んでいるの? 誰もいないでしょう」
 あくる日、神社で一人遊ぶ僕を迎えにきた母は怪訝そうに呟いた。確証もないのにその言葉を信じてしまった僕は不意に怖くなって、少しだけあの子を疑ってしまったことがある。

「……君は、おばけなの?」

 手を引かれながら振り返ったその時からあの子は、神社に訪ねてこなくなった。
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