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『神様、奇跡なんていらないから』


 四月下旬、休みが続く連休の一日に僕は幼い娘を連れて実家に足を伸ばしていた。山と緑と田園風景だけが延々と広がるのどかな村が僕の生まれ育った故郷で、小さな山の麓にある瓦葺きの古めかしい家が僕の両親が暮らす家だ。
 何年かぶりに上がった玄関でまず先に目に入ったのは、小さな窓枠から迫り出す棚の上に飾られた香り高い一輪の花だった。ガラスの瓶に活けられたひと際目を引く青紫色の花はこの時期小さな子どものいる家の窓辺に飾られているものだ。
『この村には神様がいて、子どもの成長を見守っています』
『だから子どものいる家は卯月になったら、窓辺に風の花を飾るのです』
『風の花は道標。神様は道に迷わずお家に来れるようにと窓辺に置きます』
 これは僕の生まれ育った村でよく聞かされていた御伽噺の一つ。僕はただの夜噺くらいにしか思っていないが、興味深く花を眺める娘に教えてあげようかと思った。

 ――幼い頃、一緒に遊んだあの子は今どこで何をしているのだろうか。

 風に揺れる青紫色の花を見て、ふと懐かしい気持ちが湧き出す。
 実家の裏手にある小山には何を祭っているのかわからないほど寂れた神社があり、僕は毎日飽きもせずその神社へと遊びに行っていた。神社へと赴いては名前も知らないあの子と遊んでいた日々。じゃんけんに負けて鬼ごっこしたこと、長く伸びる影を踏んで走り回ったこと、くだらないことでおなかを抱えて笑い合ったこと、そのどれも遠い記憶の向こうで鮮やかに輝いている。
 当時使っていた花瓶を割ってしまった僕がその事実を隠すために、たまたま持ち出していた風の花を見たあの子はそれを好きだと言った。幼い僕は笑うあの子の顔が嬉しくて、窓辺の花を持ち出しては毎日あの子に渡していた。
 今思うとそれは幼いながらに覚えた初めての『恋』だったのかもしれない。毎日あの子に会えるだけで心が躍っていたのだから。

 誰もお参りには来ない寂れた神社はまさしく僕とあの子の秘密の遊び場だった。
 しかし、暦が皐月を示して鯉が空泳ぐある日を堺に、あの子ははたと神社に姿を現さなくなった。
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