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勇カズの与太話

【真実の花】

1
 『世界は不思議に包まれている』。それが少女の愛読する古い書物の一行目だった。人語を話す犬、機械に埋もれた未来都市、世界を欺く勇者など、まだ見ぬ世界に散らばった伝説や民話がごまんと記載されたその書物は魔導士の少女の心をいつも熱く躍らせた。

 そのありとあらゆる物語の中でも特に少女の胸を躍らせるのは、何処で語られていたのかも綴った人物も不明な『真実の花』という伝承。――主人公は美しい顔立ちが自慢のとある国の王子様で、ある日晩餐会に訪れた魔女に呪いをかけられてしまい醜い化物に変えられてしまう。王子様は元の美しい姿に戻るため、忘れられた古城に咲く真実の赤い花を求めて旅に出る――。このような筋書きの物語だ。

 それを旅の道中で少女は何度も何度も、飽きるほど異形の同行者に熱く読み聞かせていた。
 ぼんやりと聞き流す同行者の彼に少女は、必ずと言っていいほど添える言葉があった。
「絶対に真実の花を見つけようね」
 誰でもない、同行者――醜い獣姿の男に笑いかける。その言葉を聞くと決まって男は深く息を吐いてから微笑み「そうだな」と相槌を打つ。

――これは一つの伝承を信じ、『真実の花』を求めた一人の少女と一人の獣男の真実のお話だ。


2
 少女の話す『真実の花』の結末はこうだ。
――やがて、真実の花を見つけた王子は涙を流しながら、その花を手に取り花びらにそっと口づけを落とした。すると王子の体が優しい光に包まれ、光が収まり鏡に映った自分の姿を見て、王子は天を仰いだ。その場にいたのは醜い化物などではなく、人間の形をした青年の自分だったのだ。魔女の呪いの解けた王子はすぐに祖国に帰り、平和に暮らしたとさ――。

 少女は本気で真実の花があるものと信じているのか、この伝承を男に読み聞かせると「貴方を元の姿に戻すよ」と言った。伝承の王子と彼の境遇を重ねているのだろうか。
 男の方は、少女とは逆にどうせただのしがない伝承の一つとしか思えず一切信じてはいなかった。

 考えも体格もまるで月とすっぽんかと思うほどに異なる、言ってしまえば不釣り合いな二人が何故共に旅をしているのか。
 道行く人にそれを尋ねられた時男は苦く笑いながら「俺にもわからない」と答えた。
 その言葉に嘘はない。見目麗しい少女がどうして醜い自分を旅に同行してまで助けようとするのか、その真意は少女にしかわからない。

 それでも少女と旅を続けるのは、男には『旅する目的などない』からだ。
 元々流浪の身だ、夢見がちな乙女の夢に付き合ってやるのも悪くない。他にも付け加えた理由などいくらでも浮かぶだろうが、現状に近いのはその言葉だろう。


3
 伝承の王子様と重ねられるのは畏れ多いなどと是が非でも言えないが、男はある日突然醜い獣の姿になっていた。
 わけもわからぬまま自分の姿に絶望した男は住んでいた小さな村を飛び出して、ひとり自暴自棄になりながら世界をふらふらと渡り歩いた。その醜い姿を見た人々からはなんと恐ろしい化物だと囁かれることすらあった。

 男が少女と出逢ったのは、人に恐れられることなど既に慣れてしまったそんな頃だった。一冊の書物を抱えた少女は誰もが見惚れるほど美しかった。
 少女は世界中の書物を読むことが夢だと語り、男の旅路への同行を願い入ったのだ。
 自分は醜いから近づかない方が良いと何度も断ったのだが、少女は頑として自分の要望を折ろうとはしなかった。
 後に聞いたことだが少女は美しい見た目だけではなく、自他共に認める折り紙付きの変人であり頑固者だという。

 こんなに醜い自分に優しく接する変人は、かつて村にいた頃に話しかけてくれた村一番の美少女によく似ていた。
 だからこそ男は少女の願いを最後まで断ることはできず、護衛と称して少女の夢に付き添うことにしたのだった。


4
 そして二人は、ついに寂れた古城の大広間に辿りつく。大広間の中央にぽつんと咲いた赤い花を見つめて少女は声を上げた。
「これが、真実の花……本当にあったんだ。私たち、ついに見つけたのよ!」
 喜びにうわずった声を抑えようともせず、新しいおもちゃを与えられた子どものように男の腕を掴んでぴょんぴょんと跳ねる。
 そうだな、と相槌を打つ男の表情は舞い上がる少女とは反対に、嬉しいとも悲しいともつかない色を覗かせていた。
 男の微妙な面持ちに気づいた少女は声をかける。
「どうかしたの?」
「……なんでもない」
「あー! 今目逸らした! 今の嘘でしょ、絶対なんか隠してる!」
 ねー、ねー、と問い詰める少女から目を逸らして尋ねられた男は口を噤んだ。


5
 元の姿にもどることは男の、そして少女の願いでもあったのだが、それ以上にその願いを遮る不安材料が彼の中に蟠っていたのだった。それは元の姿に戻ることのできる喜びと、元の姿に戻ることへの畏れだ。

 男は少女と旅を通して彼女の優しさと美しさと笑顔に触れていくうちに、少女に対して憧れにも似た感情を抱いていた。
 そう、いつしか彼は彼女のことが好きになっていたのだ。
 醜い自分がこのような感情を持ってしまうことは全くお門違いだと強く自分を非難しても日に日に邪な想いは募っていく一方で、できればこのまま一緒にいれたらと望む自分もいた。
 でも、と男は思う。
「……きっと嫌われてしまう」
 少女が何故こんなにも男に協力してくれるのか、その疑問は今のところ聞けずじまいだ。それどころか聞くことすら躊躇われた。
 いっそのこと、面白半分で自分を嘲笑ってくれればよかったのにと何度思っただろう。期待を裏切るほどに少女は純粋で優しく聡明な人物だった。

 こんなにも協力してくれる彼女に彼は"自分の本当の醜い姿"を見せることで彼女の夢を壊してしまうことをとても畏れた。
「え?」
 隣で少女が声をもらす。口をついた言葉が彼女にも聞こえてしまったようだ。
 どういうことなのかと問い詰めるような無駄に正義感の強い眼差しに後も引けず、男は観念したように自分の想いを素直に打ち明けた。

「俺は醜い獣のままでいいんだ。その方が君を悲しませなくて済む……」
 その言葉は少女に言い聞かせるためではなく、まるで自分自身に銘じるための言葉にも聞こえた。
 すると少女はすっかり頭を抱え項垂れてしまった男の前に屈みその長い毛に覆われた太い腕を優しく包み込むようにそっと手を取った。

「ねぇ、そんなこと言わないで大丈夫」


6
「大丈夫。私は貴方のことを嫌いにはならないよ。……だって見た目が変わってもどんなに時が経とうと、私の知る貴方はいつだって変わらず優しい心を持っているから」
「え……?」
 今度は男が首を傾げる番だった。
 男が微笑む少女の言葉を理解する前に少女は無理やりその腕に大事な書物を預けると、ブーツの底を静かに鳴らして赤い花の前に佇む。

 痛っと言いながら花を摘むとしゃがんだままの男の元へと持ち運び、彼の顔の前に差し出した。花のくきには小さいながらトゲが生えていたらしく、少女の指先にはぷくりと赤い点が浮かび上がっていた。
「血が……」
「へーきだよ。それより、私の手を握って」
 言われるがまま少女の背丈に合わせて屈み、花持つ少女のガラス細工のような手を包むように自分の手を重ねた。目と目の距離が近くなる。
 少女の手は思うよりも小さく、柔らかく、そして温かかった。その手は自分の温度と鼓動で溶けてしまいそうだ、とよくわからないことを思い浮かべ表情に出せない心の火照りをごまかそうとした。が、少女は躊躇いなく男の顔にぐっと近づけて、彼が驚くよりも先にその口に重ねた。

――えっ?

 頭が真っ白になる、とはよく言うが、今まさにその状況だった。
 何が起きたのかと事態を飲み込もうとするが、少女の髪の香りが、甘い味が、鼻に残って脳みそを使いものさせてくれない。
 そうこうしている間に少女は顔を離し、男の鈍った感性に答えるように少女はポツリポツリと口を開く。
「私には好きな人がいたの。その人は私の住んでいた小さな村で誰よりも目立たなくて自分に自信もないけど人だった。でも私にとっては何よりも大切な人だったんだ」
 ゆっくりと語る少女に合わせて、花は淡く輝き出す。


7
 少女は旅立つ前、小さな村に住んでいた。
 それこそ、その美しさから村一番の美人だと言われてきたそうだが同時にずっと分厚い本を読んでいる村一番の変人でもあったそうだ。
 本人は気にしていなかったが、友達のいない少女のそれをネタに蔑ろにされることなどほぼ毎日のことだった。

 いつの日か、少女は自分と同じように本ばかり読んでいる少年の存在に気付く。自分のように目立つわけでもなく、いやどちらかといえばかなり目立たない方だろう。
 伸びっぱなしの前髪は目が隠れるほど長く、顔の見えない少年はいつも暗そうに本ばかり読んでいた。
 この人とお話しがしたいと思った矢先に声をかけていた。

 最初は警戒された、そしてこんな醜い自分には関わらない方がいいと拒絶されたのは覚えている。二度、三度、話しかけているうちに、少年はよく自分自身のことを否定する人だと気づいた。
 少女の話に耳を傾けている時は誰よりも優しく頷いてくれるが、自分のことになると暗い表情はさらに強張る。自分に自信が無さすぎるのだ。
 それでも唯一無二の友達だった彼の、本について話す時の僅かに綻ぶ顔が少女は大好きだった。優しい彼のことが大好きになっていた。少年と話している時間だけが少女の幸せだった。

 しかし、その幸せも長くは続かず、ある日少年は突如としてその姿を晦ませた。
 彼は自分を嫌いすぎるあまり悪魔に魅入られて本当の醜い獣にされてしまったのだという身も蓋もない噂話を耳にする。
 少女はその噂の真意を確かめるべく村を後にした。昔から魔導の力があったため、旅をするのにそれほど困ることはなかった、と付け加えた。


8
「最初は半信半疑だったのよ、人が獣に変わるなんてって。でもあなたに出会って、話を聞いて……ああ、噂は本当だったんだってわかったの」
「それって……」
 黙って聞いていた男だったが、彼女の言う"その人"に思い当たるところがあり口を開きかけたが噤んだ。
「『魔法の赤い花の前で愛を唱えれば、心から願う望みを一つだけ叶えてくれる』っていう言い伝えがあるの知ってる?私の大好きな書物に載っていた伝説。……『真実の花』はこの伝説を元にして、私が作ったお話なの」
「なんで、そこまで……」
「だって……あなたに逢いたかったから。……後は、私自身に言い聞かせるためかな」
 魔法の花、いや真実の花が見つからなかったらどうしようって思ってたの。そこまで言うと少女は気まずそうにはにかむ。

 「絶対に見つけようね」と少女は言った。その言葉は宣言として、他でもない少女自身に向けられていたのだ。
 全てわかった。少女は村にいた頃からずっと隣に居て、ずっと自分を認めてくれていた。

「そうか、君はあのときの君だったんだね」

 真実の魔法の花の前で愛を誓う時、心から願う望みを一つだけ叶えてくれるらしい。涙がひと粒零れて、男は淡い光に包まれる中でずっと頭の隅に隠していた本当の自分の姿を思い出していた。


9
 光が収まった時、少女の持っていた真実の花は消えていた。そこにいたのは毛に覆われた獣姿の男ではなく、涙を流す一人の青年だった。
 お世辞にも見目麗しいとは言い切れないその顔をさらにぐしゃぐしゃにして小さな少女に縋るように泣いていた。
 真実を映した魔法の花は消えていた。


――これは一人の少女と一人の青年が真実を求めた、終着点のお話だ。


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