このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

かみしの

 つけっぱなしのテレビが発するポーンという高い音が、和室に訪れた正午を告げた。

 昼のバラエティ番組が華々しく始まり、司会者と数名の芸能人が顔を並べる。
 稀に新人枠ゲストで、同事務所のアイドル達が出演している事もあるようだったが、この日は特に見慣れた顔は居ないようだった。

 半分だけ開いた窓から、ぬるい夏の風が吹き込み、軽く髪が揺れた。

この東雲の部屋では、家主である東雲と、訪れている神谷が特に何もせずに、久々の完全オフをだらだらと過ごしている。
 畳の上に置かれた、大きくない長方形のローテーブルの、隣り合った辺にそれぞれ陣取り、特に熱心に見入っているという様子も無く、テレビの方へ顔を向けている。
 それでも、面白い場面があればクスリと笑い、同じタイミングで笑う事があれば顔を見合わせて微笑む時もある。
 巻緒や咲、アスランも居れば、もっと色々と賑やかにあれこれと話をしていたとだろうと容易に想像が出来る。
しかし、二人だけでいると特にそのような事もなく、無言の時間が続き、とても静かな時間が流れていた。
 無言とはいっても重苦しいものではなく、互いの存在を傍らに感じながらそれぞれ好きに過ごしているだけであり、学生時代からの長い付き合いである二人の中で、そんな過ごし方はごく自然な日常の光景となっていた。

     ◆

 しばらくの間ぼんやりと、テレビを見ていた二人だったが、画面から視線を外した東雲が突然スッと立ち上がる。
そして、衣擦れの音だけを残し、スッと部屋を出てゆく。
 神谷はチラリと一瞬そちらを見るが、特に気にする様子も無く、テレビを見ている。
画面に映るCDランキングでは、少しの間ではあるが自分たちのカフェパレードと神速一魂の楽曲が流れ、見ながらつい目を細めて笑ってしまう。
 自分達のCDはもちろん、同時発売で何かと一緒に活動をしてきた仲間であり戦友でもある、神速一魂のCDも同様にランキングに入っている事を、神谷は心から喜び、心の中で拍手を送る。
 少しすると、東雲が行った方向から、神谷の鼻腔をくすぐるスパイシーな香りが漂ってくる。
香りからメニューが容易に想像でき、神谷は口元をにへっと緩ませる。
そこへタイミングを計ったかのように、両手にカレーライスの皿を持った東雲が戻って来る。
神谷は待ってましたとばかりに姿勢を正して皿を受け取り、二枚の皿をテーブルへ並べた。
 並んだカレーライスの皿の前に東雲が再び着席すると、いただきます、と二人で言って昼食が始まった。
前夜の夕食のカレーライスの残りを適当に盛り付けただけの昼食ではあるが、神谷は嬉しそうにぱくぱくと頬張る。
東雲の目に映るその姿は、カフェオーナーやアイドルではない、学生時代と変わらない表情だった。
 二人の操るスプーンと、皿の触れるカチャカチャという控えめな音だけが、しばらくの間その場を支配していた。
 少しして音が止まり、東雲は神谷の顔と、空になった皿を見て立ち上がる。
二人分の皿を手に一旦部屋を出ると、控えめに二杯目を盛り付けた皿を一枚だけ持って戻って来た。
 ぱっと表情を明るくした神谷は、どうぞと目の前に差し出された二杯目のカレーライスを腹におさめ始める。
 自分は一杯で終わらせた東雲は、そのまま神谷が食べているところを、頬杖をついてじっと眺める。
 じっと見られていると食べにくい、などという事も無く、神谷はそのまま食事を進めてゆく。
 間もなく二杯目も空にした神谷は、軽くぽんと両手を合わせてごちそうさまでしたと満足げに笑う。
 お粗末様でした、と東雲も手を合わせ、空の皿を手に台所へと立つ。
 今度は神谷も立ち上がり、その後をついて台所へ向かう。
 台所では、東雲が流し台の洗い桶に水を溜め、食べ終わったカレー皿とスプーンを放り込む。
 普段であれば食事の後はさっさと洗い物を済ませてしまう東雲だが、この日はゆっくりすると心に決めているらしく、一瞬食器用洗剤に手を伸ばしかけるが、そのまま手を引っ込め部屋へと戻ってゆく。
 一方神谷は、勝手知ったる東雲の台所とばかりに、食器棚からグラスを二つ取り、冷蔵庫の扉を開くとドアポケットから麦茶の入った冷水ポットを取り出すと、二つのグラスへどぼどぼと注いだ。
カフェパレードで紅茶を淹れ、人をもてなす際の神谷の姿からは想像が出来ないほどの雑さ。
勢いよく注いだ残りの麦茶の中で、水出し用のパックが浮き沈みしている。
そのまま冷水ポットを冷蔵庫に戻すと、麦茶の入ったグラスを両手に持って部屋に戻る。
 麦茶のグラスの一つを東雲の前に置き、神谷はもう一つに口をつけながらよっこいしょと着席をした。
 中身が少し減った麦茶のグラスをテーブルに置くと、神谷はそのまま畳の上にごろりと横たわる。
今の季節が冬であれば、こたつで寝るような姿勢だった。
 しばらく寝転がったままテレビを眺めていた神谷だったが、満腹感と畳の感触、それとここに東雲がいる安心感を味わいながら、いつの間にか午後のドラマに切り替わっていたテレビの音をBGMに、ウトウトと居眠りをし始める。

     ◆

 神谷が用意した麦茶のグラスを手に、しばらくドラマを眺めていた東雲は、CMに差し掛かったところで神谷の規則的な寝息が耳に入って顔を覗きこむ。
そうして神谷が完全に眠っている事を確認し、おや、という表情を浮かべる。
何を思ったか、それとも何も考えてはいないのか。
東雲は場所を移動し、神谷の反対隣に陣取ると、神谷と同様に畳の上へごろんと横になる。
畳の香りを感じながら、寝てしまった神谷と同じ高さで、彼の寝顔を眺め始める。
 寝息を立てて眠る神谷の顔は、学生時代のものからあまり変わっていない様にも見える。
しかし、アイドルユニット・カフェパレードのリーダーとしての活動を経て少し頼もしくなったようにも感じる。
気の持ちようだろうかと思いつつ、神谷の顔の前に垂れた長い前髪に手を伸ばし、そっと指ではらう。
 そのまま神谷の寝顔と寝相をしばらく眺めていた東雲だったが、次第に瞼が重くなってくるのを感じる。
 どれくらいそうしていただろうか、神谷の顔の方へと手を伸ばしたままの姿勢で、東雲も心地よい午後の眠りに落ちていった。

     ◆

 遠く、どこかの家の風鈴の音が耳に届き、神谷は手放していた意識を取り戻す。
 うっすらと目を覚ました神谷の目に真っ先に飛び込んで来たのは、顔近くへ伸ばされた東雲の右手の指先だった。指紋までくっきりわかる距離で東雲の手を認識した神谷は、フフッと静かに笑って東雲の手に自分の手を伸ばし、指を絡ませる。
 パッと見ると白く長く、繊細に見える指だが、触ってみると指にビーターだこがあったり、所々熱に慣れて皮膚が固くごつごつとしていたりで意外に逞しい。
 そんな質感を詳細に知っているのは自分くらいだろうという優越感が、神谷の頬をゆるませた。
 決して不健康ではないが、じっと見なければ生きている事すら疑問に感じるほど微動だにしない東雲の寝姿。
 絡めた指にきゅっと力を入れれば、体温と脈を感じ、生きている事が確認できる。
 今だけでなく毎日のように、手を伸ばせば届く距離に東雲が存在することが嬉しくてたまらないといった様子で、声を立てずに笑う。
 それから神谷は、反対側の空いた手で、テーブルの上からリモコンを手に取ると、電源スイッチを押し、午後のワイドショーで賑やかに喋っているテレビを黙らせた。
 テレビの音が消え、東雲の微かな寝息が耳まで届くようになると、神谷はにっこりと微笑み、指を絡めたままで昼寝の続きを実行した。

 東雲が目を覚ますと、既に夕刻に差し掛かっているようで、部屋の中が随分と薄暗くなっていた。
 今何時だろうと時計代わりにテレビに視線を向けるが、テレビの電源は切られていて何も映っていない。
 上体を起こそうとし、片手が自由にならない事に気付く。
 自分の指に神谷の指が絡んでいて、神谷の表情がとても緩んでいるという事を認識すると、はて、と東雲は少し考える。
 神谷の前髪を顔からよけた所までは覚えていたが、その先は急に襲って来た眠気のせいで記憶がない。
 結局東雲にこの状況は理解できなかったが、まあいいでしょうとあまり気にせず、起き上がる事を諦めてもう一度目を閉じた。

     ◆

 次に東雲が目を覚ました時には、部屋は暗く、隣に神谷はいなかった。
 むくりと起き上がり、顔を向けると、台所の方に明かりが点いているのが見える。
 立ち上がり、台所に入れば、鍋に湯を沸かしている神谷の姿がそこにはあった。
 下手にコンビニに行こうとして、迷子になったりしていなかった事にホッとしつつ、鍋の傍らのそうめんの袋に気付いて、もう晩ご飯の時間かと時計を見た。
 見れば、洗い桶に浸けてあった食器類は洗って水切りかごに立ててあり、神谷が全て済ませてくれていた事に感謝の念を抱く。
 ぐらぐらと音が大きくなり、沸騰した事を水から知らせてくれた鍋の湯に、パスタを投入するように、綺麗に円を描くような形でそうめんを投入する。
それが行われたのは、カフェパレードで調理を担当する東雲ではなく、オーナーとして全体のとりまとめやホールを担当していた神谷の手によってだった。
 神谷の手は意外に器用で、やろうと思えば大抵の事はそれなりにこなしてしまう。
そんな所を、東雲は学生時代からすぐ隣で見ていた。
ただそれらの事を極める気があるかといえば、特にそのような事はなく、色々試しているようなところが見受けられた、と今になって東雲は思う。
 細いそうめんは、熱湯に入れてしまえばすぐにゆで上がる。
 東雲が神谷の手元をぼうっと眺めているうちに、そうめんには火が通り、神谷の手が火を止め、そうめんをざるにあけると流水で洗い始めた。
 ガシャガシャと音を立ててそうめんを洗う神谷の手を横目で見ながら、東雲は冷凍庫から氷とめんつゆを取り出して準備をする。
 めんつゆも既製品、氷も冷蔵庫の自動製氷機のもので何も工夫などはされていない。
 店に出すものや、製菓の研究をする際ならいざ知らず、東雲が自分一人だけで作って食べる物には、手間も工夫もあまりしない事が多かった。
 神谷と二人だけの時も同様に、余程気が向かない限り、最低限かたちになっていればそれで良いという程度の調理をし、出来上がりを笑いながら食す、ということをずっとしている。
 水差しに氷水を用意し、これも既製品のフリーズドライ薬味と一緒にテーブルへ運ぶ。
 水で冷やされ冷たくなった麺がざるに盛られ、神谷もざる等をテーブルへと運んだ。
 昼と同様、着席した二人はいただきますと手を合わせ、その後はそうめんをすする音だけが部屋に響いた。
 カレーライスを食べた後ほぼ寝ていただけの二人だったが、意外に入るもので、ゆでた分をすぐにぺろりと食べ終えてしまう。
 テレビをつけようと、東雲が顔を動かしてリモコンを探すと、神谷はすぐに察してリモコンを手に電源を入れる。
 明るくなった画面が、先日カフェパレード全員分撮影した、コーヒーのCMを映し出す。
 誂えたスーツに全身を包んだ神谷が、眼鏡を掛けて、まるでここにいる本人とは別の人生を歩んできたかのように、生き生きと、優しい先輩サラリーマンを演じていた。
 神谷のがんばろうぜ、という台詞でCMは終わり、クイズ番組に画面は移り変わった。
「かみや」
 ふいに口を開いた東雲を、神谷はおっ、と少し驚いた顔で振り返った。
「……何を驚いてるんです」
 不思議そうに首を傾げる東雲に、神谷は驚いた表情のままで、
「いや、まさか無意識だったのか?」
主語のないまま問い掛け、不思議そうなままの東雲を見ながらプッと噴き出して笑った。
「今日一日、ほとんどしゃべらなかっただろ?」
 神谷の言葉に、東雲は今日神谷と顔を合わせてからの事をざっと思い返す。
「あー」
 東雲は今やっとそれに気付いたようで、
「道理で今、声が出にくかった訳です」
合点のいった顔で、あーあーと声の確認を始めた。
 少しの間、神谷はそんな東雲の様子を眺めていたが、
「で、何を言おうとしたんだ?」
先刻東雲が言いかけた言葉の先を促す。
 一瞬東雲はハッとしたような表情を見せたが、すぐに穏やかに笑うと、
「CM撮影、楽しかったですね」
それだけ言って神谷を見た。
 同意して神谷は頷く。
「スーツを着て働くなんて、経験した事なかったからね。 新鮮で楽しかったよ」
 高層ビルの高いフロアにある会社で、実際の職業体験をしてから本番に臨むという、丁寧なスケジュールを用意してもらっての撮影だった。
 こんなに一から十までお膳立てをしてくれたプロデューサーに感謝しつつも、サラリーマンとしての人生という『もしも』の想像が時々頭をよぎる。
「もしも、神谷がカフェを経営していなかったら、ふたりともあんな風にしていたかもしれないんですよね」
 その『もしも』をどうこう思う訳ではなかったが、アイドルを選ばなければそういう未来も選択肢の一つだったのだろうと考える。
「そうだな」
 神谷がもう一度同意し、少し黙る。
 東雲も黙ったまま神谷を見ていると、少しの沈黙の後、一気に想像を口に出す。
「もしもそうだったら、きっと今回のCMみたいに、東雲やみんなと一緒に賑やかに仕事してるだろうな」
 そんな夢みたいな、と口に出しかけたが、東雲はそのまま続きを聞く。
「毎日バタバタして、悩んだり頑張ったりして、一緒に目標に向かうんだ」
 東雲もその光景を想像する。
 そして真っ先に頭に浮かんだ言葉を口にした。
「それ、ほとんど今と変わらないですよね?」
「そうだな」
 あははとひとしきり笑い、
「でもどんな仕事でも、東雲が隣にいて、皆がいる想像しかできないな……」
更に続ける。
「販売でも、製造でも、土木作業の想像でも何故かみんないるんだよね」
 神谷が自然にサラリと言うので、それを受けた東雲が思わず、それぞれのビジュアルを想像してしまう。
「土木作業は……無理が……」
 脳内に描いた絵面がおかしかったらしく、東雲はぷるぷると肩を小刻みに震わせながら笑っている。
「意外とイケると思うんだけどな」
 半袖Tシャツから伸びた腕をむんっ、と力を込めて曲げて力こぶを作り、何故か筋肉を主張する。
「その力こぶ……神速一魂とのリリースイベントの時、あんまり役に立ちませんでしたよね……?」
 ステージ上で何故か咲をお姫様抱っこする事になったが、結局アスランと二人がかりでやっと持ち上げる始末だったという事を東雲は思い出す。
「あれはちょっとバランスを間違えただけだよ」
 そこから、リリースイベントでのトークやステージの話から始まり、沢山の素直な感想や意見、これからの希望を出し合った。

     ◆

 流しっぱなしのテレビの音が全く耳に入らないほど、熱心にあれこれ話し合っていると、あっという間に時間が過ぎて行く。
 話が一段落し、東雲が目線をテレビに向けると、思いのほか時間が経っていた事に気付く。
「もうこんな時間ですか」
 テレビ画面が、無駄にテンションの高い深夜の通販番組を映しはじめていた。
 神谷もそれに気づくと、
「ん、じゃあ帰るか」
そう言って帰ろうと立ち上がる。
「待ってください、神谷」
東雲に背を向けて部屋を出ようとする神谷に、
「こんな夜中に神谷を一人で帰すという危険を冒すほど、私は神谷の帰巣本能を信用してません」
とこれ以上無くはっきりと宣言をする。
 む、と神谷は東雲を見下ろそうとするが、東雲もその場で立ち上がったので視線は近い高さでぶつかった。
「布団を用意しますから、テーブルをどけてもらえますか」
 要約すると泊まって行けと言っているのだと気付くまで、神谷は一瞬の時間を要した。
「わかった」
 ローテーブルに手を掛けてひょいと持ち上げると、部屋の隅へと動かす。
かなり前、うっかり引きずって動かそうとした際、結構な勢いで、
『畳に傷がつくのでやめて下さい』
と叱られた事を思い出して神谷はくすっと笑う。
 客用布団を抱えた東雲はその笑みを不審がり、首を傾げた。
 二枚の布団が並ぶまで、さほど時間を要しなかった。
 ずっと開いていた窓を閉め、施錠する。
 テレビを消し、二人は布団の上へ全身を投げ出した。
「今日はずっと寝ていたような気がしますが、また寝るんですよね……」
 東雲がぼそっと呟くと、
「いつも忙しくしてるからな、体が休まって良かったんじゃないか?」
神谷が良い方に解釈してくれる。
「そうですね」
 東雲は上に手を伸ばし、電灯のひもを掴むとカチカチッと二回引き、明かりを消した。
 暗くなった部屋の中は視界が悪く、お互いの顔が見えない。それを良い事に、東雲がまた口を開く。
「さっきの、もしもの話ですが」
「うん?」
 返事と共に微かな音がし、神谷が東雲の方へ顔を向けた気配を感じる。
「今はこのアイドル業が楽しいですし、アイドルの仕事の中で、この間のCMみたいに他の人生の可能性を『つまみ食い』できるという事に、今更ですが思い当たりました」
 東雲の声が少し微笑んでいる事を神谷は感じ、素直に思った事を伝える。
「つまみ食いか、良いね、カフェパレード(おれたち)らしいよ」
「言われてみればそうですね」
 どちらからともなくクスクスと笑い、お互いの方へ手を伸ばす。見えていないにも関わらず、手と手がぶつかり、そのまま指を絡めた。
「また明日」
 繋がった手と声に、沢山の意味を込めて挨拶を交わす。
「ええ、また明日」
 指を絡め、手を繋いだままで、二人は目を閉じた。

 目が覚めたらまた、お互いが隣にいる一日が始まる。
1/2ページ
スキ