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Other

 草花は春風と戯れ、鈴の音のように静かで穏やかな音色を奏でる。オドリドリやバタフリーの羽音、フラベベの歌声が、花園を耽美な世界へ一変させた。ここはメレメレの花園。森閑としたこの花畑では草や虫ポケモンたちが共存している。金糸雀色に染まった花々は、不規則に並んでいるものの余すことなく地を埋め尽くし、太陽の光に照らされ優しく煌めいていた。
 花園の中心では赤い帽子を被った黒髪の少女が、風に乗って弧を描き舞う花びらに当てられ静かに佇んでいる。鞄の紐を両手でぎゅっと握る姿は、高鳴り続ける胸の鼓動を抑えているかのようだ。

「ミヅキ!」

 待ちわびていた声に、少女——ミヅキは呼吸を止めて『彼』の方へゆっくりと振り返った。花園の入り口で息を切らしながら真っすぐとこちらを見つめるグラジオの姿が、花畑を挟んで映る。

「すまない、遅くなった……」

「ううん、大丈夫だよ」

 エーテル財団の代表代理として慌ただしい彼を呼び出したのは自分なのだから怒る理由などない。それよりも仕事を終えてすぐに駆けつけてくれたことが、何より嬉しかった。

「ごめんね、私の方こそ急に呼び出しちゃって」

 急用でもなく迷惑をかけるかもしれないと不安に思いながらも、グラジオに見てほしいモノがこの花園にあるのだ。

「いや、いいんだ。お前に声を掛けてもらえるのは……その、悪くない」

 ミヅキの心情を察しすぐに彼女の言葉を否定しつつ、できる限り花を踏みつぶさぬよう慎重に花々の間を縫ってミヅキの元へ歩み寄ろうとする姿に、グラジオの温か味が感じられた。
 彼の優しさは出会った頃から変わらない。当初は敵対関係にあったものの、その立場も言動もポケモンや家族への愛情が常に込められていたからこそだ。エーテル財団代表の息子と兄という立場は、グラジオに計り知れない重圧を与えていただろう。加えて母・ルザミーネから受けた容量を超えるほどの過剰な愛は、彼を何度も苦悩させたことだろう。リーリエとコスモッグに関わることで明らかとなっていった彼らの家庭事情は、想像を絶するほどに複雑なものだった。
 しかし、グラジオもリーリエもその立場に怯むことはなかった。己が成すべきことは何なのか、それを探し、また向き合ったことで親子の絆は回復へと向かっているのだろう。
 そんな彼らの姿に心を打たれ、ミヅキの中に『支えたい』という感情が顔を出し始めた。その想いは時を重ねる毎に膨れ上がり、感じたことのない感情と出会わせてくれた。それが母性に似たものなのか、それとも恋なのか……答えはまだわからなかった。

「グラジオくん」

 それでも、彼を支えたい気持ちに変わりはなく、その想いがいつか必ず結論へと導いてくれるだろう。

「あのね、グラジオくんに見てほしいものがあるの」

 そしてミヅキは、こうして今日も少し冷たいグラジオの手を取り歩きだす。彼の不安を少しでも取り除きたくて。心に受けた傷を、痛みを癒したくて。
 肝心の要件を聞かされていないグラジオは少々、困惑した表情を見せながらも黙ってミヅキの手に引かれる。彼女と手を繋ぐのは、今回が初めてなのではないだろうか。恋人でも家族でもないのだから、手を繋ぐ行為すら縁遠いものだろう。だからこそというべきか、他人であり敵でもあったミヅキと繋いだ手は、心まで温かくなった。
 ミヅキは、海繋ぎの洞穴の入り口付近で立ち止まる。洞穴の先へ進むのかと思いきやそうではないということは、彼女の用とはこの辺りなのだろう。しかし、景色は変わらず金糸雀色の花が並ぶのみ。

「ミヅキ、見てほしいものとは……」

「グラジオくん、見て。あそこ」

 ミヅキが指さした場所を目で追うと、一凛の花がグラジオの瞳に映る。アローラの空から降り注ぐ陽光に当てられ咲く桃色のその花は、一面金糸雀色に染まる花園で明らかに浮いた存在だった。しかし、不思議と違和感はなかった。

「……」

「綺麗でしょ。この前、たまたま見つけたの……でね、この花のこと調べたんだ」

 ミヅキはグラジオから手を放し、その花の前へしゃがみ込む。

「花言葉は、”たゆまぬ努力”、”ひたむきな愛”……名前は、」

 ミヅキの視線は再びグラジオへ戻される。そんな彼女には、穏やかに輝く月のような眩しくも優しい笑顔があった。

 グラジオラス

 花の名前が音となり、グラジオの鼓膜を震わせる。想像もしていなかった花の名前に、ふいうちを食らったような気分だ。自分と同じ名前だとわかった瞬間、桃色の花が更に輝きを増したように感じられる。

「私ね、思ったの……グラジオくんの名前って、この花が由来なんじゃないかって。グラジオくんの名前には、熱い思いが込められているんだって」

 自分の名前の意味なんて聞かされたことなどなかった。もちろん、狂気に囚われた母親に聞けるはずもなく、ましてや自分の名前の意味など考えたことなど一度もない。この名前は母がつけたのか、それとも消えてしまった父がつけてくれたのか、その真意も明らかではない。しかし、この花以外に自分の名前がつくモノとであったこともない。

「花言葉の通りだよね、グラジオくんは」

「えっ」

「家族のこともポケモンのことも大切に思ってて、だから、辛いことも乗り越えて頑張ってこられた。グラジオラスそのものって感じがする」

 ミヅキの発見は、グラジオの凍てついた世界をまたひとつ溶かしていく。そして、親の温かな愛も、共に運んでくれた。

「そう、か……」

 自分の名前に込められた本当の意味、それは両親にしかわからない。しかし、ミヅキの導きはいつだってグラジオたちの絆を紡いでいく。

「そうか」

 だから信じられる。希望を持つことができる。この先の自分と家族の未来に——
 道を切り開いてくれるのは、いつだって彼女だ。

「ミヅキ、ありがとうな」

 こうして今日も少年は、月の女神に恋をする。


2020/03/29
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