幼なじみの恋に5題
自室のベッドの上で真っ白な天井を、ただぼーっと眺める日が始まり、今日で何日目だろうか。ぼんやりとそんなどうでもいいことを考えながら、グリーンは本日10度目の溜息を吐き出した。
ポケモンリーグに挑戦し、四天王を全て倒し、チャンピオンまで上り詰めたグリーンだが、その天下は呆気なく幕を閉じた。グリーンを負かし、現段階で最強の称号を持つトレーナーは、幼い頃から何事においても張り合ってきた赤い幼馴染。
勉強においても、運動においても、それ以外のことにも、グリーンはいつだって彼の一歩先を進んでいた。だから、ポケモンバトルだって負けるはずが無いと、そう確信していた。しかし、結果は────
『グリーン、なぜ負けたかわかるか? お前がポケモンへの愛情を忘れとるからだ!』
あの日、あのバトルの後、あのフィールドで祖父から受けた言葉は、未だグリーンの胸に刺さったまま。その傷口が癒える様子はまだ見られない。
瞼を閉じれば、自分に背を向け殿堂入り部屋へ進んでいく幼馴染と祖父が浮かぶ。毎日、毎日……──
それがどうしようもなく鬱陶しくて、仕方がなくて、グリーンの心はあの日からずっと荒んだままだった。
俺はいつまでこうしているのだろう。
このままではいけないことは、グリーン自身がよく理解していた。それでも、自分の進むべき道が見えず、こうして立ち止まったまま何もできずにいる。
「グリーン! 遊ぼう!!」
突然、目の前に現れた馴染みのある顔。グリーンはギョッとして数秒固まっていたが、自分の視界に映る人物がリーフであると認識した瞬間、盛大に顔を歪めた。
「うるせぇ。ほっとけ。そんで帰れ」
素っ気なく言い返し、リーフから背を向けるように寝返りを打つ。そんなグリーンの対応が気に入らず、リーフはプリンのように大きく頬を膨らませた。
レッドに敗北し、グリーンが怠惰な生活を過ごすようになってから、リーフはほぼ毎日グリーンの元へ訪れていた。もちろん、何度会いにやって来ても今のように素っ気ない態度で追い返されるだけなのだが、何度そうされてもリーフはグリーンの元へ通い続けていた。
彼に、一人じゃないということを、わかってほしかったから……──
「あのね、さっきトキワの森に遊びに行ったら、ピカチュウを2匹見つけたの! ほら!!」
そう言って、カメラで撮った写真をグリーンに見せつける。けれど彼はリーフに背を向けたままだった。
「仲良く木の実を食べてたんだあ……恋人なのかなあ」
可愛いよね〜! とご機嫌に今日の出来事を語るリーフだが、その明るい声が、なぜだか今のグリーンには煩わしいものでしかなかった。苛立ちばかりが募る。
「っ、俺のことなんかもう放っとけよ!」
小さな空間に、荒々しい声が響き渡る。
「俺がどこで何しようが、俺の勝手だろ」
そこまで言葉を投げつけてから、「やってしまった」とグリーンの中に罪悪感が顔を出す。まるで逃げるかのように、リーフと顔を合わせぬよう背を向けていた。
しん、と静まり返った室内。
その静けさが、グリーンの不安を煽った。リーフはいまどんな表情を乗せているのか。どんな想いを抱えて、グリーンの言葉を受け止めていたのか。バクバクと心臓から鼓動する嫌な音がグリーンの体を埋め尽くす。
「私もね、挑戦しようと思ってるんだ。ポケモンリーグ」
「……!?」
予想外の言葉に、グリーンは思わず起き上がって幼馴染の顔を凝視した。
「ふふ、やっと顔を合わせてくれた」
「なっ」
まさか、わざわざそのために嵌めたのか。
そうやってグリーンが不満をぶつけようとすると、リーフが先手を取る。
「さっきの言葉は本当だよ。私だってジムバッジ8つ持ってるんだもん」
ニコリと1つ微笑みを乗せて、くるりと今度はリーフが背を向ける。
「そうやってグリーンがごねてる間に、私もグリーンのこと追い越しちゃうんだからね!」
「……リーフ」
「それじゃあね」
その一言と共に、リーフは振り返ることなくグリーンの部屋を後にした。パタリ、と扉が閉まる小さな音を合図に、再びこの空間を静寂が覆う。
グリーンの頭の中にぐるぐると巡るのは、リーフの宣言。きっと、いや、必ずリーフもポケモンリーグを制覇するだろう。
旅立ってから何度かリーフともバトルをして、彼女の強さは実感済み。だからこそ、負ける姿など想像できない。
(ったく、何なんだよ……レッドといい、リーフといい)
バトルの時に見せるレッドの熱い瞳とリーフの楽しそうな表情が脳裏にチラつく。再びむしゃくしゃとした感情がグリーンの心を支配した。
(わかってんだよ……)
立ち止まっている場合など無いことも。
いつまでもこんな所に居たって、何も変わらないことも。
それでもあの敗北が、まだグリーンの中で昇華できずにいる。
コンコンコン
扉から響くノック音がグリーンの思考を止めた。
「グリーン、入っても良いかしら?」
気遣うような姉の声が、ほんの少しだけグリーンの心を沈めた。
「……ドーゾ」
皮肉を込めるように、面倒臭げに応答すれば、グリーンの様子を窺いながら姉のナナミが入室する。
「これ」
「……?」
「リーフちゃんから」
差し出されたのは、葉っぱの形を模した小さなメモ。グリーンは無言でそれを手に取り目を通す。
そこにはたった一言、可愛らしい文字でグリーンへのメッセージが綴られていた。
『追伸:殿堂入りを達成した後は、ナナシマに行くんだー! グリーンより先に珍しいポケモン、たくさんGETするから!』
ご丁寧に隅っこにはプリンのイラストまで添えられている。
「ヘッタクソなプリン……」
メッセージもこのイラストも、今のグリーンにとっては自分をイラつかせるものでしかないのだが、リーフなりにグリーンを気遣って書き置きしたものなのだろう。
「ったく、本当にお節介なんだよ……いつもいつも、コイツは……あーあ、なんかアホらしくなってきたわ」
いつものほほんとしているリーフから、毎日まいにち面倒を見られているようで。今度はそんな自分に苛立ちを覚える。
グリーンはベッドから離れると、いつものウエストポーチを手に取った。
「……グリーン、お出かけ?」
「ナナシマに行く。アイツより先に珍しいポケモンゲットして自慢してやるんだよ」
そう語るグリーンの口元は笑みを湛え、その瞳にはほんの少しだけ以前のような闘争心がチラついている。
完全、とまでは行かないが、復活しつつある弟の姿に、ナナミはホッと胸を撫で下ろす。
(あなたの言う通りだったわね、リーフちゃん)
『グリーンは絶対に大丈夫です! 誰よりも負けず嫌いで、人一倍努力できる人だから。私、グリーンのこと信じてます』
強気な眼差しと表情には、間違いないという確信が満ちていた。
姉とは違う近い場所で、幼馴染として、ライバルとして、ずっとグリーンと時間を共にしてきたからこそわかるものがあるのだろう。
「んじゃ、行ってくる」
モンスターボールと、図鑑と、旅支度を整えたグリーンは、ウエストポーチを携えドアノブを握る。
「……悪かったよ、心配かけて」
「!」
そう言いながらほんの少しだけ赤くなった耳先に笑みを零し、ナナミは穏やかに言葉を送る。ツンケンしながらも、ずっと姉に心配をかけてしまっていたことを気に病んでいたのだろう。
弟の言葉を確かに受け取って、ナナミはようやく安堵した。他人を気遣えるほど心にゆとりができたのであれば、もう大丈夫だろう。
「ええ、行ってらっしゃい」
初めてグリーンが旅立っていた日を脳裏に浮かべながら、ナナミは笑顔で弟の背中を見送ったのだった。
***
片手でモンスターボールを弄びながら、1番道路を進んでいく。カントーを制覇した今のグリーンであれば、ピジョットの”空を飛ぶ”で移動できるのだが、敢えてそうしなかった。
別に初心に帰って一から修行などと言うような、立派な理由は無い。ただの気まぐれ。今は何故か、自分の足で始まりの場所を歩いていたかった。
(リーフは今どの辺りだ……)
リーフがオーキド家を後にして、そこまで時間は経っていない。まだ隣町のトキワシティには到着していないだろう。
けれども、空を飛ぶを使えるポケモンが手持ちにいれば、トキワシティまでひとっ飛びできる。そうでなくとも、初めて旅立った時とは違い、1番道路程度であれば迷う必要も野生のポケモンに恐れる必要もない。
(もうとっくに着いているかもな)
リーフもトレーナーとして成長している。徒歩でも隣町まであっという間だろう。
変わっている。
変わっていく。
レッドも、リーフも。
なら、自分自身は?
『グリーン、なぜ負けたかわかるか? お前がポケモンへの愛情を忘れとるからだ!』
再びチラつく、祖父の言葉。
『この俺様が! 世界で一番、強いってことなんだよ!』
頂上決戦の場で、まだ最大の屈辱を味わっていない過去の自分がライバルに向けて吠えた言葉が、何故だか今になって、自分の胸に突き刺さった。
(…………俺もそろそろ、受け入れねぇとな)
自分の天下は終わった。頭ではわかっていても、そう簡単に割り切れるものでは無い。そんな言い訳を零して、ずっと現実から目を背けていたのだ。
けれど、受け入れ、向き合わなければ。現状(いま)を変えたいのであれば、進まなければ。
ずっと地面を歩く自身の足元をぼんやりと眺めていたグリーンの瞳が、マサラとトキワを繋ぐ一本道を捉える。
その先には、小さなちいさな竜巻が、新緑色の葉っぱを巻き込んで踊っていた。
(なんっか腹立つな……)
リーフに煽られているように感じられるのは気のせいだろうか。
(つーか、俺はなんでさっきからアイツのことばっか……)
ポケモンリーグでの敗北を引きずって、ずっとレッドばかり頭から離れなかったというのに、今度はリーフがグリーンの頭を埋め尽くす。
このむず痒い感覚は、グリーンがこれまで抱えていた不快感とは種類が違った。
(………………いや、まさかな)
ポッ、と突然に浮かび上がった心当たりを、すぐさま否定する。
レッドに負けたことで、とうとう頭まで可笑しくなってしまったのか。そんな自分を馬鹿にするように、ハッと鼻で笑うグリーンの心臓は、より一層、鼓動を早めていた。
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