木漏れ日さし込む花園で
突然の眠気に、グリーンは大きく欠伸する。
今朝のお天気コーナーで『ピクニック日和になるでしょう』と予報士が予言した通り、正に快晴。外を歩いているというのに睡魔が襲うほどに、空から降り注ぐ陽気が心地よい。
であるにも関わらず瞼が閉じきらない理由は、ここが外出先であるという緊張が、どうにかこうにか意識を繋いでくれているのだろう。
トキワジムを抜け出し、久々に故郷・マサラタウンへと立ち寄ったグリーンは、豊かな自然の景色を眺めながら自由気ままに散策中であった。
最後の砦と謳われるトキワジムのジムリーダーであるグリーンは、一度チャンピオンへと上り詰めた実力の持ち主である。それだけに、彼の元へと辿り着く挑戦者がなかなか現れず、毎日毎日暇を持て余していた。
だからと言ってぐうたら生活を送っているわけではない。こうした空き時間は、自身やジムトレーナー達のトレーニングに費やし、ジム関連の書類を処理して、有効的に活用している。
けれども、そんな生活を続けてしまえば外が恋しくなるもの。元々、ポケモントレーナーとして旅をしていたグリーンにとって、ジムという場所はあまりにも世界が狭すぎる。
だから、こうしてよくジムを抜け出しては、気の赴くままに他の街へと訪れて、世界の空気に触れることにしている。(ジムトレーナー達からは、突然、抜け出すなと不満をぶつけられるが……)
本音を言えば、カントー地方を飛び越えて、他地方での旅を楽しみたいところではあるのだが。
(ったく、俺と違って自由の身だってのに。レッドの野郎はいつになったら下山するんだよっ!!)
赤い帽子とベストに身を包み、電気鼠を連れた幼馴染であり生涯のライバルでもある彼の事を脳裏に浮かべる。
『自分を倒すトレーナーが現れるまで、シロガネ山から降りるつもりは無い』
ずっと行方を眩ませていたレッドとの再会で、彼から発せられた言葉を思い出す。思わずその白い頬に拳をぶつけたくなるほど苛立ってしまったのだが、それを必死に抑え込み、胸倉を掴んで抗議したのだ。
その出来事ですら、もう数ヶ月前のことである。時の流れの早さにほんの少しだけポッポ肌が立った。
(行方不明と言えば……)
ふわりと風に揺れる栗色の長い髪に真っ白な帽子を乗せて、薄桃色のまあるい風船ポケモンを連れた幼馴染を思い浮かべる。
(お前はいま、どこの居るんだよ…………リーフ!!)
リーフと最後に会話をしたのは、もう三年も前になる。
セキエイ高原のポケモンリーグでレッドに敗れたグリーンは、すっかりと意気消沈し目的も持たずナナシマをただ旅するだけであった。
そんなやさぐれた自分の身を案じ、リーフはずっとグリーンのことを気にかけてくれてはいたのが、当時、自分を見失っていたグリーンは彼女の言葉に聞く耳を持たなかった。悪い事をしたとは思う。けれど、自分のプライドが邪魔をして素直になれず、目が覚めた頃には、とっくにリーフは別の地方へと旅立っていたのだ。
それから、彼女とは一度も連絡が取れていない。祖父のオーキド博士や姉のナナミ、幼馴染たちの母親に何度確認をしても、必ず「連絡は無い」の一言が返されてしまう。
どこかでケガをしているのではないか。ホームシックで寂しがってはいないか。変な男に連れ去られてはいないか。ロケット団の残党に襲われてはいないか。不安だけが心に宿る。
先日もシロガネ山に篭っているレッドの元へ食料を届けた際、彼にもリーフの安否を問うたが、結果は同じであった。
『レッド、リーフと連絡取れたか?』
『…………いや』
レッドの膝上で寛ぐピカチュウと戯れながら、いつものように表情を変えず、シンプルにグリーンの問いかけに応じる。
『ったく、なんでお前らはやる事までそっくりなんだよ。生き別れの兄妹なんじゃねぇの?』
『まさか。グリーンからは連絡してるの?』
『やってるっつーの! でも何度やっても繋がらねぇんだよ』
『…………』
ポケモンセンターに常設されているビデオ電話を用いたが、リーフが応じたことは1度もない。リーフから電話が掛かってきたことも。
今の通信媒体はポケギアが主流となっているが、残念なことにグリーンはリーフの電話番号を把握していない。正にお手上げ状態なのだ。
『くそ、さっさと帰ってこい!!』
『グリーンうるさい』
結局、その後はレッドから追い出される形で、ジムへと帰還したのだった。
あれから数日経っても未だにリーフに関する情報は全く入っていない。レッドはいつもの無表情で「リーフは意外とタフだから大丈夫だよ」と口にしてはいたが、
「どこに居んだよ……リーフ」
一体どこで何をしているのやら。心がキュッと締め付けられる感覚に、思わず顔を顰める。
悶々としたものを胸に抱えながら、彼女がお気に入りであった花園へ足を踏み入れた。
高く、大きく成長した樹木の天井から差し込む陽光が、花たちをよりいっそう輝かせている。今年も美しく咲き誇った花々は、地面を鮮やかに彩っていた。
変わらない風景。昔から見てきたものと全く同じ。そう、栗色の長い髪を揺らし花冠を編む少女の姿まで────
「…………は?」
グリーンの唇から零れ落ちた声は、とても小さな音だった。
「あれ?」
けれど、その音をしっかりと拾い上げた少女は、手を止めて顔を上げる。
「グリーン?」
懐かしい声。幻聴ではないかと、思わず両目を擦ってから、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
グリーンの視界に映り込んだのは、白い帽子に二年前と同じく水色のノースリーブと赤いミニスカートに身を包んだ少女の姿。ずっと探していた幼馴染のリーフがそこに居たのだ。
あの頃と比べて背も髪も少し伸びたか。明るい声と彼女が持つ特有の柔らかな雰囲気は相変わらずだが、そこに落ち着きが加わり、なんだかほんの少しだけ大人びたようだった。
「やっぱり〜! 久しぶり、グリーン!」
静かな花園に、明るい声が響き渡る。
三年間、一切連絡を寄越さなかった割に、リーフはまるで何事も無かったかのように挨拶をしながら、ととっとこちらへと駆け寄ってくる。その姿にとうとうグリーンがこれまで抱えていた不満が爆発した。
「〜〜〜っお前なあ!!」
リーフの両肩を強く掴み、力加減も忘れて大きく揺する。
「お前、今まで何処で何してたんだよ! 連絡も寄越さず!!」
「わっ、あ~~ご、ごめ、ごめん! ちょ、と……まっ、てぇ~~お、おちつこ!」
「これが落ち着いてられるか!!」
言いたいことがありすぎて言葉にならない。とりあえず、こちらの心配と不安をわからせてやらなければと、半ばやけになってリーフを揺らし続けていた。
「で、今までどこで何をしてやがったんだ?」
「え、えぇぇっとね……」
ようやくグリーンから解放されたリーフは、ぼさぼさになってしまった長い髪を手櫛で整えながら、これまでの旅を思い返す。
「ホウエン地方とかシンオウ地方とか、色んなとこを旅してたの。楽しかったよ~!」
「なぁにが『楽しかったよ~!』だ!! どんだけ心配したと思ってんだ!」
「そ、そんなこと言われても……い、いひゃあっ」
リーフの両頬がグリーンの手によって真横に強く引っ張られる。ゴムのように伸縮する感触をほんの少し楽しみつつ、リーフの反論を遮った。
涙目で「やめて~~」と抗議するので、再び開放してやれば、彼女の両頬は当然ながら赤みを帯びていた。リーフは自身の頬に両手を当てながら、どこぞのポケモンのようにぷくりと頬を膨らませ、グリーンを睨みつける。
「も~~~何するの!! 暴力反対!!」
「お前が心配かける方が悪いんだろうが」
「心配?」
はて? とでも言うかのように、リーフは首を傾ける。身に覚えがないとでも言うつもりだろうか。もう一度、揺らすか引っ張るかしてやろうかと企むが、それでは一向に話が進まないため保留とする。
やれやれと疲労感満載に長い溜息を吐き出すグリーンを見上げながら、リーフはふと思ったことをそのまま言葉に変換した。
「……なんかグリーン、変わったね」
「は?」
突然降ってきたリーフの言葉に、グリーンは思わず彼女の顔を凝視する。
リーフはというと、驚きとほんの少し戸惑いの表情を乗せてグリーンの双眼を真っすぐと見つめていた。
「ほら、何ていうか前までは、『俺様天才!』とかムカつく事ばっかり言う、ヤなやつだったのに」
「……お前喧嘩売ってるだろ? そうだろ? そうなんだよな?」
ナチュラルに言いたい放題言ってくれる幼馴染に微笑みながら睨みつけるを放つ。けれども、全く効果がないらしい。リーフは呑気にニッコリと笑みを浮かべて続けた。
「なんか丸くなってるからビックリしちゃった!」
「人の話聞いてんのか?」
「じょ、冗談だよ冗談! 半分くらい……?」
「ほぉ〜〜?」
「でっ、でも……でもね、変わったなって思ったのは本当だよ」
これ以上、余計なことを口走ってしまえばまずいと感じたのか、リーフは慌ててフォローを入れる。けれど、最後の言葉に関しては本心だ。
リーフの中で1番記憶に新しいグリーンは、レッドに敗れ自分の道を見失ってしまった迷子の子どものようで、自信満々ないつもの彼はどこにも居なかった。
だから、こうしてグリーンと言葉を交わし、すっかり立ち直ってしまった姿を確認できたことで、リーフはホッと胸を撫で下ろす。
そんな彼女の心情を読み取ったグリーンは、片手を後頭部に回し、ほんの少しだけ視線を逸らしながら返した。
「…………まあ、俺もあれから色々あったからな」
まだまだ未熟だったあの頃を思い浮かべる。強くなる為に。チャンピオンになる為に。その目的を果たすことだけに執着し、ポケモンの存在から目を逸らしていた三年前の、未熟な自分を────。
結局あれからもレッドに勝てた事は一度も無いのだが、あの頃とは違い、今では本当の意味での強さを得られたのではないかと思う。
「そういえばグリーン、今ジムリーダーやってるんだよね? トキワジムの」
「そうだけど、何で知ってんだよ。俺がトキワジムのジムリーダーになったの、お前が失踪してからだろ」
「失踪って言い方やめてよー! レッドじゃないんだから!」
「あれを失踪と言わず何て言うんだよ!」
「失踪じゃないもん! 私、ちゃんとママやオーキド博士に連絡してたもん!!」
「……はあ!?」
リーフの言葉が理解できず思わず声量が大きくなる。リーフの母親や祖父であるユキナリと連絡を取っていたのであれば、グリーンやレッドにだって、リーフの居場所が伝わっている筈だろう。
けれども、今日リーフと再会するまで、リーフの母親からもオーキドからも、もちろん姉のナナミからも、リーフに関する情報は一切入ってこなかった。
「ウソつけ!」
「本当だもん!!」
ぷくり、と再び頬を膨らませたリーフは、グリーンの眼前に桃色のポケギアを掲げる。
彼女が示した画面は着信履歴、そこには確かに”ママ”と”オーキド博士”の名前が交互に表示されていた。ところどころに姉の名前も並んでいる。最後の通話は先週のようだ。
(じゃあ、何故……今までじいさん達から連絡が無かった……?)
まさか態と伝えなかったのか、それともオーキドの場合は伝え忘れか。
「伝え忘れは……歳のせいか?」
「グリーン?」
「何でもねぇ……」
取り敢えず後で祖父に問い詰めることにして、もう一度リーフに向き直った。まだまだ聞きたいことは山ほどある。
さて、次は何を聞き出してやろうかと思案していると、「ぷりぃ!」と可愛らしいポケモンの鳴き声が耳に入る。ぴょんぴょんと跳ねながらやって来たのはプリンだ。リーフの足元に歩み寄り、嬉しそうにくっついている。
「あ、プリン! おかえり!」
「ぷりゅ!!」
「ああ、リーフのプリンか。久しぶりだな」
初めてカントーを旅していた時も、今のように外に出して連れ歩いていたことを思い出す。
「そうだ! ねぇ、今から一緒にトキワジム行ってもいい?」
「別に構わねぇけど」
「わーい!」
「ぷり〜!!」
「なんなら、ついでにバトルでもして行くか?」
「え? グリーンと?」
いつものほほんとしているリーフだが、こう見えても新人トレーナーの時代に、カントーのジムバッジを全て集め、殿堂入りを果たすほどの実力を持った凄腕のトレーナーなのだ。
そんな彼女が、この三年の間にどこまで強くなったのか。純粋にポケモントレーナーとして興味があった。
「それに、ジムトレーナーの勉強にもなるからな」
「ふふ、もうすっかりジムリーダーなんだねぇ」
自分の強さを磨くことに躍起になっていたグリーンが、こうして自分の部下を気にかけるようになるとは。
いや、なんだかんだ彼は昔から面倒見がよかった。リーフ自身も、何度グリーンのそういった面に助けられたことか。
「私も、今のグリーンと思いっきりバトルしてみたい! でも、その前に……」
「ん?」
「プリンとお菓子食べたいなあ!」
「ぷりぃ!」
そう言ってリーフは紙袋に手を入れ、リーフパイの詰め合わせとスイーツのプリンを見せつける。紙袋の隅っこには、タマムシデパートのマークがプリントされている。おそらく、実家へ帰省する前に立ち寄ったのだろう。
「にしても、お前らほんとにリーフパイとプリン好きだな」
「自分と同じ名前のお菓子って、愛着湧いちゃうんだよね〜。ね、プリン!」
「ぷりゅ!!」
嬉しそうに微笑み合うリーフとプリン。そんな彼女たちを見下ろしながら、グリーンは『ハッ』と鼻で笑う。
「相変わらず単純なヤツら。似た者同士、良いコンビじゃねぇか」
「もう、またそういうこと言う!!」
「ぷり!!」
2人揃って頬を膨らませる姿に、もう一度笑ってやれば、どんどん膨張していく。
こうしたリーフの幼さの残る動作は、あの頃と全く変わっていない。見てて飽きないからか、こうやってからかいたくなってしまう。
(俺も相変わらず、か……こういう所はまだまだガキだな)
ここにはいない筈のレッドから、冷たい視線を送られているような気がした。『そうやって馬鹿にしていると、いつまで経っても気づいて貰えない』などという、胸に突き刺さる言葉さえ聞こえるようだ。
別に構わない。今はまだ、久々にリーフと共有した幼馴染という関係性を感じていたいと思うから。
「トキワジム、行くんだろ。早くしねぇと置いてくぞ」
グリーンはそう言って、ピジョットのモンスターボールを手に取りリーフから背を向ける。
目の前に現れたピジョットは、「ぴじょーっっ!」と声を上げて、そのまま鋭い双眼でジッとグリーンの顔を見上げた。
「な、なんだよ……」
「…………ぴじょ」
やれやれ、とでも言うかのように瞼を伏せてふるふると首を振る。呆れられている。おそらく、リーフとのやり取りのことを指しているのだろう。
今度はピジョットから『いつまでガキのままなんだ』と言われているようだ。
「だーーーもううるせぇ!!」
「こら! グリーンってば、ピジョットにそんなこと言っちゃダメでしょ! ピジョット、久しぶりだね!」
「ぷりぃ!」
「ぴじょっ!」
グリーンを放って、1人と2匹は久々の再会を喜ぶ。ピジョットと戯れるリーフの横顔を眺めながら、『誰のせいだと思ってんだよ』とボソリと不満を零したが、もちろんそれは彼女には届いていない。
「ほら、さっさと行くぞ!」
「わっ!」
ベリっとリーフをピジョットから引き剥がし、相棒の背に跨る。ピジョットから再び呆れた視線を感じるが気にしない。
「も〜〜グリーンってば何怒ってるの……?」
ジトリと目を細めて、リーフもモンスターボールを取り出す。
そういえば、リーフの手持ちに飛行要員のポケモンは居ただろうか。過去の記憶を辿っている間に、ボールから彼女の仲間が現れる。
「きーっす!」
「トゲキッス、トキワシティまでお願い!」
「お前、いつの間にトゲキッスなんてゲットしてたんだよ」
お互いカントーで旅をしていた頃、彼女の手持ちにトゲピーは居なかったはずだ。と言うことは、他の地方でゲットしたのだろうか。
「ううん。この子、レッドから貰ったトゲピーなの」
「は? レッド?」
「うん。レッドが山篭りする前にね」
「初耳なんだが……」
レッドが山篭りをする前ということは、彼がナナシマで入手したタマゴから孵ったトゲピーなのだろう。
レッドがなぜリーフにトゲピーを預けたのかはわからないが、ポケモンの事情を尊重するレッドのことだ。何か理由があったのだろう。そして、その適任者がリーフだと考え、彼女に託したのだ。
(ったく、俺の知らねぇところで……)
途端にモヤモヤとしたものが心を覆う。些細なことで嫉妬心を抱いてしまう自分が面倒で仕方がない。
「行くぞ、リーフ」
「うん! トゲキッス、よろしくね!」
「きぃっす!」
ぶわりっ。上昇した拍子に、花びらが舞う。
ふと、後ろへ振り返ったグリーンの視界に映りこんだのは、舞い上がる花びらの中でプリンたちと幸せそうに微笑み合うリーフの姿だった。
思わず見惚れてしまうほどの愛らしさに、心臓の鼓動が早まる。それを振り払うように、グリーンは樹木の葉で覆われた天井を見上げた。
そうして、それぞれのトレーナーを乗せたピジョットとトゲキッスは、青い空に向かって飛び立ち、目的地のトキワシティを目指すのであった。
その後、リーフを連れてジムへと帰還したグリーンは、早速ポケギアで祖父を呼び出しリーフのことについて問い詰めたのが――
『ナナミの提案じゃよ。そうした方が自分の気持ちに早く気づくだろうと言っておったんじゃ』
などという衝撃の回答を投げつけられた。
姉の思惑通りになってしまったグリーンは、呑気にリーフパイを頬張るリーフへ視線を送り、悔しげに頭を抱える。
「…………待てよ。まさか、アイツもグルか!?」
その頃、シロガネ山のレッドは、相棒のピカチュウを抱えて呑気に昼寝中であった。
(そういや、お前なんで俺がジムリーダーに就任してるってこと知ってんだよ)
(えっとね、他の地方でも話題になってたから!)
(流石、俺様だなっ!)
(…………やっぱ全然変わってないかも)
(おい)
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