日記

ゲーム主人公の「器の余白」外見編1

2025/05/19 22:00
乙女ゲーマーの戯言
乙女ゲーマーの戯言(たわごと)タイム始まるよー。

今回は自分が自己投影しやすいゲーム主人公とは何かについてお話しします。たまに、自己投影派の考えていることを知りたいとおっしゃる方がいるので。
※ここでいう自己投影とは、「主人公=自分」として物語に没入できるか否かを指します(心理学の自己投影とは違うものとする)。

自己投影に関しては、事情がかなり複雑です。人によって捉え方が違うので、私の場合のみで考えていきます。
ちなみに私はどんな主人公でも大丈夫です。

まず、外見設定が決められていない場合についてお話しします。私はこのタイプのキャラは自己投影しやすいので好きです。姿が設定されていないと、主人公の姿をプレイヤーは全く想像することが出来ません。
したがって、自分で好きな外見の主人公を自分で想像してプレイしたり(夢主)、キャラクターのコメントをプレイヤーに直接語りかけている物として受け取ることが出来ます。
具体的には、ツイステが挙げられます。ゲーム外コンテンツでは、外見設定が決められていますが。
もう一度言うと、私はこのタイプが好きです。物語に潜り込んでキャラクターと対話出来る体験が出来るので。

次に、目だけが書かれない主人公。一部のギャルゲーや乙女ゲーにはありますね。最近はそういったジャンルですらあまり見かけなくなりました。
最近の女性向けソシャゲには全くみられません。
目だけが書かれない主人公の作品としては、乙女ゲーのシンパシーキスが挙げられます。
こういった作品も好き。なんでだろう。
昔は女性主人公に目があると魂があって入り込めない感じがしたんです。
(急にスピリチュアルみたいになった)
目を入れていない状態に比べて目を入れている人形は魂を持っているように感じますよね。それと同じです。
きっと、目がないと自己投影としてのツールが強いアバターとして認識するのでしょう。一方で、目まで書かれた完全体のキャラクターは1人のキャラクターだと認識するんだと思います。
だからでしょうか、最初は目まで書かれているヒロインの乙女ゲーに慣れなくて、別の人と恋愛している様子をただ眺めている感じがしたんですよね。
壁派乙女ゲーマーさんの「ヒロインに自己投影出来ない。少女漫画を読むようにプレイしている」という感覚も、ここに繫がってくる気がします。


一旦、ここまで書いて筆を置きます。続きはまた後日。

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