薄明とか背徳とか



 ……視界が陰り、彼の控えめな金髪が揺れる。
 背後には壁が迫っておりこれ以上引くことはできない。
 完全に逃げ道を塞がれた。


「皇后崎くんこれはいったい?」

 授業が終わり生徒たちが各々自由に解散していくなか、皇后崎くんが一人教室に残っていて必然的に彼と二人きりとなった。
 私は戸締りがあるため生徒が出るまで動けない。
 どうしようか、と思ったらおもむろに皇后崎くんは立ち上がった。なにかわからなかったことでもあっただろうか、いつも颯爽と自室に帰っていく姿が印象的だったから心配になる。
 ……今思えば、その必要は無駄だったわけだけれど。
 そんな皇后崎くんはドアを目標にではなく私の方へとにまっすぐ向かってきた。
 そしてそのまま現在、壁に追いやられた俗に言う壁ドン状態である。

「見てわかんねぇのかよ」

 あいにく私はそこそこの歳を重ねた女であり、少女漫画の鈍感ヒロインではない。
 わかりますよ。でもね、そこで、理性を備えた大人が、はい、そうですかとはいけないんです。

「ほら、自室に戻……」

 彼の熱の籠った視線に気づかない振りをして、なにか起こる前に退室を促そうとする。
 彼が何か口を開きかけたとき、横からガチャっと音がして救世主が現れた。

「探したんだけ……ど……なんかごめん」

 踵を返すように立ち去ろうとする救世主、花魁坂京夜先輩を急いで呼び止める。
 やめてください、変な勘違いをされては困る。 急な乱入者に驚いたのか、皇后崎くんは腕を退けた。

「大丈夫です。なにか用事が?」

 今だ、とその隙に彼と距離をとるように京夜先輩と教室を出た。

「あーそうそうこの書類」

 戸締りは後でまたしよう。いまはここから離れることを優先したい。
 ここの欄が違うっていうんだよ。薄暗い廊下に二人分の足音と声が響く。
 きちんと対面しているはずなのに、先輩の話が右から左へと抜けていく。
 思考はほとんど停止していて、私はちゃんと返事をできていただろうか。


 今日も今日とて鬼関は人手不足。というのも私の本職は教師ではない。前までは港区の隊員であった。今は療養を兼ねて新人の育成を行っているが、また前線に戻る日も近いだろう。
 今日は羅刹学園に在校する教師が少なく、職員室につくとみんなの憧れ無駄野先輩がいるだけだった。
 自席につくと、でさ、と京夜先輩が口を開いた。

「……年下がタイプだったんだ?」

「いや違いますし」

「なにかあったのか?」

 私の意思を無視して京夜先輩が先程見た状況を無駄野先輩に説明した。

「からかわれてただけですよ」

 途端に恥ずかしくなってきた。
 居た堪れなくなくてムキになって言葉を返した。

「いやー俺には襲われてるようにみえたけどね」

 若いねー、なんて言いながら笑ってる。本当に笑い事でない。やめてほしい。皇后崎くんの担任は無駄野先輩が取り持っているもんだから、正直気まずい。

「んで付き合うの?」

「やそれはまずいと思います」

「生徒だから? まーいいんじゃない」

 京夜先輩の意見は当てにしてはいけないのではないだろうか。生徒に手を出してそうと言われる人だ。それにたとえ先輩が許しても、生徒に手を出した先生といえば世間の目は厳しい。

「皇后崎くんのこと好きじゃないの?」

「うーん」

 好きか好きじゃ無いかなんて考えたこともなかった。彼は生徒であり、私は教師。それ以上でも以下でもなかったはずだ。

「さっきから質問ばっかりですね」

 矢継ぎ早に飛んでくる質問が、私を責め立てているような気がする。先輩にそんな気はなくて、ただの被害妄想かもしれないけど、勝手に心臓は鼓動を速める。

「まぁ浮いた話なんて初めてだしキョーミある」

 ははっ、と明るく笑う先輩に軽く頭を押さえた。完全に遊ばれている。

「で、付き合いたいの?」

 京夜先輩は真剣な表情に戻って恋バナをはじめた。

「それは違います」

 反射的に否定が口をついて出た。
 私の答えに、先輩は眉間に皺を寄せた。

「違う? ならなんできっぱり断んないの?」

 ただの被害妄想ではなかったのかもしれない。 先輩のこれは確実に不明瞭な私の心中にメスを入れた。

「あんとき俺がこなかったら流されてもいいとか思ったわけ?」

 心臓が一際大きく跳ねて、トドメだとでも言うように先輩の言葉が突き刺さる。

「……ほら、可哀想じゃないですか彼」

 捻り出すように言った言い訳じみた言葉は、誰を擁護するでもなく、自分で言って最低だと思えるものだった。

「可哀想……ね」

 飲み下すように反復して、先輩は鼻で笑った。

「うら若い欲望かかえた男が、その煮え切らない態度で踊らされるほうが可哀想とは思わないわけ?」

 普段のちゃらけた姿と違って、向き合って真剣な眼差しと声でそう告げる先輩に驚いた。これが非難では無いことが私でもわかるくらい、まっすぐと先輩は言い放った。
 彼は責めてなどいなかったのだ。それどころか診療するかのようにこの曖昧な感情に可否をつけさせた。
 私も知らなかった気持ちまで。

「……だって」

 この人にはどこまでお見通しなのだろうか。
 半ばヤケクソで叫ぶ。

「付き合ったら引きますよね?!」

「あぁ」

「ダノッち黙ってて」

 あっさり肯定されたことに血の気が引いた。そう、担任の無駄野先輩である。

「嘘でもないって言って!!!」

「先輩に引かれながらその生徒と付き合えませんよ!!」

 私は勢いよく机に突っ伏して悩み込んだ。

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