A tesoro mio
name change
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「ですから、私は…」
シチリア島海辺の古都チェファルの一角、ひっそりとしかし悠然と佇む豪奢なヴィッラ。その書斎にてソファにふんぞり返った尊大な男を前にルイは疲弊していた。プカプカ葉巻タバコをふかすこの男、名をステファン・ベルモンドと言う。国家を秘密裏に動かす財界の大物で所謂フィクサー(黒幕)と呼ばれる存在だ。ここは彼の所有する幾つかの別荘の中の一つ。
「何が問題なのかね。どの側面から見てもこれは君にとって良い話だと思うが」
「はぁ…」
皺の刻まれた厳めしい表情に滲み出る僅かな苛立ちは大変不快。本音を言うならば今すぐ「お黙りこの狸爺!」と眼前のテーブルを蹴り上げ立ち去りたい気分だが、そうも行かない。何故なら彼はルイの患者、そして裏社会にも大きな影響を及ぼす男。機嫌を損ねればルイ如きキャリアの浅い小娘なぞ即座にこの世界から弾き出されてしまうのだから。
そんな自分達の力関係を見越してか、彼は調子が悪いと偽ってはしょっちゅうルイを呼び出し辟易とさせる。その理由とは。
「ほら、今年ももう終わってしまうよ。そろそろ真面目に考えてみたまえ。我が息子の一体何が不満だと言うんだ」
獲物を捕らえる鷹の如き目で今日も繰り返される強要。
彼の一人息子との縁談だ。
書斎の小さな窓から覗く外はどんより曇っている。温暖な筈のシチリアで今年のクリスマスは雪を見るかも知れないと先日のニュースでやっていたが、そろそろ現実と化してしまいそうだ。早く切り上げて帰ってしまいたい。
「あー…ドン・ベルモンド。勿論あなたの御子息は素晴らしいですわ。不満なんてとても。ただ私、何度もお話した通り、そもそも結婚の意思自体が―」
「結構結構。君は腕も良く野心に溢れている。医師として高みを目指せばこそ家庭に目をくれる余裕など無いだろうね。しかしいずれ気が変わるかも知れない」
コツコツ、立ち上がり室内を歩く足音が威圧的に響く。
「種族保存は生物の本能なのだよ。君に我が子を抱きたくなる日が来ないなどと誰が言い切れる?しかしまた自己実現を図りたいのも重大な欲求。では選ぶ道は一つしか無かろう」
ベルモンドの言い分はこう。あちらを立てればこちらが立たずのジレンマが付き纏うこの問題を解消するには、いっそ適齢期なぞ待たずに身を固め一日でも早く産んでしまえ。さすれば子の手が離れてからでも充分にキャリアの再スタートを切れる、全てを手に出来る、と。
あまりに不確定で無機質な事を除けば、ある種合理的なこの考えを否定する気は無い。しかしベルモンドは根幹を誤っている。ルイが結婚に関心が持てぬのは人生設計以前の問題なのだから。
ああ、雪が一粒二粒風に舞い始めた。あの忌々しい白い悪魔が。全身に悪寒が走り抜ける。こんな日は殊更こんな話は聞きたくない。もう終わりにしなければ。
「あの、酷い天気ですわ。…お体差し支えなければ私そろそろ」
「いいや、今回は逃がすものか。休暇はここに泊まって行きなさい。息子もじきに来る」
「は?いえ、そんな」
「何か外せぬ用でもあるのかね?」
向けられる覇気にまずいと思った。今日の彼は本気のようだ。本気で年内にこの馬鹿げた婚姻を成立させるつもりでいる。これはいつもの安易な嘘では切り抜けられそうもない。どうしたものだろう、脳が全力で回転を始める。
その時だった。内ポケットの端末から小さな振動が伝わって来たのは。何だこんな時に。苛立ちまぎれに取り出したそれが示す相手の名は…トクンと一つ心臓が打った。
「はい」
「どこか行ってるの?お腹空いたんだけど」
「はぁ?……!」
雲雀の言葉は脈絡の無いものだったが即座に閃いた。
“この時期この国は店が閉まるって毎年忘れるんだよね”
去年そうぼやいていた彼を思い出す。きっと彼は皆帰省しひっそり静まり返った本部でクリスマス休暇中の食事に窮しているのだろう。そうに違いない。何故か今年もルイが世話をするのが当然と言わんばかりの口振りはふてぶてしく感じる反面嬉しくもあり、先日の件から顔も合わせて居なかった憂いが一気に吹き飛んで行く。
が、今はそれ以上にこのタイミングの良さに感謝するばかり。
「OK、ちょっと待って。…すみませんドン・ベルモンド。私実は今ちょっと事情で野生の狼を保護しておりまして」
「野生の狼?」
「ええ、お腹空かせて今にも暴れ出しそうだと。急いで帰ってご飯与えなければ」
狼?何の話?端末の向こうの怪訝な声は無視して眉をそびやかすベルモンドを直視する。
「良く分からないが餌やりなど君でなくても良いだろう。誰かに任せられないのかね?」
「咬み殺されてしまいますわ。私以外に懐いてませんもの。誰だってクリスマスに血を見たくはないでしょう?」
まことしやかな訴えには流石のベルモンドも耳を貸さざるを得なかったようだ。この国にルーツを持つ人間の大半にとってクリスマスは特別なもの。彼とて例外では無い。酷く渋々と言った面持ちで仕方がないと頷いてくれた。
「御理解感謝致します。…うん、今から帰るから迎え来てくれる?そう。じゃ十二時頃パレルモ中央駅で」
そんな危険な獣はさっさと手放してしまいなさい。研究対象か保護か知らんが全く…ぶつぶつ繰り返されるベルモンドの悪態を他所に通話を終わらせコートを羽織る。そうしてどうにかこの尋問室の如き小部屋からの脱走に成功したのだった。