A tesoro mio
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「あら—…あら、雲雀さん。お帰りなさい。私そんな事言った?」
何と白々しい事だろう。頭一つ分上にある件の男のかんばせを見上げた弟子は、今や大仰に取り澄まして平然とのたまう。
「そう聞こえたよ。僕と同じ名前の男が一方的に君に惚れてるってね。聞き違いかな」
「聞き違いね」
沈黙が落ちた。誰が信じるものか。だからシャマルは嫌でも感じざるを得なかった。彼らの間に存在するのっぴきならない問題を。面倒事の気配が明確に漂っている。さっさとこの場を立ち去らねば——じりっと一歩後退したシャマルが別れの言葉を発する寸前に。
「ね、けど雲雀さん。私に恋する人が物好きってのは間違いよ。それは全然正しくない。だって私、あなたが知ってるかは知らないけど」
何のプライドだか、よせば良いのにルイの口は勝手に言葉を紡いでしまう。或いはあまりの動揺からだったかも知れない。
「君が大人気なのは知ってるよ。いつもデートの誘い受けてるからね」
「御存知だったなら結構。それじゃ私もう部屋に—」
「君はね、外面で惚れられてすぐに愛想尽かされるタイプだよ。君が知ってるかは知らないけど。だから本気で君に惚れ上げてる奴が居るなら、そいつは相当物好きで何も間違っちゃいない」
「ムフッ!」
吹き上げた笑いを殺し切れなかったシャマルを鬼の形相で睨み付けるルイ。
「お、おいおい落ち着け。喉に何か詰まっただけだ。ウォッホン!じゃー先生もう行くから穏やかにな!Ciao!」
その後残されたのは酷く痛ましい静寂だけ。居た堪れず目前の自室へ逃げようとしたルイの目がふとある物を捉えた。雲雀の片手にぶら下がった飾り気の無い小さなレジ袋。ロゴで近隣の薬局の物だと分かる。
「何それ…調子悪いの?」
気まずさは何処へやら尋ねてみると何故か彼はじっとルイを見据えて来る。全くの無表情で。
「傷薬と間違えて買った物」
「傷薬?」
「常備してるのが無くなっただけさ。これは持ってても仕方ないし君にあげよう」
「わ、ありがとう。なーに?」
「と思ってたんだけど、やめとくよ。妙な誤解されちゃ堪らないからね」
そして雲雀はさっさと踵を返してしまった。おやすみ、と素っ気無い一言を残して。
「……」
これはまた…何という事だろう。たちまち湧き上がって来る後悔と屈辱と、苦しさと。ふと口を衝いてしまっただけの言葉が、まさかこんな。
妙な誤解——そうか、成程、誤解……やはり誤解だったのか、そうか。どうして期待なんてしてしまったのだろう。それに、すぐに愛想尽かされるタイプとは。あれは一体どういう事だ。
何だか心臓が痛い。プライドも女心も見事に崩壊、じわりと手足が痺れ力が抜けて行く。こんなにもショックを受けている自分が馬鹿みたいで今にも吐いてしまいそう。上手く息が出来ぬ体を引き摺って部屋に帰るのがやっとだった。
「っ!ちょっと」
雲雀が廊下の突き当たりでたまたま通り掛かった骸と肩をぶつけたのはその直後の事。
「何ですか君は。ぶつかったのなら謝罪くらい—…ん?」
雲雀の手のレジ袋のロゴを見た骸は即座に距離を取った。風邪だろうか。多分そうだ。何故なら彼は非常にぼんやりとしている。発熱中に違いない。伝染されては堪らぬと早々に立ち去ろうとしたのだがその行動は遮られてしまう。突如レジ袋が目の前に突き出されたから。
「あげる」
「はい?」
「君にあげるって言ってる」
ずいと押し付けられる袋の中身が目に止まった骸は初めて抱く類の戦慄を感じた。彼はどうかしてしまったのかも知れない。
「…僕は男からこんな物頂く趣味はありませんし、君は今すぐ医務室で頭を診てもらう必要が」
「要らないなら捨てれば。じゃあね」
「ちょ」
止める間も無くスタスタ行ってしまった。骸の手には強引に押し付けられたレジ袋。
「……はぁ?」
意味が分からぬままに再度中を確認し、はたと思う。そして雲雀が現れた方向を顧みた時、骸の良く働く頭脳は瞬く間に生ぬるい仮定を成立させた。げんなりと息が漏れる。全く、あの二人は。
「ルイ、入りますよ」
第一医務室を通り抜けルイの私室へ。そこには思った通り不機嫌そうな女の顔。
「なーに?」
「誕生日プレゼントを渡しにね」
そう言ってレジ袋を差し出すなりルイの顔が綺麗に引き攣る。ああ、やはり。どうせまた何か揉めたのだろう。きっと恐ろしくつまらない事で。
「それ雲雀さんが傷薬と間違えて買った物でしょ。何であなたが持ってるのか知んないけど私が受け取ると妙な誤解生んで申し訳無いから要りません」
間違えて買った物?妙な誤解?どうにも不明瞭だが何だって構わなかった。骸はしょうもない痴話喧嘩の内容に興味など無いのだから。ただ自分もまた彼女の誕生日にプレゼントを渡したかっただけ。そのついでにほんの少しの世話を焼いてあげても良いかと気まぐれを起こしただけなのだ。
「良く分かりませんが、君にはこれが男が傷薬と間違えて購入する物に見えますか?ちょっと無理があるでしょう」
そうして骸の長い指が取り出したのは。
「え…」
ルイの剣呑に細まっていた目がみるみる内に開いて行く。それはフェミニンなアロマブーケの描かれた、いかにも女性向けの品の良い小さな箱。ハンドクリームだ。ルイは息が止まったかのようにそれを見詰め、そして自身のボロボロに乾燥した手を見詰め。
「おやおや酷い手荒れだ。彼は目敏いですねぇ。あの男が一体どんな顔でこれを選びレジに持って行ったんでしょう」
「……」
「個人的には考えただけで笑いが込み上げて来ますが…素直に受け取ってあげては?どうしても不要ならばあの女スパイにでも送っときますけど」
「ダメ!…あー…別に…。………頂いておきます。一応…」
ぼそぼそと尻すぼみにそっぽを向いて。やれやれと肩を竦めた骸がもう一つ、長方形の小箱をルイの膝の上に置く。某ブランドの高級チョコレート。
「これは僕からのプレゼントですよ。いつまでも不貞腐れてないでもう機嫌治しなさい、誕生日でしょうが。二十一歳おめでとうございます」
そうしてチョコレートの一粒を口に放り込んでやると、やっと小さな笑顔が見られた。誕生日プレゼントの受け渡し一つでどうしてこうも拗れてしまうのか骸にはさっぱり意味不明で、もう呆れ笑いも出て来やしない。全く前途多難な事だ。
「ひーっさびーさびー」
白衣の前をきっちり閉めて冬の寒空の下を歩くシャマル。今年のシチリア島には例年に無い寒波が訪れそうな予感がする。もしかしてホワイトクリスマスと洒落込むかも知れない。片手に持った酒の瓶をクイッと煽って来た道を振り返り、既に遠くの方になってしまったボンゴレの屋敷を仰ぎ見る。
あの後ルイはどうした事やら。かなりややこしい事態にあるようだがシャマルはいつでもルイの幸せを願っている。
ルイが自分とクリスマスを過ごすのを拒み出したのは、あの子が十を数えた頃だったか。シャマルは何となくその理由に気付いていた。普段は親子のように接しては居ても、シャマルはシャマルで肉親や女、ルイとは無関係な所で様々な繋がりがある。あの子は人より神経の細かい部分があるから、所詮拾われっ子の自分が特別な日にその中に入り込む事に遠慮…と言うよりはある種の苦痛を感じてしまうのだろう。
そんな事気にするな、なんて言葉を掛けられる程シャマルは無神経でも無い。あの子の心はあの子だけのもので踏み入っていけない場所はあり、それは尊重すべきなのだ。
ルイはシャマルに拾われる以前の事を一切話そうとはしない。が、シャマルは腐っても医者。あの子の思考や振舞いから概ねの検討は付いている。そして知ってもいる。あの子をいつまでも蝕む陰鬱な暗闇、それは自分では決して払ってはやれない類のものなのだと。
「雲雀、ねぇ…」
あの暴れん坊主の腹立たしい程に涼しいかんばせを思いペッと唾を吐く。しかし…
君はすぐに愛想尽かされるタイプだよ。
そう言った彼は案外ルイを良く見ているようだ。その通り、あの子は完璧に被った外面を引っ剥がしてしまえば実は相当面倒な性格をしているのだから。
あの究極の男嫌いが恐らく初めての恋心を持ち唇を許した。それ以上がどうなのか、雲雀はルイをどう思っているのかシャマルには分かり得ない事だけれども、ルイは変わり始めている。自分はそれを見守るだけだ。そう。この先ルイがその感情のせいで酷い苦痛に見舞われようと、案外あっさり愛を育もうとも。
あの子はもう、自分の庇護下で絶叫し暴れ目に映る全てを引き裂いていた小さな子供では無いのだから。
吐く息は白く儚く消えて行く。それがどうかあの子の未来と重ならぬように。そんな事を思いもう一度零す。
「雲雀、ねぇ。……どう考えても分からんぜ」