A tesoro mio
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気温もぐっと冷え込み其方此方からは咳き込む音が聴こえて来る本日十二月八日。今日はルイにとって少し特別な日。
「ルイっちゅわ~ん!!」
「!?」
いつもの第一医務室、正午前。突如背後から勢い良く抱き着かれ身を竦ませるルイ。この慣れ切った感触、浮かれ声、匂い。犯人など振り返らなくとも分かる。何故この人が此処に――
せんせ、口に出すより早く、ゴッ!鈍い音が響き痴漢常習犯の大きな体は地に伏す事になった。飛んできた鈍色のトンファーによって。
「お~いてて…何だてめぇは藪から棒に」
「風紀を乱す者は咬み殺す」
「あん?今まで俺のこたぁ視界にも入れてなかったじゃねぇか。分かんねぇ奴だな相変わらず…」
負傷した頭を摩るのはクタクタの白衣に身を包んだ天才外科医、Dr.シャマルその人だった。トンファーの持ち主は奥の方から姿を現すなり彼を見下ろしフンと鼻を鳴らす。
「獄中じゃなかったっけ?何してんの?」
「だーれが獄中だ!この俺様がそう簡単に捕まるかってのバーカ。ほとぼり冷めて来たから可愛い弟子の誕生祝いにちっと寄っただけよ」
ね~せんせ〜のベリッシマ!プリンチテッサ!賢い可愛いルイちゅわん!二十一歳の誕生日おめでとう〜!!雲雀への憎々しげな表情とは一転、だらしなく口元を緩ませて傍らのルイの頬に熱烈なキスを贈り始める。ブチューッチュッパ!酷い音が響く中、それでもルイは「お帰りせんせ〜覚えてくれてたの~」とニコニコ笑顔で嬉しそうだ。
「誕生日⋯君の?」
「そ。すっかり忘れてた。一年早いなぁ」
年寄りの様な事を言うルイの頬は激しい吸引力を持ったシャマルの唇に飲み込まれてしまいそうに引っ張られている。
眼前で繰り広げられる師弟の蜜月を冷ややかに傍観しながら雲雀は思う。ルイは幼少時よりこの女たらしに師事していたようだが、こんな具合でよくもまああれだけの技術を得られたものだと。しかし今はそれよりも。
誕生日、だと?これはどうすべきか。雲雀は今から仕事に出る。夜まで帰れない。プレゼントを選ぶ時間は…プレゼント?この曖昧な関係で?
「……」
纏まらない頭だが仕事には遅れられぬ。イチャつく二人にもう一度冷ややかな一瞥をくれて雲雀は退室して行った。
「なーんだアイツは…」
「湿布貼ってたの。寝違えちゃったんだって。ね、せんせーしばらく居られるの?」
「いいや明日からハワイ。けど今日は一日空いてっから仕事なんかサボって先生にエスコートさせ…ん?お前今日休み?」
今のルイは白衣ではなくニットにミニスカート、厚手のタイツ。どう見ても今から遊びに出掛ける女の子スタイルだ。
「うん、冬物ショッピング。しっかりエスコートしてよね!」
こうして師弟は仲良く街へと繰り出した。腕を組んで、親子かはたまた爛れた何かかと疑惑の視線を浴びながら。
「おーおー賑わってんなぁ」
「ねーほんと。すごい人。それでね、あの時ツナが—…」
本日は丁度インマコラータ・コンチェツィオーネ(無原罪の御宿り)—聖母マリアが神の計らいにより原罪を免れその母であるアンナの胎内に宿ったとされる日で、イタリアではこれをもってクリスマスの始まりとなる。
二人が立つ街の中心の広場にもクリスマスマーケットがズラリ立ち並び、いつもに増して活気づいた人々でごった返していた。
ワインにお菓子、キラキラ光るオーナメント、お洒落な食器達やプレゼピオ。広場を囲うようにひしめき合う屋台をひやかしながらも、久しぶりに大好きな師に会えたルイの口は機関銃さながら。あんな事があってこんな事があって、それで私ね…一人で笑って怒って忙しい幼女の様なルイを、シャマルは優しい目で見守ってはうんうんと相槌を繰り返す。しばらくそうして居たがふと彼がスラックスのポケットから携帯電話を取り出した。
「ワリ、ちっと電話」
シャマルが小さな端末と口元に手を当てルイからそそくさ離れる時、それが女性からの電話だと気付いたのは未だ随分と幼かった頃。邪魔してはいけない、けれど少しは腹が立つ。そんな繊細な幼心はもうとうに無くしているけれど、それでもルイはわざとに肩を竦めて見せるのだ。また?早く帰って来てよねと。
ルイにとってシャマルはある種絶対的な存在だった。光の届かぬ陰惨なスラムの片隅から連れ出し、色付く外の世界を教えてくれた。憎悪に支配された邪悪な子供を辛抱強く抱き締め愛情を与え、そして医療技術を仕込み生きる道を示してくれた。ルイというこの名も誕生日も全て彼が贈ってくれたもの。彼に拾われたから今のルイが在る。
とは言え彼の医学の指導は平時とは打って変わって容赦の無い物だったから、実は裸足で脱走した経験なんて数知れず。その度に何故か不思議と居場所を突き止めては手を伸ばしてくれた。我儘子猫ちゃん、ご飯の時間だよ。そろそろ帰っておいで。そう言って笑って。
ただ一度だけ迎えに来てくれなかった事がある。
忙しない雑踏に一人佇み、ぼんやりと思い出される昔話。
ルイが十四になったばかりの頃の事。そろそろ独立させても良いかもなぁ。度々そんなふうに言って貰えるようになった時分で浮かれていたのかも知れない。
とある患者のオペを任されたルイは、指示されていた簡単な術式を独断で変更したのだ。ずっと複雑で難しい切り方に。患者の体へ与える負担は変わらない、問題が起こっても対応出来る自信故の行動。何より技術向上の為という側面が大きかった。そしてルイは全て完璧にやり遂げたのだ。滅多に褒めてくれない師も今回ばかりは諸手を挙げて喝采してくれるものだとばかり思っていた。
けれど。
「お前は俺の教えの何一つ分かっちゃいなかったんだな」
あの底冷えのする静かな声をルイはきっと一生忘れられない。打たれた頬の鋭い痛みも。初めて手を上げられたショックと困惑で息も出来なかったルイだが、徐々に湧き上がって来た怒りと悲しみで思わず飛び出してしまった。何が起こったのかさっぱり意味が分からなかった。
そうしていつものようにあちこちを転々としながら来る筈の迎えを待っていたけれど、一日が過ぎて二日が過ぎて…いつまで経っても彼は来てはくれなかった。
どうして?私が悪いの?成功したのに?スキルアップは必要な事じゃない。そりゃ勝手にしたのは良くなかったけど⋯あんなに怒らなくたって。大体普段から先生が褒めてくれてりゃあんな事には⋯
公園のブランコに座り込んで酷く他責的な自己弁護を繰り返し繰り返して、その内吐きそうに気分が悪くなって来た。本当は分かっていたから。どうやってみたって自分が悪いのだと。何度も何度も教え込まれて来た。
命の重みを知りなさい。たった一つしかねぇ命を生かすも殺すも俺達次第。その重圧を無くした瞬間患者と向き合う資格も無くすんだ。
そのような意図は無かったにしろルイが自身の向上心と虚栄心を満たす為に患者を利用した事実は変わらず、それを見透かしての師の怒りに成功の可否もましてやどれだけ上手く切れたかなど果てしなく無関係だったわけだ。
愚かな子供はこの時になってやっと気付いた。彼の言葉の意味、医師の持つべき本当の矜恃を。そうして頭を下げにきちんと自分の足で帰ると、青ざめた顔のルイをシャマルは存外優しく迎え入れてくれたものだから、思わず抱き着いてしまった。
彼の庇護下から離れ独立した今ならば分かる。あまり褒めてくれなかったのはきっと、一で十を吸収する優秀な弟子が無自覚の奢りに溺れてしまわぬ為。それが裏目に出てあの時手を上げざるを得なかったシャマルは自分よりずっと胸が痛かった事に違いない。弟子の目を覚ますべく心を鬼にしてくれた。感謝している。
だからこの経験は彼へ抱く親愛、敬愛の念を確固たるものへと変え、ルイの医師としての信念の基盤を確立させたのだった。
もうあれから七年か。
懐かしい記憶を辿りながら吐息でかじかむ手を温める。手洗いに次ぐ手洗いでダメージを受けひび割れた手。乾燥する冬場は特に酷くなり、ケアなど無意味ととうに放棄した職業病。普段はうんざりするこれだって今あの日を振り返ってみれば悪くないと思えてしまう自分に小さな笑いを漏らし、きっと電話の向こうの彼女に愛を囁いているに違いない師の帰りを待った。
二人であちこち遊びに遊んで屋敷に戻って来たのはもう深夜前。体はぐったりお腹はパンパン、楽しい事だけの一日だった。今夜は泥のように眠ってしまいそうだ。エスコートは最後まで、と部屋まで送ってくれる師の完璧な紳士の対応にすっかりご満悦なルイは、最高の気分のままこの良き日を終えるのだとばかり思っていた。長い廊下を歩いて部屋はもう目と鼻の先の今この瞬間までは。
「なぁ、お前さぁ…聞いて良いか?」
「なーに?」
「雲雀と付き合ってんの?」
ギョッと硬直したルイの顔と来たら。虚を突かれたとはまさにこの事。
「いやぁー見えちまったんだよな。お前とあいつが…こう、チューしてんの」
トントン重ねられる両の人差し指の先を思い切り叩くルイ。
そう、シャマルは目撃していたのだ。ルイを驚かせようと気配を消して医務室に入ったその時、治療を終えた雲雀が立ち上がりざまに彼女に軽く口付けたのを。そしてルイがそれを極普通に享受して、行ってらっしゃいと微笑んだのを。
ありゃ俺の弟子か?まさか。いやしかし…と、あまりの動揺に思わずすっとぼけた振りをして割り込んでしまったというわけだ。
「幻覚見てたんじゃない?大丈夫?違法薬物も飲み過ぎもダメだよ。もうお爺ちゃんなんだからそろそろ落ち着いて」
「落ち着くのはお前な。先生は違法薬物撲滅派だしまだおじさんだ。最高にイケてるナイスミドルだ。訂正するように。…しかしまぁ何だって雲雀なんかと」
「だーから何でもないってば。冗談でしょあんな危ない人。大体私が男なんかとどうこうなるわけないじゃない」
「いやだってお前」
「くどい」
フイと顔を背けてしまうルイはいっそ分かり易い。何故こんなにも必死に否定する。とは言えルイはもう自立した大人なのだし深く介入するつもりも無いが、嫌がられてもこれだけは伝えておきたい。
「先生が口出す事じゃねぇが…惚れる男はよーく選べよ。雲雀は多分お前の精巧な脳が起こした最悪のエラーだ」
地雷を踏んだらしい。空気を劈くヒステリックな怒声が廊下中に響き渡る。
「馬鹿言わないで!あいつが私に惚れてんのよ!!私はあんな男全然何とも——」
「へぇ。君に惚れる物好きがね」
背後から割り込む酷く落ち着いた低い声。シャマルは見逃さなかった。派手に肩を震わせたルイの顔がみるみる凍り付いて行く様を。