A tesoro mio
name change
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雨李の本当の父親は、南イタリアに住む日系の要人。仕事の為だけに数度寝ただけの関係で、まさか妊娠するとは思わなかったらしい。しかし折角宿った命。何だか摘み取る気にもなれず、危険なスパイの生業からは身を引き一人で産み育てる決意をしたのだと。
周りは敵だらけ、今更表の世界にも戻れない…そんな潤が求めたのは裏社会ながら安全が約束される場所で育児をしつつ、母としてもう手を汚さずに済む新たなスキルを得る事。
そんな訳で数々のコネクションを活用してリボーンに接触を図り、敏腕スパイとして掌握して来た闇の情報と引き換えにボンゴレファミリーに加入。見習いナースとして勤務する運びとなったわけだ。
“お前がボンゴレへの信頼を確たる物にするまで、息子の存在は隠してても良いぞ。そうすりゃ合わねーと思った時いつでも出て行ける”
子の存在は弱みになり得る事を考慮してそう進言してくれたリボーンに甘え、雨李を一時期施設に預けて。
事情は良く分かった。だが肝心な事を未だ聞いていない。
「どうして僕を父親に仕立て上げたりなんてしたんだい。理由によっては」
「はいはい、ちゃんと話すから殺すなんて子供の前で言わないで。あのね、恥ずかしい話なんだけど」
産後のガタが来た体を引き摺り先の見えぬ暗闇を奔走する日々は潤を大いに摩耗させた。
全ては可愛い雨李の為に、その筈が気付けば雨李のせいで自分はこんなにきつい。自分の意志で産んだのは確かだけれど、望んだ妊娠では無かったのに。雨李さえ腹に宿らなければ…そんな風に思ってしまう日だってあった。
そして疲労がピークに達し心身共に最悪の時に目に入ったのが、
「ルイ先生といちゃつくあなただったのよね。裸でべたーってくっ付いちゃって、名前まで呼んで…」
「は?」
クスクス、不意に彼女らしい人を食った笑みが戻る。
「もう、カーッて腹立っちゃったのよ。私だってちゃんと避妊してたわ。なのに出来ちゃった。あなただっていつそうなってもおかしくない生活してる癖にどうしてこんなに自由?神様不平等過ぎない?って。まあ八つ当たりよね」
かつて関係を持った事もある自分達の落差に頭に血が上った瞬間、気ままに生きている雲雀が憎らしくて妬ましくて、つい奈落に突き落としてやりたい衝動に駆られたのだと。それはあまりに人間臭い身勝手な本音の吐露。
「…君最悪」
「ふふっあんな出たとこ勝負な作戦成功するなんて思わないじゃない。ちょっと驚かせてやりたかっただけだったのよ。…けど、偶然に偶然が重なって上手く行っちゃった」
はー。大きく息を吐いてソファに凭れ込む。力の無い瞳が雲雀を映しては頼りなく揺らいで。
「…どうせリボーンが休暇から帰って来たらバレちゃう事なんだし、すぐにネタばらしする筈だったの。婚姻届も本当は未提出。ただあなたがあんまり誠実に向き合ってくれたから……もうちょっと、あと少しだけ…って、ついズルズルしちゃって」
「……」
「内心複雑なんてものじゃなかったわよね。…本当に、御免なさい」
素直に頭を下げられ、もう良いとも許さぬとも言えず雨李に目をやる。いつの間にか眠っていた彼の安らかな寝息。
全てが露見した今もう自分達を繋ぐものは何も無い。偽りの家族ごっこを続ける意味も無い。傍らに寄り添いこれを聴く事はもう無いのだ。
しかし…
ここで彼らを切り捨てる事は果たして正しい選択なのだろうか。例え一時でも本当の家族だと思っていた。壮絶な葛藤の中、それでもそこには確かにある種の情が存在していた。
赤子の無垢な寝顔は雲雀に生まれて初めての揺れを生じさせ、それは彼を混沌の渦へと飲み込ませる。
無言で雨李を眺める雲雀に、潤は幾ばくかの時間を置いて、それからそっと頭を振った。自分に言い聞かせるように。
「…良いの。もう関わらないから安心して。この子が落ち着き次第、私ジッリョネロファミリーへ行くわ」
「は?」
感傷に浸る間もなく告げられた言葉に振り向くと彼女は緩慢に口角を上げて、ゆっくりと続ける。
「リボーンがね、希望ならすぐに紹介してやるって言ってくれてたの。ジッリョネロの方がここよりは育児に適切だろうからって。あちらのボスの承諾も得てるわ。優しいわよね」
「…そうかい。まあそうかもね」
ジッリョネロファミリーのボス、ユニの柔和な笑みは、きっと不安定な母子の未来を温かな光で満たすだろう。ここのボスの器だって決して負けてはいないが如何せん独身の男、畑違いの家庭のサポートなどでは及ばぬ所も多いだろうから。
「ルイ先生には私からちゃんと説明しておくわ。引っ掻き回して御免なさい」
「……。さっきからルイ先生ルイ先生って「ねぇ、キョーヤ、キスして」
「は?」
何を突然。キス?この期に及んでこの女何を考えているのだ。すっかり棘が抜けたように見える一方でやはり彼女に油断は禁物、警告が頭に響く。しかし潤はするりと目前に歩み寄って来て、寂しげに儚げに。
「知ってた?あなた一度もキスしてくれなかったのよ」
するり、冷えた指がそっと頬を滑る。咄嗟に振り払おうとした手は、見つめてくる潤んだ瞳に動きを止められて。
「義務感だけだったとしても、あなたが私もあの子も大事にしてくれて…私すごく嬉しかったの」
「……」
「だから、ほんの少しでも特別に思ってくれてたならお願い。例え子の母親としてだけだったとしても、私を愛してくれてた証明に…そしたら私──」
透明な涙が零れ落ちそうに膜を張る瞳は彼女の内に秘めた脆さを露呈する。それは雲雀に、機械的に見えた彼女も紛れもなく一人の弱い女だったのだと理解させた。
応じてやるべきなのかも知れない。けれど…縋って来る視線を無理矢理に引っペがして、向かうは先程までは息子だった赤子の元。
ぷにぷにと柔らかな、けれど折れそうにか細いその腕を取って、そっと手の甲に一つ口付ける。潤を振り返って。
「家族だった証に。…僕は君もこの子も、大事に思ってたよ」
線引きはしなければならない。きっとお互いの、そして今後もこの女を母親として生きて行く雨李の為に。
ぽろり、その頬に流れる一筋の涙。くしゃりと泣き笑いに顔を歪める彼女にはもう視線を戻す事無く、一人舞台から降りて行く。喜劇の幕引き。
「あなたが、本当の父親だったら良かったのに…」
去り際の言葉には耳を塞いで。
「……」
残された潤は力の抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。
あの時激情に駆られ真っ赤な嘘を吐いたのは、雲雀が気楽に自由を謳歌していたからではない。いつになく女と親密そうにして。いっそ分かりやすい程の特別な態度を取って。
「酷い奴ね、本当……私がいつもいつも、どんな思いで抱かれていたのかも知らないで──」
しんと静まった部屋、もう居ない背には届かない想いが、清潔な空気中に揺蕩い消えて行った。