A tesoro mio
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それぞれがそれぞれの思いを抱えたまま一見穏やかな時間は進む。ルイを取り巻く環境はあの日から何も変わらない。夏の日差しが今日も眩しいように。
「あらら…これは…鼠径ヘルニア。いわゆる脱腸」
綱吉達の帰還も目と鼻の先の8月中旬の事。定期的に行う乳児の検診にてルイは雨李の小さな体に一つの問題を見つけてしまった。
「脱腸…?これが?」
雨李のふにゃり柔らかな股に存在する僅かな膨らみを指摘された雲雀は眉を顰めその部分をまじまじと見つめる。
あれ以降互いに思う所もあり雲雀とルイが顔を合わせる事は無かったが、子供の事になると話は別。雲雀はルイの腕を誰より信頼していたからその後も雨李のかかりつけ医にルイを指名していたし、ルイとて小さな諍いでその信頼を反故にする気など無く、検診は当然のようにこの第一医務室で夫婦立ち会いの元ルイが直々に行う流れとなっていたのだ。
「先生、しばらく様子見ですか?すぐに手術を…?」
心配げな潤。看護助手として日々勉強に励む彼女は知識がある故に飲み込みも早いが、我が子の事となるとやはり不安だろう。
鼠径ヘルニアとは乳児には良く見られるもので現状特に大きな問題があるわけではない。しかし自然治癒は殆ど見込めず放っておくと後々嵌頓という重篤な症状を引き起こしてしまう可能性がある。経過観察をするかすぐにオペに踏み切るか、医師により考え方は様々だがルイとしては。
「すぐに手術を勧めます。ご存知の通り腹腔鏡で済む簡単なものですからそんなに暗くならないで。万が一に備えての対策も抜かりなく行いますから」
「万が一…というのは、輸血ですか?」
「そうですね、輸血も含めて全てです。緊急対応チームはいつでも万全ですし術後の苦痛も最大限減らせるよう努めますから大丈夫」
隣の雲雀に目をやるとこくりと頷く。了承の合図だ。
「執刀は君がするんだよね?」
「勿論。すぐ終わるからそちらの都合付くなら今からでも…潤さん?」
佇む潤の顔色が悪い。何かを言いたげに唇を開いては閉じて、開いては閉じて…
「…不安は分かります、大事な赤ちゃんだもの…。大丈夫ですよ。全力で臨みますから。…ね?」
「え、ええ…お願いします、先生」
歯切れ悪く頭を下げて潤は雨李のぽやぽやの髪を撫でる。肝の座った元スパイといえど今は一人の母親で、我が子の体にメスを入れるのは自分より若い小娘。その心情はルイにとて察するに余りある。「大丈夫だよ、その子上手いから」潤の背を軽く叩く雲雀に少しだけ疼く胸には気付かぬふりをして、ルイの頭はオペに向かい切り替わって行った。
この後起こる事態を知りもせずに。
「どうしたっていうの?」
昼過ぎ。
無事手術を終えた雨李が医務室の個室でガラガラを楽しそうに弄っている。麻酔もすっかり切れて、雲雀の目にはこれで一安心という所。にも関わらず潤の顔は何故か未だに晴れないままだった。喋らず笑わず全く元気が無い。一体どうした事だろう。
「…何でもないわ」
何度尋ねてもすいと目を逸らされるだけ。もしかすると心労が祟って腹でも痛いのかも知れない、とすれば聞かない方が良いのか。一人勝手な納得をしながら壁に掛けられたシンプルな時計を見る。後ほどルイが直々に様子を見に来るとナースが言っていたのだが…すると丁度コンコン、響くノックの音。
「お待たせしました。どうです?」
「変わりないよ」
あー、うー、むにゃむにゃ喃語を発する雨李をあやしつつ容態の確認を行うと、ルイは「大丈夫そうですね。念の為今夜は入院して貰って明日の朝異常が無ければ戻って良いですよ」と微笑んだ。
「それと潤さん、術後のケアについて説明したいのでちょっと来て下さい」
「……」
言い残して退室しようとするルイに雲雀は首を捻る。説明ならばここですれば良いのに何故潤だけを呼び出すのだ。
「僕も聞くよ」
「教材使っての専門的な講義だからあなたが聞いても分からないと思うの」
「?それは今必要?」
ルイにしては配慮に欠ける、ような気がする。勉強中の身の潤にルイが直接指導を行う事自体はなんらおかしくはない。しかし我が子がオペを終えたばかりのこのタイミングで?それはまたの機会にして今は通常の患者にするような説明だけではいけないのか?
チラリと潤に目をやると、彼女は感情の無い面持ちでじっとルイを見つめている。
「講義なんて落ち着いてからで良いだろ?」潤の心情を慮り言おうとした言葉は途中で止まった。何故かルイまでもが無機質な瞳で潤を見つめ返していたから。
どういう状況なのだこれは。雲雀にはどうにも意味が分からない。二人の女の無言の対立にも似た構図の中、雨李の遊ぶ玩具の喧しい音だけが響く事数十秒。口火を切ったのは潤だった。小さな息を吐いてゆるりと笑む。
「構いませんよ先生、ここでどうぞ。…夢の時間はもう終わり」
「夢の時間?」
いよいよ理解が出来ず問うても潤は唇に三日月を描かせるばかり。
「…そう。ではここで失礼しますね。雲雀さん」
「何」
抑揚の無いルイの声。次に紡がれる言葉は、雲雀の思考力を停止させるに充分だった。
「雨李くんとあなたの親子関係に疑問が生じました。必要であれば再鑑定を行います」