A tesoro mio
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
その後はてんやわんやだった。
有り得ない、ばさりと切り捨てる雲雀に潤は思い出させた。最後に関係を持った時期を。
──丁度去年の今頃、八月辺りだったでしょう?ピシャリじゃない──
しかしそのような説明だけでは到底納得出来る筈も無く、結局の所技術科学班へ依頼し親子鑑定、つまり所謂DNA鑑定を行うと決定した事でその場はお開きとなった。必要となるのは父子の頭髪一本ずつと言うお手軽ぶりだ。
突然の嵐をもたらした女が「じゃ明日ね」投げキスと共に退散した後、雲雀は骸とルイの無言の視線を受けつつタオルケットを引っ掴んで眠りに就いてしまった。本当に眠っていたのかは二人には分からなかった。
そして翌日の午後。
早朝より施設へ子を引き取りに向かっていた潤が帰って来た。薄手のブランケットに包まれた赤子を、それはそれは大事そうに胸に抱いて。
「ん〜可愛い〜」
赤子を覗き込みルイがほわりと顔をとろけさせる。
東洋人らしい切れ長の目、ぽやぽやの黒い髪。潤によるとこの子は生後三ヶ月。沢山の人間に囲まれていても未だ周囲の認識には至っていないようで、只々静かに指をしゃぶっていた。
これは……
骸は思わず閉口する。似ていると言えば似ている。眦の吊り具合だとか、若干あひる口気味の薄い唇だとか。しかしまぁ将来的な姿も連想出来ぬ程の幼子、この段階で断定など出来はしないのだが。
「じゃ、じゃあ潤さん、すいませんけどお子さんの髪の毛失礼しますね…」
事情を聞かされ医務室を訪れていた正一が遠慮がちに柔らかな髪を引き抜く。ほんの一瞬、痛くないように出来る限り素早い動作で。何が起こったのか理解出来ない赤ん坊はそれでも何かは感じたらしく、もぞりと体を動かすと小さな小さな手を頭にやり髪が抜かれた付近を擦り始める。
堪らなく愛らしい仕草に思わず緩む頬を引き締めて、正一は抜いた髪を透明の検体保管パックへ入れると白衣のポケットにしまった。次は雲雀の髪を採取せねばと恐々そちらへ目をやる。
立ち昇る不機嫌オーラを隠そうともせず部屋の壁に凭れていた彼は、乱雑に己の髪を一本抜いて無言で差し出した。
「…それじゃ、検査して来ます。二十分も掛らないと思うので…」
雲雀の検体は逆の方のポケットへ、触らぬ神に祟りなしと言わんばかりの表情で退散しようとする正一を追い掛ける潤の声。
「ねぇ入江さん。私立ち合ってもよろしいかしら?」
「へ?構いませんけど…どうして?」
潤はやや声のトーンを下げて申し訳無さそうにぽそりと呟く。
「あなた方の事は本当に心から信用しているんです。ただ…キョーヤは重要な人でしょう?ですから…」
雲雀に子が居てはいけない訳では無いが、やはり今までよりしがらみが多くなるのは事実。そう言った事情からボンゴレ側による鑑定結果の虚偽を危惧しているのだろうと分かる。
勿論正一にも誰にもそんなつもりは毛頭無いが、ここへ来て僅かひと月足らずの潤の心情を推し量ると無理も無い。正一は生来優しい男。見られて困る事も無いのだしと一つ返事で許可を出すと母子を伴い出て行った。
そして言葉通り二十分後。戻って来た正一が張り詰めた表情で雲雀に一枚の紙を渡すと、目を通した雲雀の瞳孔がみるみる内に開かれて行く。軽い心持ちで構えていた一同はその雰囲気に顔を見合わせる。有り得ない、潤のブラックなジョークだろう、そう思っていたのにまさか…
雲雀は彼は暫し鑑定書を食い入るように見詰めていたが、不意に瞼を閉じた。ふ、と僅かな息が零れる。
君、まさか。骸がそう声を掛けるより早く雲雀は潤へ一言。
「結婚しよう」
誰もが耳を疑った。潤ですらも。そのポーカーフェースは今や陰を潜め、パチパチと目を瞬き明らかに驚愕している。雲雀はと言うと無表情。元来感情表現に乏しい男であるが、今は本当に何を考えているのか誰にも分からない。しかし纏う空気からは少なくとも怒りや焦燥、その他含めて負の感情というものは読み取れなかった。
「…良いの?」
信じられないと言わんばかりの声音で問う潤に事も無げに返す。
「子供居るのに良いも悪いも無いだろ。逆に言えば君にも拒否権は無い」
つかつかと潤に歩み寄り、おくるみに包まれた赤ん坊をじっと見詰める。
「性別と名前」
「え、ええ…。名前は雨李──ユーリ、男の子よ」
「そう。おいで」
言うなり潤の腕から雨李を抱き上げ部屋を出て行ってしまった。暫くの間皆ぽかんとその後姿を目で追っていたが、やがて骸が呆気に取られたように「潔い事で」と呟いた。
その夜。良い感じに空調を効かせた私室でパソコンに向き合い、ルイはぼんやりと今日の出来事を邂逅していた。
夕方に雲雀の部屋を訪ねてみた。彼はベッドに寝転び頬杖を付いて、傍にすやすや眠る雨李を眺めていた。その表情はどこか穏やかですらあり、そこには血を分けた我が子と言う唯一無二の存在への特別な想いが感じられた。
正直驚きだった。実の父子であった事実以上にあの雲雀が、自由を愛する浮雲が、あんなにもあっさりと人生の大きな決断を下した事が。
「もしかしてあなたが好きだったのって潤さんだったの?」
ヒステリックに笑う冷たい目の女、確かに潤に当て嵌まる。ならばこの決断も納得出来ると言うものだ。しかし雲雀はまさかと首を横に振る。だったら何故?そう問うと。
「子への責任以上に優先するものなんて無いだろ。そもそも自分の蒔いた種だ」
最後の方は珍しく自嘲混じりに、だがその口ぶりからは今回の件はもう完全に飲み込んでいる事が伺えた。それに、と。
「あの女には責任以上の感情は持てないけどこの子にはそうでもないみたいだよ。ちゃんと育ててやらないとね」
きっと今迄のように身勝手ではいられない、概ねの親にとって子は宝であり重い重い足枷。それすら厭わない程に雲雀は本気だ。本気で父親として、子を何より優先させ生きて行くつもりなのだ。
頭が下がる。同時に嬉しくもあった。彼がそのような人であった事に。
「…あなたって最高」
思わず漏らせば彼は一瞬困った様な怒った様な、何とも言えぬ複雑な表情を見せそっぽを向いてしまった。「この子に何かあった時は頼むよ」そのまま目を閉じる。熱中症の名残で怠いのだろうと察し、暫し安らかな雨李の寝顔を眺めさせて貰ってからは邪魔にならぬ様そっと部屋を後にした。
控え目な光の漏れるディスプレイに浮かぶ無機質な文字。平素ならば労せずして脳に入り込むそれが今は只の記号の羅列だ。酷く心が乱されている。胸を潰されるような苦しさ。それが何故かなんて本当はもう知っていた。ルイは、雲雀が──
けれど軽く頭を振り思考を閉ざす。どの道自分には不要な感情なのだ。曖昧なままに何れ忘れ行く、それで良いと思う。
何よりルイは現状に対してある種の安堵を覚えてもいた。雲雀に付いて考える時必ず付き纏う激しい不快感。怒り、憎悪、焦燥、恐怖、拒絶。胸に閉じ込めた薄暗い部分から漏れ出す負の感覚からはもう解放される。楽になれる。
心が平穏であるのは喜ばしい事では無いか。吹っ切るようにパソコンの電源を落とす。
──そう、自分はこれで良いのだ。今までもこれからも一人で自由に楽しく生きて行く。男など必要とせぬ自立した強く賢い女として。さあもう寝てしまおう。昨夜とは違い今夜はきっとぐっすり眠れるから。