A tesoro mio
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さて、どうしたものか。
昼下がりの麗らかな陽光差し込む廊下にて、小さなショップ袋を片手に雲雀は思惑を巡らせていた。
本日三月八日はミモザの日、国連が定めた国際女性デーだ。日本ではあまり馴染みがない行事だが此処イタリアでは男性が女性に日々の感謝を込めてミモザの花を贈り、女性は家事や仕事から解放されそれぞれの楽しみを優先出来るという風習がある。ボンゴレ本部でもこの日ばかりは女性全員が全休、大概が外で過ごす為屋敷の中からは華が消える。
可愛らしいショップ袋は雲雀が手にするにはちょっと似合わない。それもその筈、これはバレンタインのお返しも含めて麗しいあの女医に贈る為の物なのだから。
「……」
買って来たは良いがいつどこでどうやって渡したものか。女性は殆ど皆がそうするように彼女も今日は一日外出している筈。何にせよこのような物をぶら下げたまま他人と遭遇したくはなくて、夜更け頃に部屋を訪ねてみようと踵を返した所で遠目の突き当たりからふらふら、ふらふらと。体をくの字に曲げゆっくりと歩いて来るその姿。
「……あ、雲雀さん」
此方に気付いたルイの顔が上がる。いつものにこやかな笑みは何処へやら、血の気が無い。とくり、心臓が嫌な音を立て収縮するのが分かった。
「どうしたの」
足早に歩み寄り間近で顔を見るとやはり色が悪い。白磁の陶器めいた肌は今や紙切れの白と化し唇ははっきりと青ざめていた。
「ちょっと腰が」
「腰?痛いの?」
「うん、ちょっと…」
ちょっとではなかろうに。咄嗟に腕を伸ばし腰辺りに触れるとビクリと硬直する体。払い退けられるかと思い一瞬手が止まるもその気配は無い。そのまま上下にそっと摩ってやる。
彼女はクラシックなワンピースに薄手のコートを羽織っていかにも休日を楽しむといった装いでいるが、歩いて来た方向から見るに途中で切り上げ帰宅して来たのだろう。
「部屋に戻る?」
「うん」
くたりと前傾姿勢のルイの腰を庇うようにゆっくりと歩き出す。人気が無かったのが幸い。ここからはすぐ近くの筈の彼女の私室が今は随分と遠く感じた。
部屋に着くなり、ルイはコートを放り投げ崩れるようにベッドに横たわってしまった。海老のように身体を丸め腹を抱えて。
「どうしたって言うの。怪我じゃないだろうね」
「ただの腰痛…すぐ治るから平気。ね、そこのデスクの一番上の引き出し。エッフェラルガン取って」
持ったままだった紙袋をベッドの上に置いて引き出しを開けると、雲雀もたまに世話になるイタリアでは馴染み深い解熱鎮痛剤エッフェラルガンはすぐに発見出来た。
突発的なぎっくり腰か何かだろうか。ゆっくりと深呼吸しながら痛みに耐え服薬するルイが可哀想で知らず眉根に皺が寄る。
「……」
どうにもしてやれないのが歯痒い。思いながら開けっ放しの引き出しを閉めようとすると、妙な物が視界に飛び込んで来た。ぞわりと腹部を抜ける不快感、これは──
「…何コレ」
薄っぺらなそれを摘み上げる。長方形の紙シート捲るとびっしりと書き込まれた数字、それに合わせ一錠ずつ収まった小さな丸薬。これは、以前関係を持った女が見せ付けるように目の前で服用していたのと同じ──経口避妊薬。
「君にそういう相手は居ないと思ってたんだけど」
そんな資格は無いと知りつつも責めるような口調になってしまう。今体調不良に喘いでいる女にこんな事を言ってどうする、理性はそう咎めて来るのに感情が納得してはくれない。
何故こんな物を飲む必要があるのだ。セックスなど一生しないと明言していた癖に。
鋭い双眸に捕らえられたルイは、纏う空気感を変えた雲雀に気付いているのかいないのか。虚ろな目でぼんやり見つめていたが、やがて力無く掠れた声を漏らした。
「避妊じゃない」
「じゃあ何」
「……。痛みとか不順の改善に」
「は…?」
沈黙が落ちる。
やってしまった、のだろうか。ピルと言えば避妊の為だけに存在する物の筈…掲げたままのシートに目をやるとイタリア語で小さくもはっきりと書かれている。“月経不順改善、月経痛緩和”
「………」
最悪。腹の中で思わず毒づく。只でさえ調子の悪い所に、女のプライベートエリアを侵略する大変デリカシーに欠ける言動を取ってしまったわけだ。さぁどうしたものか、どうしようも無いけれど。
「知らなかった。悪かったね」
罰が悪そうに謝罪する雲雀にルイは小さく笑ってすぐに目を閉じた。ハタと気付く。もしかしてこの痛みは。けれど聞かないでおいた。それこそ踏み込むべきではないのだ。
妙な静けさが訪れると、ルイが降参といった素振りでぽそりと。
「ただの生理痛。気にしないで」
「…そう。いつも元気そうなのにね。これ効いてないんじゃないの」
ベッド脇に座りゆっくりと腰を撫でてやる。
「いつもは効いてるよ。けどたまにこうなるの。どうしようもないんだけど、こんな日に限ってさ…あんまりじゃない?一日遊ぶつもりだったのになぁ」
至極残念そうに首を振り振り。どうしてやりようも無いけれど、せめて僅かでも痛みが和らぐようにと摩り続ける。ついでに足元に放置されたキャメルの毛布も肩口まで掛けてあげて。
暫くされるがままになっていたルイだったが、ふと気付いたように唇を開いた。
「ありがと、もう平気。用事あるんでしょ…それ、」
毛布から這い出た指が示すのは雲雀がデスクに置いたままにしていた小さな紙袋。淡いクリーム色の生地にミモザの花のイラストシールが貼られ紐部分は蝶々に結われている。何処ぞの洒落た雑貨屋を思わせる、雲雀が持つには些か可愛過ぎるそれを見てルイは血の気の無い顔を微笑ませた。
「誰かに…ヒステリックで冷たい目の女の人にプレゼント。当たり?」
「……?」
何の事だろう、一瞬考えたがすぐに思い当たる。そう言えば以前余計な事をぺらぺら喋ってしまった気がする。あの時は泥酔していた癖に良く覚えているものだ。当たりと言えば当たりなのだがそれを告げる気は無い。少なくとも今は。
「これは君に」
「え…?」
目を瞬かせるルイに紙袋を差し出す。
「バレンタイン貰ったからね。日本ではお返しの風習があって無視すると相手の機嫌を著しく損ねる」
「んー…なんだっけ。あ、ホワイトデー?」
「そう。今日じゃないけど似たような日だし今日で良いだろ」
「あなたのそのざっくりした感じ好きだよ。ね、開けて良い?」
頷くと寝そべったまま静脈の浮く白い手が器用にラッピングのリボンを解いて行き、わぁ、と感嘆の声が上がった。
淡いピンクの薔薇を基調にリーフとミモザが散りばめられた上品なヘアコサージュ。この日にはミモザの花そのものを贈るのが一般的なようだが、何時も綺麗に髪を結っている彼女は花束より此方を喜ぶような気がした。
キラキラ輝く赤い瞳にどうやらお気に召して頂けたようだと顔には出さず安堵する。この一つを選ぶ為に朝っぱらから似合いもしない雑貨店などを梯子し昼まで悩みに悩んだ甲斐があったというものだ。絶対に、誰にも知られたくはない秘密だけれど。
「ありがとー…ね、これあなたが選んだの?」
「……。何か?」
「ううん。好みぴったりだったから」
言いながらゆっくりと上体を起こし、編み込みのギブソンタックに結われたままの髪に飾る。ど〜お?青ざめた唇で、それでもにっこり口角を上げて見せてくる彼女が愛おしくて。口にはしないけれど好みなんて何時も見ているから分かる。「良いんじゃない?」素っ気無い振りを装って返しながらそっと髪に手を伸ばし、一度撫でる。
「…仕事ばかりしてるから疲れが出たんだろ。ほら、横なってな」
「はーい…優しいんだよねぇ」
「黙れ」
頭に当てがった手に軽く力を込めシーツに沈めるとルイは素直に毛布を被り再び身体を丸めた。クスクス笑いながらもやはり痛むようで笑みの合間に深呼吸を挟む。
「痛いのは腹じゃないんだね」
「お腹も痛いけど腰が…内側からハンマーで殴られてるの」
「…御愁傷様」
労りの言葉など世の中に溢れている筈なのに、この口はこんな時ですら気の利いた言葉の一つも出やしない。器用でない口の代わりに毛布の上から腰を摩る。痛むのはどの辺りなのだろう。てんで見当違いの場所に触れてはいないか。
「ねぇ私一人で平気だから。あなたはこんな所に居ないでちゃんと好きな人の所にお花持って行かなきゃ」
「痛むのはこの辺?」
「ねぇ雲雀さん。こんな日は絶好の──」
「ルイ」
遮る為の声音は若干鋭くなる。何となく避けて来た名を呼ぶという行為。まさかこんな状況で咎めるようにその響きを声に乗せる事になるとは思わなかった。青白い顔がパッと振り向く。
「君はこんな日に一人で居たいの?」
じっと見つめれば、その瞳が僅かに揺れる。暫くそのまま見つめ合っていたけれど、やがて沈黙に耐え切れなくなった雲雀がぽん、と軽く背を叩いた。
「どこが痛いの」
ルイは目を細めて、ぽふんとシーツに頭を沈める。
「…もうちょっと下」
「ここ?」
「うん」
顔はそっぽを向いたまま、ルイの片手が毛布から這い出てこちらに差し出される。
行かないで、一人は嫌──
きっとこれは、器用なようでえらく甘え下手な女の無言の返事。そう察してその手を握ってやった。
「ちょっと寝たら?起きたら良くなってるよ」
「うん。おやすみなさい…ありがとう」
苦悶の深呼吸が穏やかな寝息に変わるのに時間は掛からなかった。
「……」
良く分からないが女の体とは大変厄介なものらしい。無意識に蓄積された疲労やら何やらが時として体の均衡を乱し、こうして不調を引き起こしてしまうのかも知れない。今日は女性を大切にする日。何故かやたらと男性不信なルイの心に、男である自分が発する労りが少しでも届けば良いと思う。
繋いだのとは逆の手で顔にかかる前髪をそっと払ってやる。自分はどうやら彼女のしんどそうな顔を見ると胸が乱されてしまうようだ。目覚めた時はいつもの元気なルイに戻っていると良い。そんな風に思いながら、彼女の幾分幼く見える寝顔を見守った。