A tesoro mio
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「急いで!」
「はい!」
突如心停止状態に陥ったルカの救命に彼の部屋は騒然となっていた。ヴィゴールが震えながら骨と皮だけの手を握り、メイド達が悲痛な面持ちで見守る中、険しい顔で除細動器を胸骨の浮き出た胸に当てるルイ。
ビクッ!ルカの身体が跳ね上がる。
「来た!ルカ、ルカ!起きて!!」
「旦那様!」
ハーッと苦しそうな息が吐き出され、薄っすら皺くちゃの瞼が開く。ルイと目が合うと彼は僅かに微笑んだ。大丈夫だと言うように。ヴィゴールとは逆の手を固く握り締め力強く頷く。
「可愛いお孫さんもう産まれるからね…!もうちょっとだけ頑張って!」
如何なっているんでしょうか。ルカの部屋の方を見つめ心配気な草壁。雲雀の顔もかなり険しくなっているが、彼らは此処を離れる訳には行かない。ただ無事である事を祈っているとメイドの一人が半泣きで駆けて来た。
「ルカ様は何とか…持ち直されました…ですが、」
いつ如何なっても可笑しく無い状態なのだろう。零れ落ちる涙を拭きつつメイドが此方の状況を伺おうとした時、オギャーッ!響き渡る元気な声。
「産ま…れた…」
その場に頽れるメイド。開かれる扉。出て来たナースがにこりと笑う。
「お子様は沐浴を済ませたら直ぐにでもお連れします」
金色より更に色素の薄いポヤポヤの髪、ぷくりとした頰、小さな小さな命。最愛の、という意味を込めてカラと命名された女の子の赤ん坊は今ベッドに寝たままのルカの腕に抱かれすやすやと眠っている。不思議な事に朦朧としていたルカの意識は、カラを目にしてからはっきりと持ち直した。愛し気に微笑む顔はもう既に優しい祖父のそれ。
「可愛いもんですね…」
傍に控えるルイに、涙を拭いながら草壁が呟く。産まれた子にどんな感情を抱くかなど悩む必要は無かったのだ。赤ん坊は赤ん坊だという、唯其れだけで途轍も無く愛おしい存在なのだから。何故なら遠目に眺めているだけでこんなにも胸が温かくなる。
そうですね、ルイが頷いた所で車椅子のエヴェリーナと夫のカレルに付き添い雲雀が入室して来る。エヴェリーナは随分憔悴仕切っている様子だったが、それでも満足気な笑みを浮かべていた。
「リーナ。もう起きて大丈夫なの?」
「平気よ。パパンに何かあってからじゃ遅いもの…それに」
車椅子を漕いでルカの元へ行く。ちょっとパパン、産んだ私がまだ抱っこしてないんですけどぉ?眉を顰めるエヴェリーナに皆が声を上げて笑った。
ルカの容態が急変したのはそれから一時間後だった。全身を捩らせ突っ張り、苦悶の声を漏らす。正に七顛八倒の苦しみ様は見るに耐えずメイド達は俯き口元を押さえ泣くばかり。
「パパン!しっかりして!」
「ルカ様!」
必死の呼び掛けも最早意味を成さず、上がったり下がったりのモニターと断末魔に喘ぐルカを険しい表情で眺めていたルイがゆるりと首を振ったのを雲雀の目は捉えた。ああ、これは。
そっとエヴェリーナの肩に白い手が置かれる。見つめ合う二人の女性。やがてルカの愛する一人娘は震える顎をこくりと頷かせ、青ざめた頰に一筋の涙を流した。
それは、終わりの合図。
そっと注射器を取り出すルイ。見守る皆が息を飲む音が響く。エヴェリーナに、ヴィゴールに、別れの言葉を促したルイは彼らがもがき苦しむルカに何事か話したのを見届けてから、痩せ細った腕の浮き出た血管に針を当てがう。
「ルカ、頑張ったね。もう楽になろうね…」
注射器のプランジャーに親指が掛かる。その時、雲雀はルイの顔を見てしまった。
眉間に皺を寄せ硬く目を瞑り、唇を噛み締め。ギリ、僅かな僅かな歯軋りの音がした。瞬間、強く引かれるルイの腕。
「っ、雲雀さん!何?」
雲雀自身、何をしたのか分かっていないようだった。珍しく刮目して驚いたような表情をしている。
ただ。
ルイには、この作業をして欲しくない。して欲しく無いのだ。
ややあって、ルイの手に握られたままの注射器を奪い取る。
「ちょっと…」
君の手は。ルイの非難を遮る掠れた声。
「君の手は──……」
言い掛けて口を噤む。何を言っているのか、自分は。これは立派に彼女の仕事の範疇だと云うのに。しかしそれでもやはり嫌なものは嫌だ。我儘ではあるが如何しても彼女が患者を手に掛ける姿は見たく無い。彼女の医者としての全ては命を救う為だけに在るべきなのだ。誰よりも命の重みを知りそれを追う熱い魂を宿しているのだから。
「僕がやる。こういうのは得意だから」
いいね。エヴェリーナに一応の確認として目線を遣ると、彼女は一つ頷いた。楽にしてあげて、悲壮な声が漏れる。
何を─…困惑しているルイは無視してそっとルカの腕を押さえる。苦しい声を上げる彼に、お疲れ様、ルカ。…おやすみ。唇だけで別れを告げ、そして、プランジャーに手を掛ける──
あれ程の苦悶が嘘の様にすぅ、と安らかになるルカの顔。じきにモニタのディスプレイが一直線を描く。エヴェリーナの小さな嗚咽が号泣に変わるのに時間は要らなかった。ルカの胸に縋り付き泣きじゃくるエヴェリーナ、その背を撫ぜる夫カレル。赤ん坊のカラを抱いて静かに涙を流すヴィゴール。
雲雀が傍に立つルイを振り向くと、彼女は無言で只々俯いていた。
「…では行って参ります」
ルカを偲び粛々と夜を過ごした翌日、皆が集まった広間でヴィゴールが書類ケースを片手に疲れた顔で一礼した。遺言執行者として各方面への法的手続きとメディアへの報告対応に出掛けるのだ。彼の両隣と背後を屈強な警察官が取り囲みヴィゴール自身は防弾チョッキまで着込んでいる。厳重な警備体制の中広間の扉に手が掛かった──瞬間。
「さぁ、執事殿。遺言書の書き換えを頼みますよ」
ヴィゴールをガードしていた警察官の一人が彼の首元に銃を当てがった。