A tesoro mio
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「へぇー、あの人がディーノのアモーレ。綺麗ですねぇ」
先程まで居たアルバからは徒歩で30分程と比較的近くにあるエノテカバール、ドルチェビータ。カジュアルなアルバとは一線を画すシックな高級ラウンジバーだ。ルイが是非彼女のピアノを聴いてみたいと強請って来たので、ディーノに連れられて来た四年前の記憶を頼りに歩いて来た。
「素敵…」
彼女が弾いているのは、クラシックには縁遠い雲雀でも耳覚えのある優美で時に激しい…これは別れの曲とか言ったか。今のディーノが聴いたら泣きそうだと思いながら目の前のグラスを煽ると、反射的にグッと喉が締まる。
「は?何これジュース?」
「一応お酒…ただし度数2%」
一本は飲めないから一緒に飲んで、と言うルイに選ばせたボトルワインはまるで子供向けジュースそのものの甘ったらしさで、思わず眉を顰めてしまった。
「仕方無いじゃない、私弱いんですから。付き合って下さいよ」
「酔っ払いは大人しく水飲んでれば良いのに」
「あ、そんなん言う。クリスマス休暇中餓死しなかったのは誰のおかげでした?」
「報酬は払ったよ。教会に同行した」
「もーう!そんなつもりだったんなら来てくれなくて良かったのにな〜」
プッと頰を膨らませる彼女は何だか可愛らしい。湧き上がる笑いを喉の奥で殺し──唇の端の歪みまでは消し切れなかったが──聞いてみる。
「どういうつもりだったらお気に召すんだったの?」
「えぇー…」
大きな目をくるんと上向かせ、淡いグラデーションを描く瞼を考える様に数度瞬かせる。
「うーん…喜ばせてあげようと思った、とか?」
「彼女みたいだね」
ルイは声を上げて笑った。酔いのせいで普段よりコロコロ変わる表情が眩しい。
「うざい?」
「別に」
「飲んで良い?」
「好きにすれば。…喜んでくれてたなら何より」
ぼそり付け足しながらグラスに琥珀色に揺らめくワインを注いでやると、ルイは一瞬まじまじと雲雀を見て、ありがとうと微笑んで先程とは違う曲を奏で出したピアニストの方に身体を向けた。目を閉じ物悲しい旋律に聴き入り、良い曲ですね、とぽそり。
「何て曲?」
「ロミオとジュリエット」
「へぇ、情熱的な恋愛悲劇だったかな。今の跳ね馬にはぴったりだ」
「雲雀さんが恋愛相談受けてるなんて、ねぇ。驚きました」
「分かってて言ってるんだろうけど捌け口にされてただけだよ。君こそ随分冷めてて驚いたんだけど」
「だから恋なんて良く分からないんですって」
自分なりに誠意ある対応をしたのだと主張する彼女は、本当に恋愛をした事が無いのだろう。したいとも思わないと続けていたが、あれはどういう事なのか。酔いの回っている今の彼女にならば多少突っ込んで聞いてみても大丈夫かも知れない。
「ねぇ。恋人が要らないのは自由で居たいからって言ってたよね」
「言いましたっけ?言いましたね」
「誰かに惚れた事も無いの?恋人作る作らないはともかく恋愛感情って自分の意志でコントロール出来るものじゃないと思うんだけど」
「え〜…」
親指で鎖骨の下をぐりぐり抑えるルイ。これが何か面倒な思考している時の彼女の癖だと気付いたのは何時頃だったか。
「逆に聞きますけど、そんな事言える以上雲雀さんには好きな人居た事あるんですよね。或いは進行形で。それでもその人とお付き合いしないのはどうして?」
「…僕も自由で居たいって前言ったよ」
「それなんだけど、あなたは恋人出来たからって縛られたりしないでしょ?」
さて、何と答えたものか。下手な返答は自分の首を締めてしまいかねない。一拍置いて答える。
「勿論それは当然だけど。そういう事じゃなくて…持て余してるからかな」
「何を?」
「だから、その感情をどう処理すれば良いのか分からないんだよ。その子とどうなりたいのかも分からないしフラれるかも。そんな厄介な感情に縛られるのが嫌だ」
「どうなりたいって…普通に付き合うんじゃダメなの?ていうか心配しなくてもあなたは多分フラれない」
「他人事だから言えるんだよ。そもそも普通に付き合うってどういう事」
ルイは目を細めじっと雲雀を見据える。ややあって、先程までの御機嫌な口調とは違う低い声を発した。
「そりゃあ──デートしてキスしてセックスして上手く行けばそのまま結婚。役割分担としては主に男性は外で仕事。女性は軽めの仕事に家事育児、日々我を捨て家族を支えそのうち互いに生涯を終える。それがセオリーでは?」
「……。えらくシビアだね」
彼女の口からセックスという単語が出た事に若干、否かなり動揺したが、それ以上に何処か嘲るような響きが気になった。
「男性のあなたにはそう聞こえるかもね」
「どういう事かな」
「つまり、男女関係に於いて女性は常に献身を求められる。自由で居たければ恋愛なんて出来ないって事」
明らかな男への敵意を滲ませた言葉に首を捻る。何故そんな話に発展するのかさっぱり意味が分からない。
「何が言いたいの、君は」
「イタリアの15歳から45歳までの女性の最大死亡原因知ってます?」
「は?知らない。交通事故?」
「夫や恋人等、近しい男性からの暴力」
「…ワオ」
「日本には“男を立てろ”って有名な言葉があるようですね」
それに全てが集約されてると思いませんか、と笑う。瞬間雲雀が思考したのは、意図の読めぬ論への意見よりその冷淡な笑みの魅惑についてだった。以前見たヒステリックな表情も相当だったがこれもこれでまた。
「結婚すれば義務の様に求められる夫とその家族への隷属は何処の国でも同じ。極自然に男女間には精神的格差が生まれ生涯固定される。まぁこれは結婚により顕著になるってだけで独身の頃から根付いてる感覚ですけど。恋愛感情のコントロールとかそれ以前の問題として、そんな存在に恋だなんて有り得ない。それだけ」
徐々に言葉は攻撃的になり最後は半ば吐き捨てるようにして締め括られた。
軽い興味からの問い掛けへの、これはまた随分と刺々しい返答ではないか。
「…男にトラウマでも?」
「別に」
「遊ばれた?」
「そう解釈して貰っても構いませんよ。そう見えるなら」
冷めた目で空のボトルを持ち上げ鼻に皺を寄せる。かなり酔っているようだがまだ飲み足りないと言うのか。まぁ酔わせて色々聞き出すのも悪くはない、などと考えてしまうのは卑怯な事だろうか。何にせよルイが相当な男性不信だという事は良く分かったが雲雀にはこれが意外だった。
「君がそんな意識に囚われてるとはね。もっと自由に生きてるのかと思ってたよ。少なくとも女である事を満喫してるようには見えてた」
「自由ですし満喫してますよ。だからこそ男性の介入は邪魔なの。あなた達男性は何時でも自由でしょうけど」
彼女が以前自由で居たいと言った訳、そして先程自分に質問返しした理由は成程此処にあったのか。つまりこれは彼女曰く、男と言うだけで自由が保証されている身でありながら、しゃあしゃあと自由で居たいなどとほざいた雲雀への痛烈な皮肉なのだ。
微かな苛立ちが募って来る。
「何があったら知らないけど偏り過ぎてるんじゃない?男全員が女を隷属させたいわけじゃない」
決して彼女に誰かと恋愛して欲しい訳では無いけれど、自分まで性別だけで否定されるのは何だか納得が行かないのだ。
非常に真っ当な言い分だと思ったのだが彼女はツンと澄ました顔でまたしてもあの単語を放つ。
「セックスは?」
「は?」
セックスが何だ。というより男の前で平気でそんな言葉を使うな。そう思う事こそが彼女の言う精神的格差──つまり性差別なのか。それは如何なものだろう。
「恋人同士だったら普通しません?しますよね。雲雀さんは恋人じゃない人とも複数」
「…それが?」
今それは必要な話なのだろうか。全く骸が余計な事を喋ったせいで大迷惑を被っている。そもそも何故彼がこんな事を知っていたのだろう。早めに情報源を突き止めておこうと心に決めて今はこちらに集中する。
「100%の妊娠回避は有り得ないって知ってますよね」
「……知ってるよ。けど僕から誘った事は」
「わぁモテ男!勿論あなたを責めてるんじゃありませんよ。合意だったら責任は共同ですからね。じゃなくて」
つまり恋愛とセックスは当然セットであり妊娠の可能性は不可避だという事。彼女が何を言いたいのかは続きを言われずとも理解した。
男は逃げようと思えば逃げられてしまう。が、女は。
こればかりは生体上仕方の無い部分でもあるのだが、女にとっては最大の不公平かも知れない。
「だから、ね。これからの人生を楽しむ為にも余計なリスク負いたくないの。男女は精神的に対等、セックスも不要、そんな稀少な男性と相思相愛になれればお付き合いもするかも知れませんけどね、そんなミラクルちょっと起こらないでしょう?」
「ああ、それは難しいかもね。ちょっと失礼な事聞くけど」
「どうぞ」
一瞬躊躇ったが興味の方が勝り思わず聞いてしまう。
「まさか君は一生セックスせずに生きてく気?」
「正確に言えばこれからの人生は、ですね。そのつもりですよ」
聞かなければ良かった。今迄の話でその男嫌いぶりから、ルイは処女なのだと無意識に断定してしまっていた。衝撃にぞわり、胃が嫌な収縮をする。彼女が沢山の男からアプローチを受けている時のそれとは比較にならない程の強烈な不快感。
ルイが、自分が初めて惚れた女が、既に何処ぞの男と交わっていた事実。更に妊娠がどうのこうの言っている。最悪な疑念は雲雀に予想以上のダメージを与えて。
「…まさか君、堕ろし「バカ言わないで!」
絶望の中の光、というやつか。安堵に声が掠れないようにするのがやっとだった。
「恋愛経験無いって言ってたのに」
「ありませんよ。けど私もう大人だし色々あっても可笑しくないでしょう?大体あなたがそれを言うの?それとも男のあなたは恋人以外とのセックスが“ アリ”で女の私には“ ナシ”なの?」
鬼の首を取ったようにくすくす笑われては追求は出来ず、何ともモヤモヤした気分が鬱積する。衝動的にバリスタにグラッパのハーフボトルを頼む。
「あ、ちょっと。それ私飲めない」
「君はもうダメ。Acqua gassata」
「No!Un'altra!」
好き勝手言われるバリスタの男性は陽気に笑って御丁寧にもグラッパも水もワインも全て持って来てくれた。ついでに「麗しい恋人達に幸あれ」とハートを模した小さなチョコレートケーキも。一瞬雲雀の頭には?が浮かんだがルイのバレンタイン近いからかな、という言葉で理解した。
「カップルに見えてるんですねー。あ、美味し」
「男嫌いの君には迷惑かもね」
「まさか。あなたこそ中古はお断りなんじゃない?」
「僕は処女信仰者じゃない。知ってるんだろ」
投げやりな言葉にルイはブハッと吹き出し声を上げて笑った。