キラキラ
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今日はもういいわよ。閉めるわ」
バール、ローザロッサ。
パレルモの繁華街からは少し離れた所に、同性愛者が集う界隈が在る。その中の一軒のピアノ・バーで女──朝霧ルイはピアニストとして日銭を稼いでいた。
性的マイノリティには比較的厳しいイタリアで有りながらパレルモの一部分はひどく寛容で、ローザロッサのマスターウェルナーも当然の如くと言うか、所謂オネェと呼称される人物だ。
彼──もとい彼女曰く、自分達マイノリティがここいらで堂々と暮らして行けるのは、南イタリア特にパレルモ周辺を取り仕切るマフィア・ボンゴレファミリーのお陰なのだとか。
ルイには何とも物騒な話だと受け取れたが、彼らはマフィアでありながら随分な穏健派であり、やる時はやると言えど基本的に住民には優しく真面目に生きている限り怯える必要も無いのだと教えられた。
“警察なんかより余程頼りになるわよ──代変わりしてからあそこの幹部達とっても可愛いし。ボスもね。取って食っちゃいたいくらいよ”
くすくす笑うウェルナーに何と答えたものかと頭を掻き掻きその真っ赤なルージュを見つめていたのはまだこの地に来たばかりの頃、現在より半年程前の事だ。
「はい、これ今日のお給料。少なくて申し訳ないわね」
「気にしないで。じゃお先に」
真夏のパレルモは客が少ない。商売上がったりと休業に入る店もそちらこちらに見られる。これもウェルナーに教えて貰った事なのだが、住民は夏季休暇に入るとこぞってバカンスに出掛けるので街自体が閑散としてしまうのだと。
狭い更衣室に入り背中のファスナーに腕を回す。纏っているシックなボルドーのロングドレスは店の貸し衣裳だ。幾らするのかは知らないが万一にでも傷付けないよう慎重に脱いで私服に着替える。薄手のカットソーに膝丈スカート、つっかけじみたミュール。小汚くは無いが特段綺麗でも無い適当な装い。
店を出ようとすると、背後からウェルナーの野太い声が追いかけて来た。
「気を付けて帰るのよー!人少ないと不審者は逆に増えるからね!」
「昨日も聞いた。過保護なんだから」
「心配なのよ、アンタやたら冷めてるけど若い女の子なんだし…」
ウチの店の子が帰りにキズモノにされたなんて冗談じゃないもの。眉を顰めるウェルナーの優しさにほんの少しだけ微笑んで、「OK、気を付ける。ありがと」短く返して今度こそ店を後にした。
時刻は午後十時過ぎ。
湿度の高い日本とは違いカラリとしたシチリアの夏ではあるが、熱帯夜である事に変わりは無い。少し歩けばすぐに汗ばんで来る身体を手でパタパタ扇ぎがてら、耳に残ったままのウェルナーの言葉に何となく周囲を見渡してみる。
閑古鳥の無く路地は薄暗く人通りもまばらで、女性の一人歩きは確かに危険ではある。
「女の子、か…」
ぽそりと独りごちる。
店先に貼られたピアニスト募集のチラシを見てローザロッサの門戸を叩いた半年前、ルイの性別にウェルナーはいたく肩を落としていた。
“此処の客はアレだから。アンタが生物学上の男だったら良かったのに…まぁ大変そうだし雇ってあげるけど”
その言い分に、ルイ自身もそう思ってしまった。男だったら良かったのに。
自分がもし男だったなら、きっと人生今より俄然イージーモードでやって行けたのだろう。ふと現在に至るまでの経緯が脳裏を駆け巡り、我知らず眉間に皺が寄る。何かに当たり散らしたい衝動を公共の場だと必死に押し込め、気を落ち着ける為に大きく深呼吸をした。
ああ、苛々する。そして腹が減った。家にはそれ以外何も無かったから昨夜から口にしたのはパンの耳とビールだけ。腹が減っているから余計に気が立つのだと、閑散とした中でも開いている店を探してみるも何れも高級感漂うお綺麗な所ばかり。今のルイの財力ではとても手が出ない。
ウェルナーに何か食べさせて貰えば良かった。
今更戻った所で既に閉店作業は済んでいるだろうし、迷惑だ。一時間程歩けば深夜まで開いているスーパーがあるけれど今はとてもそんな気分にはなれず、つまりは今夜も又兎の餌で凌ぐ羽目になるらしい。
どうして出勤する前に買い物をしておかなかったのかと自分の段取りの悪さにうんざりしながら、汗の流れる額を乱雑に拭った時。
「お、こりゃとんだ東洋のラガッツァだ。あんたジャッポーネ?チャイニーズ?」
大柄で屈強な体格の男が不意に目の前に現れた。首元にジャラジャラ揺れるシルバーアクセサリー、タンクトップから剥き出した太い腕には派手な刺青。
嫌な予感に思わず後退さる。
「怖がんなって仔猫ちゃん。なぁ、一人なんだろ?一緒に飯でもどーだい?」
「無理。無理無理。チャオチャオ!」
脱兎の如く駆け出そうとするも、グローブの如く大きな手で肩を掴まれ阻まれてしまう。近付いてくる日焼けした顔。
「そー言うなってぇ。相手してくれよ!」
暗い道でも僅かな街灯に照らされはっきり分かる瞳孔の開き具合、鼻を付く独特の体臭、汗の匂い。これは──覚醒剤。
「放し…むぐっ!」
口を塞がれ路地裏へ引き摺り込まれると、巨体がのし掛かって来る。興奮した荒く生臭い息遣いが首に掛かり頭が真っ白になる。
何て最悪な既視感だろう!白昼夢と全く同じ成り行きではないか。何故もっと気を付けなかった?あんな夢を見たのはもしかして予知でもしていたと言うのか。
駆け巡る思考にそれどころでは無いと切り替えジタバタともがくもルイは所詮華奢で非力な女。敵う訳などある筈も無く、カットソーの裾が捲られ色気も何も無い白の下着が露わになる。
このままこの薬物中毒者にレイプされて、最悪殺されてしまうのだろうか。つい数時間前までとっととくたばれれば良いなどとぬかしていた自分を襲う明確な恐怖、生への本能的な執着。神様の皮肉に反吐が出そうだ。
ガリッ!渾身の力を込めて口を塞いでいた岩のような手に噛み付くと、男はニヤリと黄色い歯を剥き出して笑った。嫌な笑みだった。
「元気な仔猫ちゃんだねぇ。躾けてやんねーとな」
ぐいっとブラジャーの下から手が入り込んで来て力任せに胸をぐにぐにと揉まれる。
痛い痛い嫌だ気持ち悪い!嫌だ!助けて、助けて!!誰か、
「婦女暴行罪。咬み殺す」
突如聴こえて来た声、同時に鈍い音が響き吹き飛ばされる男の身体。
「え…」
巨体がたったの一撃で勢い良く壁にぶつかり呆気無く地に伏す。
彼は口から泡を吹いて、ピクリとも動かない。それは一瞬と事象である筈なのに、ルイには何故かスローモーションのように感じられた。
突然の乱入者がルイの方に向き直り長い足を折って片膝を付く。
今、何が起こった?若干低くなっている気がするが聴き覚えのあるこの声、この口癖。
此処までは昼に見た夢の再現だ。そう、そして、夢の結末は──
「ひ、ばり…先輩、…?」
顔を上げ網膜に映したその人を、見間違える筈が無い。
少し短くなった真っ黒の髪、シャープになった輪郭。少年の幼さが抜けすっかり大人の男性へと変貌を遂げてはいるが、切れ長の鋭い双眸はあの頃と何も変わらない。
今故郷からは遠く離れたイタリアはパレルモの地で、ルイの目の前に居るのは並盛の秩序、恐怖の風紀委員長。
まごう事無き、雲雀恭弥その人だった。
バール、ローザロッサ。
パレルモの繁華街からは少し離れた所に、同性愛者が集う界隈が在る。その中の一軒のピアノ・バーで女──朝霧ルイはピアニストとして日銭を稼いでいた。
性的マイノリティには比較的厳しいイタリアで有りながらパレルモの一部分はひどく寛容で、ローザロッサのマスターウェルナーも当然の如くと言うか、所謂オネェと呼称される人物だ。
彼──もとい彼女曰く、自分達マイノリティがここいらで堂々と暮らして行けるのは、南イタリア特にパレルモ周辺を取り仕切るマフィア・ボンゴレファミリーのお陰なのだとか。
ルイには何とも物騒な話だと受け取れたが、彼らはマフィアでありながら随分な穏健派であり、やる時はやると言えど基本的に住民には優しく真面目に生きている限り怯える必要も無いのだと教えられた。
“警察なんかより余程頼りになるわよ──代変わりしてからあそこの幹部達とっても可愛いし。ボスもね。取って食っちゃいたいくらいよ”
くすくす笑うウェルナーに何と答えたものかと頭を掻き掻きその真っ赤なルージュを見つめていたのはまだこの地に来たばかりの頃、現在より半年程前の事だ。
「はい、これ今日のお給料。少なくて申し訳ないわね」
「気にしないで。じゃお先に」
真夏のパレルモは客が少ない。商売上がったりと休業に入る店もそちらこちらに見られる。これもウェルナーに教えて貰った事なのだが、住民は夏季休暇に入るとこぞってバカンスに出掛けるので街自体が閑散としてしまうのだと。
狭い更衣室に入り背中のファスナーに腕を回す。纏っているシックなボルドーのロングドレスは店の貸し衣裳だ。幾らするのかは知らないが万一にでも傷付けないよう慎重に脱いで私服に着替える。薄手のカットソーに膝丈スカート、つっかけじみたミュール。小汚くは無いが特段綺麗でも無い適当な装い。
店を出ようとすると、背後からウェルナーの野太い声が追いかけて来た。
「気を付けて帰るのよー!人少ないと不審者は逆に増えるからね!」
「昨日も聞いた。過保護なんだから」
「心配なのよ、アンタやたら冷めてるけど若い女の子なんだし…」
ウチの店の子が帰りにキズモノにされたなんて冗談じゃないもの。眉を顰めるウェルナーの優しさにほんの少しだけ微笑んで、「OK、気を付ける。ありがと」短く返して今度こそ店を後にした。
時刻は午後十時過ぎ。
湿度の高い日本とは違いカラリとしたシチリアの夏ではあるが、熱帯夜である事に変わりは無い。少し歩けばすぐに汗ばんで来る身体を手でパタパタ扇ぎがてら、耳に残ったままのウェルナーの言葉に何となく周囲を見渡してみる。
閑古鳥の無く路地は薄暗く人通りもまばらで、女性の一人歩きは確かに危険ではある。
「女の子、か…」
ぽそりと独りごちる。
店先に貼られたピアニスト募集のチラシを見てローザロッサの門戸を叩いた半年前、ルイの性別にウェルナーはいたく肩を落としていた。
“此処の客はアレだから。アンタが生物学上の男だったら良かったのに…まぁ大変そうだし雇ってあげるけど”
その言い分に、ルイ自身もそう思ってしまった。男だったら良かったのに。
自分がもし男だったなら、きっと人生今より俄然イージーモードでやって行けたのだろう。ふと現在に至るまでの経緯が脳裏を駆け巡り、我知らず眉間に皺が寄る。何かに当たり散らしたい衝動を公共の場だと必死に押し込め、気を落ち着ける為に大きく深呼吸をした。
ああ、苛々する。そして腹が減った。家にはそれ以外何も無かったから昨夜から口にしたのはパンの耳とビールだけ。腹が減っているから余計に気が立つのだと、閑散とした中でも開いている店を探してみるも何れも高級感漂うお綺麗な所ばかり。今のルイの財力ではとても手が出ない。
ウェルナーに何か食べさせて貰えば良かった。
今更戻った所で既に閉店作業は済んでいるだろうし、迷惑だ。一時間程歩けば深夜まで開いているスーパーがあるけれど今はとてもそんな気分にはなれず、つまりは今夜も又兎の餌で凌ぐ羽目になるらしい。
どうして出勤する前に買い物をしておかなかったのかと自分の段取りの悪さにうんざりしながら、汗の流れる額を乱雑に拭った時。
「お、こりゃとんだ東洋のラガッツァだ。あんたジャッポーネ?チャイニーズ?」
大柄で屈強な体格の男が不意に目の前に現れた。首元にジャラジャラ揺れるシルバーアクセサリー、タンクトップから剥き出した太い腕には派手な刺青。
嫌な予感に思わず後退さる。
「怖がんなって仔猫ちゃん。なぁ、一人なんだろ?一緒に飯でもどーだい?」
「無理。無理無理。チャオチャオ!」
脱兎の如く駆け出そうとするも、グローブの如く大きな手で肩を掴まれ阻まれてしまう。近付いてくる日焼けした顔。
「そー言うなってぇ。相手してくれよ!」
暗い道でも僅かな街灯に照らされはっきり分かる瞳孔の開き具合、鼻を付く独特の体臭、汗の匂い。これは──覚醒剤。
「放し…むぐっ!」
口を塞がれ路地裏へ引き摺り込まれると、巨体がのし掛かって来る。興奮した荒く生臭い息遣いが首に掛かり頭が真っ白になる。
何て最悪な既視感だろう!白昼夢と全く同じ成り行きではないか。何故もっと気を付けなかった?あんな夢を見たのはもしかして予知でもしていたと言うのか。
駆け巡る思考にそれどころでは無いと切り替えジタバタともがくもルイは所詮華奢で非力な女。敵う訳などある筈も無く、カットソーの裾が捲られ色気も何も無い白の下着が露わになる。
このままこの薬物中毒者にレイプされて、最悪殺されてしまうのだろうか。つい数時間前までとっととくたばれれば良いなどとぬかしていた自分を襲う明確な恐怖、生への本能的な執着。神様の皮肉に反吐が出そうだ。
ガリッ!渾身の力を込めて口を塞いでいた岩のような手に噛み付くと、男はニヤリと黄色い歯を剥き出して笑った。嫌な笑みだった。
「元気な仔猫ちゃんだねぇ。躾けてやんねーとな」
ぐいっとブラジャーの下から手が入り込んで来て力任せに胸をぐにぐにと揉まれる。
痛い痛い嫌だ気持ち悪い!嫌だ!助けて、助けて!!誰か、
「婦女暴行罪。咬み殺す」
突如聴こえて来た声、同時に鈍い音が響き吹き飛ばされる男の身体。
「え…」
巨体がたったの一撃で勢い良く壁にぶつかり呆気無く地に伏す。
彼は口から泡を吹いて、ピクリとも動かない。それは一瞬と事象である筈なのに、ルイには何故かスローモーションのように感じられた。
突然の乱入者がルイの方に向き直り長い足を折って片膝を付く。
今、何が起こった?若干低くなっている気がするが聴き覚えのあるこの声、この口癖。
此処までは昼に見た夢の再現だ。そう、そして、夢の結末は──
「ひ、ばり…先輩、…?」
顔を上げ網膜に映したその人を、見間違える筈が無い。
少し短くなった真っ黒の髪、シャープになった輪郭。少年の幼さが抜けすっかり大人の男性へと変貌を遂げてはいるが、切れ長の鋭い双眸はあの頃と何も変わらない。
今故郷からは遠く離れたイタリアはパレルモの地で、ルイの目の前に居るのは並盛の秩序、恐怖の風紀委員長。
まごう事無き、雲雀恭弥その人だった。