embrace
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清掃、炊事、洗濯。幾ら丁寧にしてみても課せられたたった二人分の家事など一瞬で終わってしまう。
つい先日までは日々忙しくして来たルイにとって、此処での業務は酷く退屈なものに思えた。
ああ、する事が無いんだ。
すっかり片付いてしまった主の居らぬ部屋の中で呆然と立ち尽くす。
シャマルに連れられ渡日して以来こんな風に暇を持て余した経験など一度たりとも無い。何時も何時もどうやって睡眠時間を確保するか、それだけに頭を痛めていた気がする。その反面で日々がとても充実していたけれど。
これからはこんな日々が永遠に続くのだろうか。憎い男の身の回りの世話に明け暮れ体を弄ばれ、何れは世継ぎの子を孕み産み育て……
今後に暗闇しか見出せぬ現状はどよりと気が重く、自然溜息が漏れ出る。
本当はルイだって分かっているのだ。昨晩の出来事も今朝のそれも、非の概ねは自分にあるのだと。
雲雀恭弥は確かに随分と強硬な手段を用いてこの婚姻を成立させはしたものの、彼の言う通りそれ以上の見返りも誠意もルイはきっちりと頂戴している。
話が纏まった翌日には驚くべき早さで豊富な食料の配給が始まったし浅利診療所には指定通りの医療従事者が派遣されて来た。一週後の今は既に別の二つの診療所が建設されつつあるし、衛生設備強化への着手も抜かり無い。
本当ならば三つ指ついて感謝を告げても足らぬくらいなのだ。
けれど、けれども。どうしても感情が納得しない。望んだ伴侶と生きて行く未来、飽くなき医療への情熱、性別に関わらず人生の主導権を自身で握って行ける地位の確立。沢山の明日への期待に胸を膨らませていたというのに、彼はその全てをぶち壊した。そして…
“君は自分の意志で此処に来た”
甦る低い声。そんな事は分かっている。分かってはいるけれど…
体を滑る男の手。重なる素肌に体温。
込み上げる吐き気にその場に蹲る。
大丈夫、大丈夫、大丈夫…何度も何度も深呼吸を繰り返しじわり嫌な汗の滲む顔で天を仰ぐと。
「あ…」
ふと視界に映る金色。凭れ掛かった鍵付き桐箪笥の金具部分だ。真鍮らしきそれに掘られた模様は間近で見ると繊細且つ重厚で、こんな精神状況下にいとも容易くルイの興味を惹いた。暫し大きく呼吸を続け心を鎮めると、ゆっくりと立ち上がる。
「綺麗…」
見れば見る程美しい装飾。こんなにも細やかで煌びやかなものがどうやれば出来るのだろう。きっとそれはそれは腕の立つ職人の仕事に違いない。
この模様は何と呼ぶのだろう…目を奪われたそれをもっと良く見たいと思わず顔を近付けたその時、不意に開かれる襖。
何時の間にか帰宅していたらしい部屋の主の顔色が変わるのと、ルイが昨晩この箪笥には決して手を触れぬよう草壁に言い渡されていた事を思い出したのはほぼ同時だった。
「っ…!」
大股で歩み寄って来た雲雀に強く手首を掴まれ痛みに小さな呻きが漏れる。
「…哲には何も聞かなかったかな?」
静かな低い声、しかし肌を刺すのは悪魔すら道を譲りそうな程の威圧感。この男は昨晩も今朝も、機嫌を損ねはすれどこんな雰囲気を纏う事は無かった。どこかで甘く見ていたのかも知れない。これが、雲雀恭弥。自分を娶った男。
唐突に襲われた圧倒的な恐怖に全身から血の気が引いて行く。
「聞いて、いました」
「だったら何を?」
「見て…見て、いました。それだけ、…すみませんでした、……」
「…そう」
かつて経験の無い覇気に唇が肩が小刻みに震え出す。解放された手が重力に従いだらりと空気を掻いた。
ついと踵を返す男の背を見ながら今にも抜けそうな腰にあらん限りの力を込めゆっくりと後退すると、壁に背を付け大きく息を吸う。
怖い、怖い、…悔しい。
悔しい悔しい悔しい。
何故自分が謝罪しなければならない。力で支配され服従させられるなんて。そんなやり方で精神を蹂躙されるくらいならば殴られた方がずっと良い。ギリッ、歯を食い縛った。
「見ていただけ、ですよ」
彼の背に向けて絞り出した声は奇妙に掠れ上擦っていたけれど、必死に続ける。
「触れてはいませんし、…それ、それに、その箪笥鍵付き、ではありませんか。どうせ、開けられもしない…そうでしょう?」
「……」
振り返った雲雀が無言で見据えて来る。
怖い、怖い。これ以上言い募った先に何が起こるかなんて火を見るよりも明らかで、遂に膝がガクガクと笑い出した。とても体を支えては居られず、ずるずると少しずつ頽れて行く。ああ、情けない。それでもここでは引けない、引いて堪るか。
「綺麗な装飾を、見られる事すら許せない、と仰るならば、いっそ撤去されるか、…私にこのお部屋への立ち入りを、禁じてしまわれては?」
ぺたん、言い切る前にへたり込んでしまった。カチカチ歯を鳴らし、それでも視線だけはきつく雲雀を睨み付けて。
暫しの沈黙後、はぁ、雲雀が小さく息を吐いた。
ああ、近づいて来る。殴られる。どこかで噂に聞いた銀色の獲物とやらで滅多打ちにされるのだ。
彼の足がすぐそこまで迫った瞬間、ギュッと目を瞑り頭を庇う様両腕を掲げたのだが…
「…悪かったね」
耳に届いたのは意外な言葉。同時にふわり、体が宙に浮く。
パッと目を開けると、ルイを横抱きに抱え上げた雲雀の顔が視界に入った。意味が分からずじっと見つめるも彼はついと顔を背け視線を逸らしてしまう。その表情からは何を考えているのやらさっぱり読み取れない。
「あの、」
そのまま襖で区切られたすぐ隣のルイの部屋まで運ばれると畳の上に降ろされた。頭の下に差し込まれる座布団。続いて押入れから引っ張り出した上掛けで肩口まで覆うと雲雀は目を合わさぬままにもう一度「悪かったね」ぼそりと呟き、そのまま出て行ってしまった。
「…何なの」
すっかり昼寝の体勢をとらされたルイは意味が分からず困惑するばかりだった。
つい先日までは日々忙しくして来たルイにとって、此処での業務は酷く退屈なものに思えた。
ああ、する事が無いんだ。
すっかり片付いてしまった主の居らぬ部屋の中で呆然と立ち尽くす。
シャマルに連れられ渡日して以来こんな風に暇を持て余した経験など一度たりとも無い。何時も何時もどうやって睡眠時間を確保するか、それだけに頭を痛めていた気がする。その反面で日々がとても充実していたけれど。
これからはこんな日々が永遠に続くのだろうか。憎い男の身の回りの世話に明け暮れ体を弄ばれ、何れは世継ぎの子を孕み産み育て……
今後に暗闇しか見出せぬ現状はどよりと気が重く、自然溜息が漏れ出る。
本当はルイだって分かっているのだ。昨晩の出来事も今朝のそれも、非の概ねは自分にあるのだと。
雲雀恭弥は確かに随分と強硬な手段を用いてこの婚姻を成立させはしたものの、彼の言う通りそれ以上の見返りも誠意もルイはきっちりと頂戴している。
話が纏まった翌日には驚くべき早さで豊富な食料の配給が始まったし浅利診療所には指定通りの医療従事者が派遣されて来た。一週後の今は既に別の二つの診療所が建設されつつあるし、衛生設備強化への着手も抜かり無い。
本当ならば三つ指ついて感謝を告げても足らぬくらいなのだ。
けれど、けれども。どうしても感情が納得しない。望んだ伴侶と生きて行く未来、飽くなき医療への情熱、性別に関わらず人生の主導権を自身で握って行ける地位の確立。沢山の明日への期待に胸を膨らませていたというのに、彼はその全てをぶち壊した。そして…
“君は自分の意志で此処に来た”
甦る低い声。そんな事は分かっている。分かってはいるけれど…
体を滑る男の手。重なる素肌に体温。
込み上げる吐き気にその場に蹲る。
大丈夫、大丈夫、大丈夫…何度も何度も深呼吸を繰り返しじわり嫌な汗の滲む顔で天を仰ぐと。
「あ…」
ふと視界に映る金色。凭れ掛かった鍵付き桐箪笥の金具部分だ。真鍮らしきそれに掘られた模様は間近で見ると繊細且つ重厚で、こんな精神状況下にいとも容易くルイの興味を惹いた。暫し大きく呼吸を続け心を鎮めると、ゆっくりと立ち上がる。
「綺麗…」
見れば見る程美しい装飾。こんなにも細やかで煌びやかなものがどうやれば出来るのだろう。きっとそれはそれは腕の立つ職人の仕事に違いない。
この模様は何と呼ぶのだろう…目を奪われたそれをもっと良く見たいと思わず顔を近付けたその時、不意に開かれる襖。
何時の間にか帰宅していたらしい部屋の主の顔色が変わるのと、ルイが昨晩この箪笥には決して手を触れぬよう草壁に言い渡されていた事を思い出したのはほぼ同時だった。
「っ…!」
大股で歩み寄って来た雲雀に強く手首を掴まれ痛みに小さな呻きが漏れる。
「…哲には何も聞かなかったかな?」
静かな低い声、しかし肌を刺すのは悪魔すら道を譲りそうな程の威圧感。この男は昨晩も今朝も、機嫌を損ねはすれどこんな雰囲気を纏う事は無かった。どこかで甘く見ていたのかも知れない。これが、雲雀恭弥。自分を娶った男。
唐突に襲われた圧倒的な恐怖に全身から血の気が引いて行く。
「聞いて、いました」
「だったら何を?」
「見て…見て、いました。それだけ、…すみませんでした、……」
「…そう」
かつて経験の無い覇気に唇が肩が小刻みに震え出す。解放された手が重力に従いだらりと空気を掻いた。
ついと踵を返す男の背を見ながら今にも抜けそうな腰にあらん限りの力を込めゆっくりと後退すると、壁に背を付け大きく息を吸う。
怖い、怖い、…悔しい。
悔しい悔しい悔しい。
何故自分が謝罪しなければならない。力で支配され服従させられるなんて。そんなやり方で精神を蹂躙されるくらいならば殴られた方がずっと良い。ギリッ、歯を食い縛った。
「見ていただけ、ですよ」
彼の背に向けて絞り出した声は奇妙に掠れ上擦っていたけれど、必死に続ける。
「触れてはいませんし、…それ、それに、その箪笥鍵付き、ではありませんか。どうせ、開けられもしない…そうでしょう?」
「……」
振り返った雲雀が無言で見据えて来る。
怖い、怖い。これ以上言い募った先に何が起こるかなんて火を見るよりも明らかで、遂に膝がガクガクと笑い出した。とても体を支えては居られず、ずるずると少しずつ頽れて行く。ああ、情けない。それでもここでは引けない、引いて堪るか。
「綺麗な装飾を、見られる事すら許せない、と仰るならば、いっそ撤去されるか、…私にこのお部屋への立ち入りを、禁じてしまわれては?」
ぺたん、言い切る前にへたり込んでしまった。カチカチ歯を鳴らし、それでも視線だけはきつく雲雀を睨み付けて。
暫しの沈黙後、はぁ、雲雀が小さく息を吐いた。
ああ、近づいて来る。殴られる。どこかで噂に聞いた銀色の獲物とやらで滅多打ちにされるのだ。
彼の足がすぐそこまで迫った瞬間、ギュッと目を瞑り頭を庇う様両腕を掲げたのだが…
「…悪かったね」
耳に届いたのは意外な言葉。同時にふわり、体が宙に浮く。
パッと目を開けると、ルイを横抱きに抱え上げた雲雀の顔が視界に入った。意味が分からずじっと見つめるも彼はついと顔を背け視線を逸らしてしまう。その表情からは何を考えているのやらさっぱり読み取れない。
「あの、」
そのまま襖で区切られたすぐ隣のルイの部屋まで運ばれると畳の上に降ろされた。頭の下に差し込まれる座布団。続いて押入れから引っ張り出した上掛けで肩口まで覆うと雲雀は目を合わさぬままにもう一度「悪かったね」ぼそりと呟き、そのまま出て行ってしまった。
「…何なの」
すっかり昼寝の体勢をとらされたルイは意味が分からず困惑するばかりだった。