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翌日。
並盛組の朝は早い。まだ陽も昇らぬ明け方より草壁が朝食を摂りに共同の台所へ行くと、其処には既に食事中の組員の中炊事を行うルイの姿があった。屈強な男達が遠目からニヤニヤとその姿を堪能しては何事かひそひそと耳打ちし合っている。
全くこいつらは…
幾ら男所帯とは云えこのような下品な行為を主人は嫌うだろう。制裁が下る前に言い含めておかなければ。
ところで、はて、今日の雲雀の朝食は自分が用意するからゆっくり休んでくれと伝えていたのだが。
「奥様、おはようございます」
挨拶に振り返ったルイの目は腫れぼったく、赤く充血していた。唇の色も悪い。ずくんと胸が痛くなる。
昨晩祝言の片付けですっかり遅くなった雲雀専用浴室の掃除を済ませ廊下に出た時、不意に聞こえて来てしまったのだ。耳に残る悲痛な叫び。新婚初夜は彼女にとって辛いものだったに違いない。
「…昨日の今日ではお疲れでしょう。朝食は私が作って部屋まで運びますので、どうかもうしばらくお休みになられていて下さい」
大きな南瓜に包丁を差し込み両の手で押さえ付けている彼女に労わりの言葉を掛けるも、ふいと顔を俯け調理に戻ってしまう。
「お気遣いありがとうございます。けれど何かしていた方が気が紛れるので…」
「…そうですか。ではせめてその南瓜は私が切らせて頂きましょう」
並盛で収穫される大きな南瓜は非常に硬い。刃こぼれした此処の包丁で、見るからに非力そうな女性が切るのは一仕事だろう。柔らかくする術はあるけれど、自分達の関係性を鑑みると彼女に意見するのは憚られて。
戸惑い顔のルイから包丁を受け取ろうとした時不意に背後から「哲」と一声。
「恭さん。おはようございます」
何故此処に居るのだろう。食事は何時も部屋に運んでいるから、群れ嫌いの雲雀がこの騒がしい台所に来る事は滅多にないのに。今の今までルイを見遣りニヤついていた男達が条件反射的にピシリと背を伸ばし目を背ける。
「おはよう。今から出るから支度して。朝食は要らないよ」
「え?何処へです?」
「昨日来てた宝石屋の所。怪しいから商売始まる前に取調べだ。…ねぇ、」
ふと雲雀の視線が南瓜と向き合っているルイを捉える。声を掛けられびくり、僅かに強張る肩。
「そのままじゃ君には切り辛いよ。先に軽く茹でると柔らかくなる」
特段嫌味な言い方ではない。少なくとも草壁の耳はそう捉えたが、ルイには違ったようだ。振り向きざま氷の瞳で雲雀の顔を真っ直ぐに見据えると、ぴしゃりと一言。
「私には私のやり方が有りますので」
「へぇ。どうやるの」
即座に返される何処かおちょくった風な軽口にルイの目がすう、と細められる。そして徐ろに刃が食い込んだ南瓜が包丁ごと高く掲げられ──ガンッ!激しい音を立ててまな板に叩きつけられた。草壁が、組員が、唖然と目を見張る。全く意に介さぬ様子でもう一度、ガンッ!!
ごろり、真っ二つに割れ転がる南瓜。
………
何とも言えぬ沈黙が場を支配する。
こういった方法が珍しい訳では無いが、女性にしては随分と荒々しい。何より今のこの状況では。張り詰めた空気の中流石に癪に障ったらしき雲雀が眉を顰めた。
「妻の態度じゃないな」
恭さん、奥様は少々お疲れで──そう口にしようとした草壁を遮るルイの声。
「何せ私、後ろ盾が無ければ教養も品性も無い貧しい出ですから。昨夜あなたが仰られた通りに」
「其処まで言ってないよ」
「それは失礼致しました。殿方に囲われる他生きる術すら持たぬ女風情の頭では数時間前の記憶すら曖昧で」
己の言動を引用した辛辣な皮肉の羅列に雲雀の眉間の皺が深くなるも、ルイは尚も言い募る。無機質に冷淡に。
「今更育ちは変えられませんのでせめて妻としての責務は果たすべく努力させて頂きます。どうか御容赦を」
そして、もう話は終いとばかりに調理台に戻ろうとする。しかし雲雀は其れを許さない。
「あんなつまらない夜しか過ごさせずに妻としての責務だって?驚きだね」
「恭さん!」
此処で流石に草壁が割って入る。これはいけない、とんでもない。人前──其れも血気盛んな男所帯で性行為への言及など女性にとって最大の辱めではないか。腹が立つのは分かるが何をそんなにムキになっているのだ。そもそも己の品性とて大きく欠いてしまう言葉だと分かっているだろうに。
「奥様、どうかお部屋へお戻り下さい。あなた方には少し──そう、少しだけ落ち着く必要が──」
「つまらない夜ですか。ええ、そうでしょうとも。あなた生物学ご存知で?」
「奥様!」
「哲、引っ込んでな。残念ながら僕はそっちの方には明るくないんだ。それが?」
昨晩確かに──表面上ではあるが──幸せな祝言を挙げた筈の二人は、今や周囲の目すら憚らずバチバチと火花を散らし対峙している。双方声を荒げぬどころか抑揚の一つも無いのがかえって不気味だ。
「女は生体上どうやっても受動の性だという事です。そして能動であり授けるのはあなた方男性」
「だから何」
「つまり──」
自分よりずっと背の高い雲雀を見下すように細い顎をつんとしゃくると高慢に言い放つ。
「互いに気を遣れもせずつまらない夜になってしまったのは、あなたの手腕に問題があるからでは?」
とんでもない女性だ。青褪めるより先に主の鉄槌からルイを庇おうと、無意識に草壁の身体が彼女の前に立ちはだかる。
「…き、恭さん…?」
待てども来る筈の衝撃は来なかった。恐々固く閉じた瞼を開けると、目前の光景に我が目を疑う。
雲雀は笑っていた。顔を僅かに背け口元に手をやり、クククと喉を鳴らして。一瞬、公衆の面前で行われた男にとって最大級の侮辱に怒りで気が触れたのかと思った。
だが。
「君、すごいね」
ただ一言、本当にそれだけ。実に軽い口振りで零すと、草壁に「急いで」と言い残し出て行ってしまう。
誰も口を開かない。自然視線は一点に、ルイの元へと集中する。不意に彼女の表情がヒステリックに歪むと、
ザクッ!
勢い良く投げ付けられた包丁が木製の出入口の扉──つい先程雲雀が出て行った所に──深く突き刺さった。組員は最早身動ぎ一つ出来はしない。
暫しルイはその場を憎悪に燃える瞳で睨み付けていたが、やがて自ら包丁を取りに戻ると、何事も無かったかのように調理を開始した。
彼女を冷やかしの目で見る者が誰一人として居なくなった瞬間だった。
並盛組の朝は早い。まだ陽も昇らぬ明け方より草壁が朝食を摂りに共同の台所へ行くと、其処には既に食事中の組員の中炊事を行うルイの姿があった。屈強な男達が遠目からニヤニヤとその姿を堪能しては何事かひそひそと耳打ちし合っている。
全くこいつらは…
幾ら男所帯とは云えこのような下品な行為を主人は嫌うだろう。制裁が下る前に言い含めておかなければ。
ところで、はて、今日の雲雀の朝食は自分が用意するからゆっくり休んでくれと伝えていたのだが。
「奥様、おはようございます」
挨拶に振り返ったルイの目は腫れぼったく、赤く充血していた。唇の色も悪い。ずくんと胸が痛くなる。
昨晩祝言の片付けですっかり遅くなった雲雀専用浴室の掃除を済ませ廊下に出た時、不意に聞こえて来てしまったのだ。耳に残る悲痛な叫び。新婚初夜は彼女にとって辛いものだったに違いない。
「…昨日の今日ではお疲れでしょう。朝食は私が作って部屋まで運びますので、どうかもうしばらくお休みになられていて下さい」
大きな南瓜に包丁を差し込み両の手で押さえ付けている彼女に労わりの言葉を掛けるも、ふいと顔を俯け調理に戻ってしまう。
「お気遣いありがとうございます。けれど何かしていた方が気が紛れるので…」
「…そうですか。ではせめてその南瓜は私が切らせて頂きましょう」
並盛で収穫される大きな南瓜は非常に硬い。刃こぼれした此処の包丁で、見るからに非力そうな女性が切るのは一仕事だろう。柔らかくする術はあるけれど、自分達の関係性を鑑みると彼女に意見するのは憚られて。
戸惑い顔のルイから包丁を受け取ろうとした時不意に背後から「哲」と一声。
「恭さん。おはようございます」
何故此処に居るのだろう。食事は何時も部屋に運んでいるから、群れ嫌いの雲雀がこの騒がしい台所に来る事は滅多にないのに。今の今までルイを見遣りニヤついていた男達が条件反射的にピシリと背を伸ばし目を背ける。
「おはよう。今から出るから支度して。朝食は要らないよ」
「え?何処へです?」
「昨日来てた宝石屋の所。怪しいから商売始まる前に取調べだ。…ねぇ、」
ふと雲雀の視線が南瓜と向き合っているルイを捉える。声を掛けられびくり、僅かに強張る肩。
「そのままじゃ君には切り辛いよ。先に軽く茹でると柔らかくなる」
特段嫌味な言い方ではない。少なくとも草壁の耳はそう捉えたが、ルイには違ったようだ。振り向きざま氷の瞳で雲雀の顔を真っ直ぐに見据えると、ぴしゃりと一言。
「私には私のやり方が有りますので」
「へぇ。どうやるの」
即座に返される何処かおちょくった風な軽口にルイの目がすう、と細められる。そして徐ろに刃が食い込んだ南瓜が包丁ごと高く掲げられ──ガンッ!激しい音を立ててまな板に叩きつけられた。草壁が、組員が、唖然と目を見張る。全く意に介さぬ様子でもう一度、ガンッ!!
ごろり、真っ二つに割れ転がる南瓜。
………
何とも言えぬ沈黙が場を支配する。
こういった方法が珍しい訳では無いが、女性にしては随分と荒々しい。何より今のこの状況では。張り詰めた空気の中流石に癪に障ったらしき雲雀が眉を顰めた。
「妻の態度じゃないな」
恭さん、奥様は少々お疲れで──そう口にしようとした草壁を遮るルイの声。
「何せ私、後ろ盾が無ければ教養も品性も無い貧しい出ですから。昨夜あなたが仰られた通りに」
「其処まで言ってないよ」
「それは失礼致しました。殿方に囲われる他生きる術すら持たぬ女風情の頭では数時間前の記憶すら曖昧で」
己の言動を引用した辛辣な皮肉の羅列に雲雀の眉間の皺が深くなるも、ルイは尚も言い募る。無機質に冷淡に。
「今更育ちは変えられませんのでせめて妻としての責務は果たすべく努力させて頂きます。どうか御容赦を」
そして、もう話は終いとばかりに調理台に戻ろうとする。しかし雲雀は其れを許さない。
「あんなつまらない夜しか過ごさせずに妻としての責務だって?驚きだね」
「恭さん!」
此処で流石に草壁が割って入る。これはいけない、とんでもない。人前──其れも血気盛んな男所帯で性行為への言及など女性にとって最大の辱めではないか。腹が立つのは分かるが何をそんなにムキになっているのだ。そもそも己の品性とて大きく欠いてしまう言葉だと分かっているだろうに。
「奥様、どうかお部屋へお戻り下さい。あなた方には少し──そう、少しだけ落ち着く必要が──」
「つまらない夜ですか。ええ、そうでしょうとも。あなた生物学ご存知で?」
「奥様!」
「哲、引っ込んでな。残念ながら僕はそっちの方には明るくないんだ。それが?」
昨晩確かに──表面上ではあるが──幸せな祝言を挙げた筈の二人は、今や周囲の目すら憚らずバチバチと火花を散らし対峙している。双方声を荒げぬどころか抑揚の一つも無いのがかえって不気味だ。
「女は生体上どうやっても受動の性だという事です。そして能動であり授けるのはあなた方男性」
「だから何」
「つまり──」
自分よりずっと背の高い雲雀を見下すように細い顎をつんとしゃくると高慢に言い放つ。
「互いに気を遣れもせずつまらない夜になってしまったのは、あなたの手腕に問題があるからでは?」
とんでもない女性だ。青褪めるより先に主の鉄槌からルイを庇おうと、無意識に草壁の身体が彼女の前に立ちはだかる。
「…き、恭さん…?」
待てども来る筈の衝撃は来なかった。恐々固く閉じた瞼を開けると、目前の光景に我が目を疑う。
雲雀は笑っていた。顔を僅かに背け口元に手をやり、クククと喉を鳴らして。一瞬、公衆の面前で行われた男にとって最大級の侮辱に怒りで気が触れたのかと思った。
だが。
「君、すごいね」
ただ一言、本当にそれだけ。実に軽い口振りで零すと、草壁に「急いで」と言い残し出て行ってしまう。
誰も口を開かない。自然視線は一点に、ルイの元へと集中する。不意に彼女の表情がヒステリックに歪むと、
ザクッ!
勢い良く投げ付けられた包丁が木製の出入口の扉──つい先程雲雀が出て行った所に──深く突き刺さった。組員は最早身動ぎ一つ出来はしない。
暫しルイはその場を憎悪に燃える瞳で睨み付けていたが、やがて自ら包丁を取りに戻ると、何事も無かったかのように調理を開始した。
彼女を冷やかしの目で見る者が誰一人として居なくなった瞬間だった。