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取引の為一月ほど京へ赴いていた雲雀が並盛へ帰還した日の事。
「浅利診療所?」
文書やら何やらで雑多な文机に一封の封筒を見つけ、覚えの無い差出名に首を捻る。手に取り差出人住所を確認すると並盛からは徒歩にして一日程掛かる黒曜という地名が記入されていて激しい不快感を覚えた。
黒曜──天敵、六道骸が支配していた町。並盛と同じく明治政府により切り捨てられた町。貧困と退廃に喘ぐ黒曜を再興したのがその六道骸という男で、彼とは初めて遭遇した七年程前から互いに啀み合う関係が続いている。黒曜だけでは飽き足らず並盛を手中に収めようとした骸が此方に手を出して来たのが切っ掛けで、最後に相見えたのは確か二年程前。
骸は荒んでいた町の頂点に君臨しただけあると言うべきか、優男の見てくれに沿ぐわぬ力の持ち主で雲雀との本気の殺し合いは未だ決着を見ては居ない。が、一昨年の夏何らかの事故に遭い現在は意識不明の状態。それに伴い再興していた町は再び退廃の一途を辿っていると風の噂で聞いた。
彼とは本当に腹の底から反りが合わない。正直黒曜の二文字を見るだけであの思考の読めぬ薄笑いが脳裏に浮かび気分が悪くなる。破り棄ててしまおうか。そんな思いが過るも立場上そういう訳にも行かず、苛立ちながら封を破ると入っていたのは一通の文書。
「…黒曜からの救援要請、ですか?」
夜、外回りから帰って来た草壁が手紙を片手に首を捻る。その内容とは。
主導者が病床に伏せる今黒曜には再び貧困が蔓延り住人は衣食住も儘ならぬ、町の診療所と呼べる所も最早浅利診療所一つだけ。その診療所も多数の患者を抱えながら経営難により満足な医療の提供どころか存続さえ怪しい状況に陥っており、どうか財政豊かな並盛に資金援助を頼みたいという事だった。
「黒曜は政府と折り合いが悪いようですからね…もう此方に頼るしか無かったんでしょう。難儀な事だ」
町の支配者同士が険悪な為並盛と黒曜の交流は断絶状態にあるが、まさか此処まで事態が悪化しているとは思わなかった。さて、うちの秩序はどうでるのかと草壁は雲雀の涼しい顔を見遣る。雲雀は冷淡な男だ。だが決して感情が無い訳では無い。
ややあって薄く形の良い唇が開く。
「診療所の経営者急ぎで調べて。終わり次第偵察に行くから時間作っといてね」
話に裏は無いのか、此方に何らかの利潤を得る事は可能か。取引は何時でも相手を知る所から始まる。今雲雀の頭の中には様々な思惑が飛び交っている事だろう。
へい、返事をして今日も溜まった仕事に追われ机と睨めっこの雲雀に恭しく一礼した。
数日後。
「わざわざすいませんねぇ~」
浅利診療所の休憩室で煙草をふかすイタリア男を前に草壁は眉を顰めていた。
Dr.シャマル。それがこのくたくたの白衣を羽織りだらし無く髭を生やした男の名であり、彼こそがこの診療所の経営者兼院長医師本人。調べによると酔っ払いじみた小汚い外見のこの男、十年程前に弟子を伴い日本に渡って来て此処で診療所を開業したらしい。現在はもう一人の医師と共に西洋医学の最先端を取り入れた医師として随分な腕利きと評判なようだがとてもそうは見えない。
「まぁ事情は手紙に書いた通りですよ。もうこっちも一杯一杯でね。どうにか並盛の秩序様の助力をお願いできませんかねぇ」
この通り。どうにも真剣味の感じられない様子でパシンと手を合わせ頭を下げる男の脇を通り過ぎる雲雀。
「おいおい秩序様?浮雲様だっけ?無視ですかい?」
「先に中見させてもらうよ」
家宅捜査かよ、信用ねーな。ぼりぼりと頭を掻くシャマルには脇目も振らずさっさと休憩室を後にすると、草壁はそれを追い軽く目礼してから出て行った。「無愛想だねぇ。ったく…」煙と共に漏れた言葉は二人には届かない。
診療所内は院長の小汚なさとは打って変わって綺麗なものだった。建物自体は古く小さなヒビや亀裂も見られたが隅々まで手入れが届いているらしく何処もかしこも清潔な事が伺えた。病床も真っ白なシーツに包まれ、丁度昼食中だった患者達には見た目にも栄養豊富そうな病人食が提供されている。室内に漂う消毒液の清浄な匂い。
これで経営難だって?
雲雀も草壁も同じ事を感じながら歩を進めて行くと。ピタリ、開け放たれた個室の扉の前で雲雀の足が止まった。病床で目を閉じ横たわっているのは。
「六道骸…」
安らかな顔で眠っているかつての黒曜の支配者、雲雀の天敵。こんな所に居たのか。湧き上がる苛立ちと言葉にならぬ遣る瀬無さ。あれ程の強さを誇った男のこんな姿など見たくはなかった。
歯痒い様な、嘲りたい様な。何ともつかぬ心持ちで見つめている雲雀の隣をふと何者かが通り過ぎて病室へと入って行く。ふわり漂う得も言われぬ香。女──シャマルと同じ白衣を纏った女だ。まさかこの女が診療所のもう一人の医師とやらなのか。
女医とは珍しい。そして後ろ姿から確認出来る結い上げた色素の薄い髪はもっと珍しい。
女は寝たきりの体が固まらない為の施術だろうか、眠る骸の四肢を曲げたり伸ばしたりと言う動作を行い始めた。
「ね、骸。早く戻って来なきゃね。待ってるからね…」
施術の合間、涼やかな声が柔らかく呼び掛ける。僅かに掠れた、しかしまだ随分と若い声。細い手がそっと骸の頬に触れ優しく撫でる。愛おしむ様に、慈しむ様に。
「あなたじゃなきゃダメなんだよ…みんな、凪だって、」
睦言とも取れる言葉を紡ぎながら、気配を感じたのかふと女が振り返り、目が合う。
瞬間、息を呑んだ。
それは、信じられない程の美貌の女。大きな目も桜色に潤う唇も、何より摩訶不思議な赤い瞳とその雪の如き肌の白さと言ったら!
ぞわり、心臓が激しく騒つく。
じっと見つめて来る紅玉から目を逸らせずにいると、不意に背後からやる気の無い声が聞こえて来た。
「ぼちぼち偵察は終わりましたかねぇ~?」
休憩室に戻ると雲雀は率直な感想を口にした。
「経営難だとは思えないな。寧ろ並盛の診療所より行き届いているように見える」
「おいおい見た目で判断しねーで下さいよ」
大柄な身体をドカッと丸椅子に沈め煙草に手を伸ばす。
「弱ってる患者に惨めな思いなんざさせらんねーでしょーが。金も時間もねぇ中で個人資産も睡眠時間も切り崩し如何にか遣り繰りしてんですよ…が、それも底を尽きて来ちまった」
プァー、と投げやりな様子で白い煙を吐き出すとふと真面目な表情で雲雀を見据える。ふざけた態度を前面に押し出した男でありながら、そのブラウンの瞳は何処か油断ならない雰囲気を伺わせ雲雀は目を細めた。
「…あの並盛を纏め上げたあんたなら現実を知ってるでしょう。貧困は貧困を呼ぶ。碌に治療費も払えねー病人をそれでも放り出せず面倒見た所で退院すりゃあ貧困による衛生、栄養状態の悪さでまた逆戻りだ」
負の連鎖は終わらねぇ。軽い語り口での重苦しい言葉が小さな休憩室に響く。
「あんたが六道のやんちゃ坊主とべらぼうに折り合い悪ぃのは承知の上だ。だが政府に切り捨てられたこの町としちゃもうあんたに頼る他ねぇんですよ…如何にか頼まれちゃくれませんかね」
この通り、裏の無い風に軽く頭を下げるシャマルを見て、ちらり、草壁は傍の雲雀をそっと伺った。個人的な感情としては手助けしてやりたいと思う。が自分は決める立場には無い。シャマルの言っていた通りこの町の住人には治療費など払う余裕は殆ど無いだろう。この診療所を支援すると言うのはそのまま黒曜を抱え込む事に繋がりかねず、組織としては見返りの期待出来ぬどころか不利益でしか無い大仕事だ。相変わらず流麗な顔に無機質な表情を貼り付けている我が主人は、さて如何出る事やら。
「六道はどうしてああなったんだい?」
やや突拍子の無い問いにも聞こえたが町と町の交流を断絶させた元凶、そして黒曜の主導者である男について。私怨がある以上知っておきたい…否、知らねば返答が決まらぬのだろうとシャマルは判断した。孤高の浮雲は実際に対面した所やはり掴み辛い人物ではあったが、この問いが出るあたり如何やら脈はあるらしい。
「石油燃料の爆破事故ですよ。取り扱い良く分かってねぇ馬鹿が町中でやらかした、な。咄嗟に女の子を庇って吹っ飛ばされたあいつは頭部に激しい衝撃を受けてそんまま昏睡状態って訳だ」
あの男が人助け?意外な理由に雲雀は若干の驚きを覚えた。
六道骸は荒廃した黒曜を再興しはしたがそれは決して黒曜への愛着や正義感から来るものでは無かった筈。寧ろその麗らかな容姿からは想像出来ぬ程の支配欲を満たそうとした結果だったと、彼との度重なる対峙においてその性分を解釈していたので。
ふと愛おしげに彼の頬を撫でていた美しい白衣の女を思い出す。随分と親しげな様子だった。もしかすると──
「庇ったのは先程病室に居た女かい?恋仲?」
六道骸にその様な感情があるとは考え辛いが彼も人間には違い無い。あの女はあの容姿だし、であれば身体を張り救った訳も分からなくは無い。
しかし返って来た言葉は全くの見当違い。
「あ?まさか。あいつは俺の弟子で可愛い娘…あんなクソガキにくれてやれるもんかい」
「娘ね…、ふぅん。じゃあ誰を助けたの?」
「貧乏長屋に住む親無し娘ですよ」
「……」
「不思議ですかい?まぁ妹みてぇに可愛がってたし咄嗟に身体が動いちまったんでしょーね。中々のかわい子ちゃんだし」
「……そう」
つまり庇う事に利益は無い相手、まこと六道骸とは分からぬ男だと息を吐き改めてシャマルに向き直る。
「収支報告書」
「あ?」
「又は経営状況のはっきり分かる物。最近のと六道のくたばる前の──そうだね、二年程前の。何かはあるだろ」
見せて。虚偽を許さぬ鋭い視線を受けシャマルは「まだくたばってねぇよ」ぼやきつつ肩を竦め立ち上がると、鍵付きの戸棚を開いた。ずらりと並ぶ冊子が視界に映る。
「日付が入ってんのがそれだ。開所当時のからある。不正なんぞしとらん証拠に好きな所を好きに見てくれ」
雲雀がパラパラ紙をめくる音だけが響く中二人はぼんやりと姿勢の良いその姿を眺めていたが、やがて彼が冊子をしまい感情の読めぬ声を発した。
「良く分かったよ。一年前から赤字続きだ」
「でしょう?じゃあ──」
「けど腑に落ちないな。幾ら君が腕利きの医者で金持ってたとしても個人資産で賄うにはちょっと度が過ぎてる」
何処か楽しそうに口角を上げる雲雀。僅かに目を泳がせる様がシャマルの動揺を物語っている。
「君はどうやってそれだけの財を築いたんだい?それとも何か別件で収入でも──」
カチャリ。獲物を見定めた雲雀の追求は扉の開く音に遮られた。
「浅利診療所?」
文書やら何やらで雑多な文机に一封の封筒を見つけ、覚えの無い差出名に首を捻る。手に取り差出人住所を確認すると並盛からは徒歩にして一日程掛かる黒曜という地名が記入されていて激しい不快感を覚えた。
黒曜──天敵、六道骸が支配していた町。並盛と同じく明治政府により切り捨てられた町。貧困と退廃に喘ぐ黒曜を再興したのがその六道骸という男で、彼とは初めて遭遇した七年程前から互いに啀み合う関係が続いている。黒曜だけでは飽き足らず並盛を手中に収めようとした骸が此方に手を出して来たのが切っ掛けで、最後に相見えたのは確か二年程前。
骸は荒んでいた町の頂点に君臨しただけあると言うべきか、優男の見てくれに沿ぐわぬ力の持ち主で雲雀との本気の殺し合いは未だ決着を見ては居ない。が、一昨年の夏何らかの事故に遭い現在は意識不明の状態。それに伴い再興していた町は再び退廃の一途を辿っていると風の噂で聞いた。
彼とは本当に腹の底から反りが合わない。正直黒曜の二文字を見るだけであの思考の読めぬ薄笑いが脳裏に浮かび気分が悪くなる。破り棄ててしまおうか。そんな思いが過るも立場上そういう訳にも行かず、苛立ちながら封を破ると入っていたのは一通の文書。
「…黒曜からの救援要請、ですか?」
夜、外回りから帰って来た草壁が手紙を片手に首を捻る。その内容とは。
主導者が病床に伏せる今黒曜には再び貧困が蔓延り住人は衣食住も儘ならぬ、町の診療所と呼べる所も最早浅利診療所一つだけ。その診療所も多数の患者を抱えながら経営難により満足な医療の提供どころか存続さえ怪しい状況に陥っており、どうか財政豊かな並盛に資金援助を頼みたいという事だった。
「黒曜は政府と折り合いが悪いようですからね…もう此方に頼るしか無かったんでしょう。難儀な事だ」
町の支配者同士が険悪な為並盛と黒曜の交流は断絶状態にあるが、まさか此処まで事態が悪化しているとは思わなかった。さて、うちの秩序はどうでるのかと草壁は雲雀の涼しい顔を見遣る。雲雀は冷淡な男だ。だが決して感情が無い訳では無い。
ややあって薄く形の良い唇が開く。
「診療所の経営者急ぎで調べて。終わり次第偵察に行くから時間作っといてね」
話に裏は無いのか、此方に何らかの利潤を得る事は可能か。取引は何時でも相手を知る所から始まる。今雲雀の頭の中には様々な思惑が飛び交っている事だろう。
へい、返事をして今日も溜まった仕事に追われ机と睨めっこの雲雀に恭しく一礼した。
数日後。
「わざわざすいませんねぇ~」
浅利診療所の休憩室で煙草をふかすイタリア男を前に草壁は眉を顰めていた。
Dr.シャマル。それがこのくたくたの白衣を羽織りだらし無く髭を生やした男の名であり、彼こそがこの診療所の経営者兼院長医師本人。調べによると酔っ払いじみた小汚い外見のこの男、十年程前に弟子を伴い日本に渡って来て此処で診療所を開業したらしい。現在はもう一人の医師と共に西洋医学の最先端を取り入れた医師として随分な腕利きと評判なようだがとてもそうは見えない。
「まぁ事情は手紙に書いた通りですよ。もうこっちも一杯一杯でね。どうにか並盛の秩序様の助力をお願いできませんかねぇ」
この通り。どうにも真剣味の感じられない様子でパシンと手を合わせ頭を下げる男の脇を通り過ぎる雲雀。
「おいおい秩序様?浮雲様だっけ?無視ですかい?」
「先に中見させてもらうよ」
家宅捜査かよ、信用ねーな。ぼりぼりと頭を掻くシャマルには脇目も振らずさっさと休憩室を後にすると、草壁はそれを追い軽く目礼してから出て行った。「無愛想だねぇ。ったく…」煙と共に漏れた言葉は二人には届かない。
診療所内は院長の小汚なさとは打って変わって綺麗なものだった。建物自体は古く小さなヒビや亀裂も見られたが隅々まで手入れが届いているらしく何処もかしこも清潔な事が伺えた。病床も真っ白なシーツに包まれ、丁度昼食中だった患者達には見た目にも栄養豊富そうな病人食が提供されている。室内に漂う消毒液の清浄な匂い。
これで経営難だって?
雲雀も草壁も同じ事を感じながら歩を進めて行くと。ピタリ、開け放たれた個室の扉の前で雲雀の足が止まった。病床で目を閉じ横たわっているのは。
「六道骸…」
安らかな顔で眠っているかつての黒曜の支配者、雲雀の天敵。こんな所に居たのか。湧き上がる苛立ちと言葉にならぬ遣る瀬無さ。あれ程の強さを誇った男のこんな姿など見たくはなかった。
歯痒い様な、嘲りたい様な。何ともつかぬ心持ちで見つめている雲雀の隣をふと何者かが通り過ぎて病室へと入って行く。ふわり漂う得も言われぬ香。女──シャマルと同じ白衣を纏った女だ。まさかこの女が診療所のもう一人の医師とやらなのか。
女医とは珍しい。そして後ろ姿から確認出来る結い上げた色素の薄い髪はもっと珍しい。
女は寝たきりの体が固まらない為の施術だろうか、眠る骸の四肢を曲げたり伸ばしたりと言う動作を行い始めた。
「ね、骸。早く戻って来なきゃね。待ってるからね…」
施術の合間、涼やかな声が柔らかく呼び掛ける。僅かに掠れた、しかしまだ随分と若い声。細い手がそっと骸の頬に触れ優しく撫でる。愛おしむ様に、慈しむ様に。
「あなたじゃなきゃダメなんだよ…みんな、凪だって、」
睦言とも取れる言葉を紡ぎながら、気配を感じたのかふと女が振り返り、目が合う。
瞬間、息を呑んだ。
それは、信じられない程の美貌の女。大きな目も桜色に潤う唇も、何より摩訶不思議な赤い瞳とその雪の如き肌の白さと言ったら!
ぞわり、心臓が激しく騒つく。
じっと見つめて来る紅玉から目を逸らせずにいると、不意に背後からやる気の無い声が聞こえて来た。
「ぼちぼち偵察は終わりましたかねぇ~?」
休憩室に戻ると雲雀は率直な感想を口にした。
「経営難だとは思えないな。寧ろ並盛の診療所より行き届いているように見える」
「おいおい見た目で判断しねーで下さいよ」
大柄な身体をドカッと丸椅子に沈め煙草に手を伸ばす。
「弱ってる患者に惨めな思いなんざさせらんねーでしょーが。金も時間もねぇ中で個人資産も睡眠時間も切り崩し如何にか遣り繰りしてんですよ…が、それも底を尽きて来ちまった」
プァー、と投げやりな様子で白い煙を吐き出すとふと真面目な表情で雲雀を見据える。ふざけた態度を前面に押し出した男でありながら、そのブラウンの瞳は何処か油断ならない雰囲気を伺わせ雲雀は目を細めた。
「…あの並盛を纏め上げたあんたなら現実を知ってるでしょう。貧困は貧困を呼ぶ。碌に治療費も払えねー病人をそれでも放り出せず面倒見た所で退院すりゃあ貧困による衛生、栄養状態の悪さでまた逆戻りだ」
負の連鎖は終わらねぇ。軽い語り口での重苦しい言葉が小さな休憩室に響く。
「あんたが六道のやんちゃ坊主とべらぼうに折り合い悪ぃのは承知の上だ。だが政府に切り捨てられたこの町としちゃもうあんたに頼る他ねぇんですよ…如何にか頼まれちゃくれませんかね」
この通り、裏の無い風に軽く頭を下げるシャマルを見て、ちらり、草壁は傍の雲雀をそっと伺った。個人的な感情としては手助けしてやりたいと思う。が自分は決める立場には無い。シャマルの言っていた通りこの町の住人には治療費など払う余裕は殆ど無いだろう。この診療所を支援すると言うのはそのまま黒曜を抱え込む事に繋がりかねず、組織としては見返りの期待出来ぬどころか不利益でしか無い大仕事だ。相変わらず流麗な顔に無機質な表情を貼り付けている我が主人は、さて如何出る事やら。
「六道はどうしてああなったんだい?」
やや突拍子の無い問いにも聞こえたが町と町の交流を断絶させた元凶、そして黒曜の主導者である男について。私怨がある以上知っておきたい…否、知らねば返答が決まらぬのだろうとシャマルは判断した。孤高の浮雲は実際に対面した所やはり掴み辛い人物ではあったが、この問いが出るあたり如何やら脈はあるらしい。
「石油燃料の爆破事故ですよ。取り扱い良く分かってねぇ馬鹿が町中でやらかした、な。咄嗟に女の子を庇って吹っ飛ばされたあいつは頭部に激しい衝撃を受けてそんまま昏睡状態って訳だ」
あの男が人助け?意外な理由に雲雀は若干の驚きを覚えた。
六道骸は荒廃した黒曜を再興しはしたがそれは決して黒曜への愛着や正義感から来るものでは無かった筈。寧ろその麗らかな容姿からは想像出来ぬ程の支配欲を満たそうとした結果だったと、彼との度重なる対峙においてその性分を解釈していたので。
ふと愛おしげに彼の頬を撫でていた美しい白衣の女を思い出す。随分と親しげな様子だった。もしかすると──
「庇ったのは先程病室に居た女かい?恋仲?」
六道骸にその様な感情があるとは考え辛いが彼も人間には違い無い。あの女はあの容姿だし、であれば身体を張り救った訳も分からなくは無い。
しかし返って来た言葉は全くの見当違い。
「あ?まさか。あいつは俺の弟子で可愛い娘…あんなクソガキにくれてやれるもんかい」
「娘ね…、ふぅん。じゃあ誰を助けたの?」
「貧乏長屋に住む親無し娘ですよ」
「……」
「不思議ですかい?まぁ妹みてぇに可愛がってたし咄嗟に身体が動いちまったんでしょーね。中々のかわい子ちゃんだし」
「……そう」
つまり庇う事に利益は無い相手、まこと六道骸とは分からぬ男だと息を吐き改めてシャマルに向き直る。
「収支報告書」
「あ?」
「又は経営状況のはっきり分かる物。最近のと六道のくたばる前の──そうだね、二年程前の。何かはあるだろ」
見せて。虚偽を許さぬ鋭い視線を受けシャマルは「まだくたばってねぇよ」ぼやきつつ肩を竦め立ち上がると、鍵付きの戸棚を開いた。ずらりと並ぶ冊子が視界に映る。
「日付が入ってんのがそれだ。開所当時のからある。不正なんぞしとらん証拠に好きな所を好きに見てくれ」
雲雀がパラパラ紙をめくる音だけが響く中二人はぼんやりと姿勢の良いその姿を眺めていたが、やがて彼が冊子をしまい感情の読めぬ声を発した。
「良く分かったよ。一年前から赤字続きだ」
「でしょう?じゃあ──」
「けど腑に落ちないな。幾ら君が腕利きの医者で金持ってたとしても個人資産で賄うにはちょっと度が過ぎてる」
何処か楽しそうに口角を上げる雲雀。僅かに目を泳がせる様がシャマルの動揺を物語っている。
「君はどうやってそれだけの財を築いたんだい?それとも何か別件で収入でも──」
カチャリ。獲物を見定めた雲雀の追求は扉の開く音に遮られた。