embrace
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「骸は黒曜に独自の銀行を造り、町の統治者として築いた莫大な財を保管していました。そして…あの未知の力で、何というか、催眠術のようなものを金庫番に掛けたんです」
「催眠…?」
「原理は私も知りません。本人の話では前世で六道輪廻を巡った記憶が何とかと…私には到底理解出来ぬ世界の話です。あなたは御存知ですか?」
知る訳が無い。あの謎の能力は妖より授かった類いであるとでも言うのだろうか。大変興味深くはあるが今ルイと話しても詮無き事だ。隠すつもりが無いのならば後程本人に直接聞けば良いだろう。それより続きが聞きたく、知らない。それで?と促す。
「それで、彼は金庫番に二つの命令したんです。一つは私の二十歳の誕生日をもって財産を私との共有名義にする事。結婚するんですから私が自由にお金を引き出せるようにと。そしてもう一つ…ここが厄介で」
曰く、骸は金庫番に一言一句違わずこう命じたらしい。
——それ以前に僕に万が一があった際はルイ、犬、千種、凪の四名に均等に相続を行うように——
「お金が正しく行き渡れば、例え骸に何が起こったとしても私達で町を回し黒曜は安泰を保てる。私達を守れる。抜かりなく考えた上での命令でした。けれどどういう訳か、骸が爆発事故から凪を庇い昏睡状態に陥っても尚、金庫番は頑なに骸の財を私達に渡そうとしなかったんです」
「…金庫番が金を横領しようとしたって事かい?」
いいえ、とルイは答えた。
「考えられるのは幾つか…昏睡状態により骸の催眠が不完全なものとして継続されてしまった。或いは金庫番が“万が一 ”という表現を骸の死のみと捉えたのかも。骸を崇拝するあまりに骸が易々と死ぬとは思いたくない、必ず目を醒ます日が来るからこれは万が一には当たらぬ。金庫番はそんな神に縋るような無意識下の逃避を図っていたのかも知れません。…骸はそれ程に黒曜にとって絶対的な人間なんです」
「……」
「ですから私達は滅び行く町を眺めながらじっと待つ他ありませんでした。私の二十歳の誕生日…明治七年十月十二日、その日を迎えられれば財は私に渡り全てが好転する。そう信じて。けれど、そのたった半年前にあなたが現れ…」
ルイの思惑を他所に強引に妻とした。
嫁いで来た頃のルイの酷く冷淡だった態度にようやっと合点が行った。さぞかし憎かった事だろう。憎いなどという言葉では言い尽くせぬ程に。全てを覆せる夢の切符が目前に迫っていたのに…
じっとルイの目を見つめる。今彼女はどんな思いでこれを話しているのか見逃したくは無かった。欠片でも憎悪が遺されているのではないかと。しかしルイは穏やかなまま、眦を柔く細め雲雀を赤い瞳に映すだけ。
「けれど結局は推測でしかありません。昏睡という微妙な状態では催眠がどのように作用しているのか…骸だっていつ本当に死んでしまうかも分からず、そうなれば催眠は継続されるのか切れてしまうのか。もし切れてしまえばそれこそ金庫番がその時点で全部横領して逃げ出す可能性もあったでしょう。崇拝者ももう居ないのに滅び行く町に居る理由もありませんし。全ては不確定なままで、明らかなのは、骸にとって万が一という表現が最大の誤算だったという事だけなんです」
「……」
「分かり辛い説明で御免なさい。とにかくそんな状況で、私は密かに一つ計画を立てたんです。それこそがあなたには隠しておかなければならなかった理由で…」
正直もう充分だという気もした。ルイは雲雀に後ろめたい行いなどしては居ないのだろう。雰囲気からはそう伝わって来る。しかし本人が話そうとしているのだ。最後まで聞いておこうと頷いた。
「もし骸が私の誕生日を待たず死んでしまったら…私、それを隠すつもりで居たんです。誕生日が来て、死んでいる骸と婚姻をして…無事相続が済むまでは」
「は?」
流石に突飛な話に間抜けな声が出る。死人と結婚する気で居ただと?だが一瞬の驚きの後は分からなくもないと思った。あの時点ではそうしなければ黒曜は滅び一直線だったのだから。
「勿論倫理に反する悪魔の所業です。けれど…」
一度目を伏せるルイ。
「隠すとは言っても正直黒曜全体には知られても構いませんでした。町の命運が掛かっているんですから、誰もが賛同せざるを得なかったでしょう。ですが金庫番には…全てをおじゃんにしてしまう可能性を孕む彼だけには知られるわけには行かなくて。だからどこかから彼の耳に入ってしまわぬよう、この計画は私の胸だけにしまっておこうと」
何となく分かった気がした。雲雀には話せなかった理由。それはきっと。
「並盛の秩序。その僕が、他の町とはいえ人間の生き死にを偽装して相続を受けるなんて行為を許す筈が無いと思ったんだね」
「…はい。繰り返しますが、あの頃の私はあなたの事ろくに知りませんでしたから…絶対にばれてはいけないと。計画を立てるだけで罪人として裁かれてしまう気すらしましたから」
はぁ、とルイが大きく息を吐き出した。もうすっかり喋り切ったと言うふうに。そうして変わらず穏やかな目で呟く。どこか疲れたような顔が酷く美しく見えた。
「今なら分かります。あなたは全てを知って私を妻としなくてもきっと黒曜を見放さなかったと。今まで程の労力はかけずとも、最低限食べて行けるくらいの事はして下さったんでしょう」
何と答えるべきか分からずついと視線を逸らす。もしかするとそうしたのかも知れないが、素直に肯定するのは意地が許さなかったのだ。そんな雲雀の心情を察してかルイは柔く微笑んだ。
「…私、あの時はあなたを心底恨みました。後数ヶ月…数ヶ月だったのに、と。でも…」
白い手がそっと指先に触れて来る。伝わる微かな温もり。
「再興に尽力して下さるあなたの働きを見ていて分かったんです。幾らお金があったとしても私では無理だったと。骸が倒れてすぐにだったらいざ知らず、一旦あそこまで衰退してしまった町一つを立て直すなんて、私どころか例えシャマル先生でも犬でも千種でも…町民全員で力を合わせて頑張ったとしても成し得なかった大仕事なんだと」
ぎゅ、と力を込めて握られる手。目の前の女の瞳から涙が一雫頬に伝う。
「こんな仕事が出来るのは畑違いの私達じゃない、いずれは結局骸の復帰を待つしか無い現実を知る事になったでしょう。…あなたには感謝しか無いといつしか理解しつつ…それでも私、あんなふうな態度を取り続けて……本当に、」
静かに涙を流すルイの背後に回り緩く抱く。自分のとは違う華奢で小さな体だ。この背に沢山のものを抱え不確定な未来に翻弄され必死に頭を回し、さぞ苦しかった事だろう。
「もう良いよ。お互い様だ」
「私、まだここに居て良いんですか?」
「当たり前だろ。…隠し事はもう無いんだろうね?」
勿論です、と頷く女の頬に口付けた。涙などもう見たくはない。雲雀はルイを無理矢理に妻にし、ルイは遣る瀬無い秘密を貫かざるを得なかった。自分ではなく黒曜の為に。全くもってお互い様だ。どうして咎められようか。とろりと力を抜いて寄り掛かって来る体を抱き直し唇を重ねる。ゆっくりと落ち着かせるようにしてやってから顔を離し告げた。
「六道と遊んで来るよ。君は少し寝てて」