embrace
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
戸も襖も締め切りルイと二人の室内。差し出された茶に手を付けもせず雲雀は目前に座る妻を見ていた。罪人に尋問を行うかの如き鋭い目で。
「…すみませんでした。黙っていて。私…」
「前置きは良いから進めて」
「はい。…少し長くなります。何から…そうですね、私が骸に出会った時から」
そうしてルイは伏し目がちに語り出した。ぽつぽつ、ぽつぽつと。
「十二年前日本に辿り着いた私達は、定住先を求める旅の道中で偶然黒曜の前を通り掛かったんです。当時の黒曜はこの世から見捨てられた人々が集う陰惨な荒地でした。そこの廃屋の一つに三人の捨て子が住んで居て、それが骸と、そして犬と千種という少年…」
立ち上がるルイ。縁側へ続く引き戸をほんの少しだけ開き外を眺める。
「骸はシャマル先生の医療鞄を見ると、自分は此処を自分達の町にするのだと言いました。助力を得られるならば相応の見返りを用意すると。勿論先生は馬鹿馬鹿しいと通り過ぎようとしたんですが…すぐに考えを変える事になったんです。骸がパチンと指を鳴らした瞬間、半死人の住人達がそこらからぞろぞろ這い出て来て、まるで操り人形の様に先生へ深深とお辞儀を始めたんですから。その背後で骸は薄笑いを浮かべていて…それは酷く不気味な光景でした」
「……」
何も知らなければ奇怪な話だと感じられただろう。しかし幾度と無く激闘を演じて来た雲雀にとっては今更だった。六道骸の持つ奇妙な力。あの赤い瞳が怪しく光ればたちまち四肢の自由を奪われこの世の物とは思えぬ邪悪な幻を見せられる。彼ならば例え他人を意のままに操作出来てもおかしくはない。
「先生は即座に骸を危険人物だと判断し、けれど小さな私を連れたままでは下手な抵抗も出来ずに一旦は黒曜に腰を身を置くふりをしたんです。骸の不思議な能力を医学的に解明したい探究心や、明らかに異端である彼をそれとなく見張っておく意図もあったと後から聞きました」
そっと戸を閉め雲雀の向かいに座るルイ。
「けれど何故か私は骸を怖いとは思わず、それどころか彼らと居るのは心地好くて…ひと月も経たぬ内に私、黒曜がすっかり気に入って。それがどうしてだったのか今はもうその時の気持ちが思い出せませんが、多分実の親を知らぬ同調のようなものだったのかも知れません」
茶を一口飲んでは小さく息を吐き、話は続く。雲雀は口を挟まず黙って聞いていた。
「そんな私を見た先生にお前はここにずっと住みたいかと聞かれ、私ははいと答えました。今思えば、先生には複雑な思いもあったのでしょうが…とにかくそうして私達は黒曜に定住を決め、浅利診療所を開く事になったんです」
外の方から微かな雨音が聴こえ始めた。あっという間に叩きつけるような大雨に変わる。
「私は診療時間が終わるといつも骸達の住む廃屋へ遊びに行っていました。骸はあの不思議な力でみるみる内に町を建設して行き、数年後にはどこからか置き去りにされた凪という少女も仲間入りして…私はいつの頃からか彼らをシャマル先生とはまた違う、もう一つの家族のように思うようになっていました」
そしてもう一口茶を飲んだルイは、ようやく雲雀が聞きたかった件に触れた。
「そんなある日、骸が言ったんです。僕と結婚して本当の家族になりませんか、と。私が十五の頃でした」
「…それで?」
「断る理由はありませんでした。骸と夫婦になり犬に千種、凪とずっと一緒に生きて行ける。骸の元で安心して医師として勤めを続けられる。…何にも変えられぬ幸せだと思ったんです。ただ当時は黒曜も発展途上中で何かと忙しく、私の二十歳の誕生日を待って祝言を挙げようと約束を交わし、その時が来るまでこの事は私と彼らだけの秘密にしようと決めたんです。先生は未だ骸を警戒していましたし、反対されるのは分かり切っていましたから」
ここまで聞けば雲雀にも薄ぼんやりと見えて来た。ルイと骸を結んでいたのは…。
「孤児故の連帯感、親愛の情。…それで婚約か」
「おかしいですか?」
自然と漏れ出た嘲りの声に、大人しく処罰を受けるかのような態度で居たルイの瞳が僅かに色を変えるのが分かった。しかし雲雀には理解出来なかったのだ。まるで弱虫のする事だと感じられた。そんな正直な思いを告げればルイはしばし黙り雲雀を見据え、すっと目を伏せる。
「同じ孤児でもあなたには実親に愛された記憶が残っているでしょう?私達は…いいえ、分かって下さらなくて結構です。事情さえ理解して頂ければ」
「君には義理といえ父親が居るだろう。そんじょそこらのより余程君を大事にしてる親が。なのに血縁じゃないと駄目だって?」
「…そんな事…先生はとびきりの、けど…」
正座した膝に置かれていた白い手が掻き毟るように強く胸元を引っ掻く。眉根には皺が寄り酷く苦しそうに歪む。様子がおかしい。突然どうしたと言うのだ。ちょっと、とその手を静止させようと円卓越しに腕を伸ばせばルイはゆるゆると首を振った。
「御免なさい、頭が割れそう。考えたくない」
「……」
追求しようとは思わなかった。事実雲雀の両親は幼き雲雀をごく普通に育ててくれ、その日々の中ではきっと無意識に愛情とやらを受け取っていたのだろう。今彼らを弱虫だと感じた自分が在るのは、生来の気質か愛された記憶とやらの産物なのか、そんなもの判定のしようもない。なればルイの葛藤にこれ以上石を投げてはならぬ、そんな気分になったのだ。
「…分かったよ。つまり君と六道の間には」
「男女の想いも…体も、その…あなたを裏切るようなものは何一つ。私達はそんなでしたから、きっと骸も怒りません。けれど約束は約束でしょう?一方的に反故にする形になってしまった以上、私自身の口からきちんと説明しておきたかったんです」
それで雲雀への釈明より先に二人で話したかったと。理解すればようやく怒りが治まって来て、たちまち喉の渇きに気付く。同時に一つの疑問も。
「何故初めにそれを言わなかったんだい?もしあいつの婚約者だなんてなんて知ってたら流石に嫁に来いとは言わなかったよ」
「だって私、あなたの事何も知らなかったんですもの。とにかく骸と険悪な、強くて冷血で恐ろしい並盛の秩序、そんな噂以外には。そのあなたに骸と婚約してるなんて知られれば、黒曜はきっと見放されてしまうと」
「…成程ね」
「それに…もう一つ」
何?問いながらぐいっと冷えた茶を一息に流し込む。湯呑の中の氷は半ば溶けかかり小粒程になっていた。円卓の脇に置かれた水差しを掴み自分の湯呑に、そしてすっかり空になっているルイのにも注いでやる。
「あなたに事情を話せなかった理由がもう一つあるんです。あなたは先日仰いましたね。骸と同じ轍は踏まないと。…そうではないんです。骸は自分に万が一が起こった場合も考え、抜かりなく準備していました」
「?けど実際に黒曜は荒廃しただろ」
話がどう繋がるのか読めず、ちらり見た時計が示すのは正午前。もうこの部屋に入ってから小一時間は経っている。六道骸は未だ客間で茶をしばいて居るのだろうが、そろそろ痺れを切らしているのではなかろうか。あの男が敷地内に居ると思うとどうにも落ち着かぬ。
「私にも何が何だか…だから分かる範囲での説明になりますが」
曖昧な前置きをしてルイは更に続く長い話を始めた。