embrace
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「ほぉ、お前もついに祝言か」
「へへっそうなんすよ!母ちゃんが喜んで喜んで手ぇ付けらんなくて…んなに嬉しい事すかね」
梅雨のじめじめ湿った庭先で、門番二人がぺちゃくちゃお喋りに興じていた。最近の並盛組はひとときの忙しなさも過ぎ去りすっかりかつての平常を取り戻している。最初の方は週に一度自ら黒曜に出向き再興に奔走していた雲雀も、今や使いを遣るだけで直接顔を出す事は無くなっていた。
「長男坊が早々に片付いて親御さんも安心してるんだろう。まぁ色々あるだろうが上手くやれよ。最近の女は気性が荒いようだから」
門番が庭の向こうの屋敷に目を遣れば、米粒程の大きさで我らが組長が見える。縁側で妻の太股を枕に寝転がり、手にした玩具の風車にふぅと息を吹き掛けくるくる回しては彼女を笑わせている。異国育ちのルイにはきっと珍しい物なのだろう。
「奥様はえらく丸くなられたな。別人のようだ」
「俺も嫁さんの機嫌は上手く取らにゃあ…流石に包丁は投げられなくねぇや」
苦笑し合う門番らの会話など他所に、すっかり馴染んだ夫婦二人は季節の移ろいに身を寄せ合い、流れる日々を穏やかに過ごしていた。
そんな折だった。門番の背後より僅かの気配も感じさせず、突如の不吉が届いたのは。
「ちょっと失礼」
ビクリと身を強ばらせた二人が振り向いた先には一人の男。柔和な声だった。
「組長さんに会いに来ました。通して下さいますね?」
不気味な真紅と幽玄なる蒼の両眼。穏やかな笑みを浮かべる長身痩躯の佇みしあまりに麗らかなその様、下界に堕とされた天上の生物の如し。門番は動けなかった。勝手に隣をすり抜けられ敷地への侵入を許しても尚、六の字の刻印されし紅の瞳が放つ妖しき眼光に精神を囚えられ呼吸すらままならなかったのだ。
悪魔ですら道を譲る黒曜のかつての支配者、六道骸の来訪だった。
「…来た」
一言呟いた雲雀が俊敏な動作で身を起こしたのとトンファーを投げ付けたのはほぼ同時。ルイが突然の挙動に驚く間も無く、クフフ、不気味な笑いが響く。襲い掛かった鈍色の獲物を軽く避け近付いて来る姿にルイは息を呑んだ。
「むく…ろ…!?」
目を見張るルイに一つ微笑みを返し雲雀に向き直ると骸は歌うように言葉を紡いだ。
「知らぬ間に黒曜が随分世話になったようで…。どうもありがとうございます。借りは倍にしてお返ししますよ」
物柔らかな骸がとは対極に、雲雀は全身から殺気を放出させている。
「残念だな。まさか生き返るとはね。君なんかずっと情けなく寝てりゃ良かったのに」
自分の一歩手前に立つ夫の身を切る覇気に気圧されルイは口を挟む事も出来ずただ二人を交互に眺めるばかり。骸が、数年寝たきりで回復はほぼ絶望的だと思われた骸が、今目の前に。その堂々とした佇まいたるやルイの知る元気だった過去の彼と何一つ変わらない。皆が願い続けた奇跡が起こったと言うのか。
今すぐ彼に駆け寄りどれ程心配をしたのかそれより体は大丈夫なのかと喚きたかったが、如何せん立場が立場。対峙する男達にこれから勃発するかも知れぬ諍いを予兆し、緊迫した面持ちで成り行きを見守るしか無かった。
「僕は愚かな君の尻拭いに奔走してたわけじゃない。貸しなど作った覚えは無いからさっさと出て行って二度と姿を見せるな」
吐き捨てられた言葉にも骸の底の読めぬ薄笑いは変わらない。
「分かっていますよ。ルイの為でしょう。正確に言うならば、ルイを得たい君の為だ」
「だったら?」
おろおろ視線を移ろわせるルイを落ち着かせるようにもう一度微笑んだ骸の口が告げた秘密の欠片。
「ルイを返して頂きたい。彼女は僕の婚約者だ」
「婚約者…?」
六道骸が目の前に立っている事実に雲雀はさほど驚きもしなかった。何故かなど愚問も甚だしい。あの男が人間らしく脆い終わり方など迎えるわけが無いのだ。彼は六道骸なのだから。必ずいつか目を醒まし再び対峙する日が来る、頭の片隅でずっとそう思っていた。
だがしかし婚約者とは。思考より先に妻を振り向けばルイは静かに佇んでいる。その表情からは何一つ読み取れない。焦れた雲雀がどういう事かと問いようやくこちらを見る。が、紡がれた言葉は雲雀を苛立たせるに充分だった。
「…すみません。少し骸と二人でお話させていただけませんか」
「ふざけるな」
自然と強まる語気に骸の薄笑いが忌々しく響く。
「おやおや。酷い物言いだ」
つかつか、長い脚が悠然と歩み寄って来る。
「この一年と少し、君がどのように扱われて来たのか大変分かりやすい。良く堪えましたねルイ。後始末は僕がします。さぁ、もう帰って来なさい」
骸の手がルイに差し出されたその瞬間雲雀の殺気が一点に凝縮され、対する骸の不気味な眼の六が禍々しく一の字を刻んだ。ギラリ凶悪に光る両者の武器が振り上がり虚空を切り裂くも獲物が交わる事はなかった。ルイの白い手が力無く間に割り込んだから。
「やめて…骸、私帰らない」
俯き告げるルイに骸の目が細まる。
「後始末は僕がすると言っています。君が恐れる事は何も無い」
「違うの。そうじゃなくて」
一度雲雀に目をやってから骸に向き直る。
「酷く扱われたりなんてしてない。ちゃんと大事にして貰えて…だから」
「無理をしなくて良いんですよ。この男に限ってそんな事有り得る筈が無い。それとも病み上がりの僕では彼に敵わないと思っているんですか?」
「違うってば!私、この人が本当に……。迎えに来てくれたのに勝手な事言ってごめんなさい。けど嘘なんて吐いてないから心配しないで」
一体何だと言うのだ。当事者ながらに蚊帳の外の雲雀は今や鬼の形相で二人の会話を聞いていた。
「黒曜には帰らない。ずっとこの人と居たいの。……あなたが、許して下さるなら…ですが」
おずおず見上げられ哀願のように袖を摘まれても、この意味不明な状況ですんなり了承など間抜けな事出来るか。荒い口調で説明しろと命令をする。骸がそれをどう捉えよう関係無い。はい、と静かに頷きがある。
「ただ骸の個人情報にも触れるもので…先に許可を得たいんです」
「こっちにとんだ隠し事しといてあいつの許可が必要?ふざけるのも大概に」
「お願い恭弥さん!隠してたのは謝ります。けどどうしても事情が—」
黙って二人の様子を眺めていた骸がここで小さく息を吐いた。
「…どうやら本気のようですね。僕は構いませんよ、全て話すと良い。…喉がカラカラだ。お茶頂いて来ますよ組長さん」
「勝手にすれば。茶飲んだらとっとと帰れ」
「いいえ、後程僕も君とサシで話したいのでね」
返事も聞かず骸は玄関へ歩き出した。流石に縁側から上がり込む程不躾では無いらしい。残り香に舌打っていると、ルイは、とりあえず座って下さいと縁側より続く雲雀の私室へと入って行く。
そうして雲雀は知らされる事となった。黒曜荒廃の裏側で起こっていた真実を。