embrace
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「大丈夫かい?」
一味をしょっぴき事後処理を済ませ、妻の元へ戻れたのは夜半過ぎだった。すぐにでも傍に寄り添ってあげたかったけれど、立場がそれを許さなかったから。
「すまなかったね」
柔らかな女の体を抱いてぬくい布団の中、昼の狂騒が嘘のような静けさ。感じるのは互いの呼吸と心臓の鼓動だけ。こうしてルイと何もせず布団にくるまれているのは少し不思議な感じがした。いつも事が済めばすぐに隣の私室へ戻っていたから。
大層怖かったろうに気丈にも負傷した組員の手当に尽力し、今気が抜けたように腕の中に居る彼女に何と言葉を掛けるのが正解なのか。
帰宅するなり目撃した光景、怒りに我を忘れ見せる必要の無い過剰な攻撃を加えてしまった。あの男は自業自得なのだけれど、事態が落ち着いた今となっては…
「僕が怖い?」
滑らかな頬を耳を撫でて、解かれた長い髪をゆるりと指先で遊ばせて。今酷く慎重になっているのはそれだけルイの心を失いたくないから。この所はやっと曲がりなりにも夫婦として悪くない雰囲気を感じていたのにこんな事で御破算になるなんて冗談ではない。
「御免なさい」
「ん?」
「あなたの声を聴き違えるなんて……夜も上手くやれずに、私…」
「…。何をこんな時に」
その時初めてルイがあの日の事を相当気に病んでいたのだと知った。それはそれこそこんな時にあるまじき事に雲雀に仄暗い悦びをもたらす。ルイが自分を思って心を痛める、その歓喜に高揚する無様な己に吐き気がした。打ち消すようにそっと背を撫ぜる。
「どちらも君が悪いんじゃないよ。もう寝ると良い」
「私、ちゃんとしますから。もうのこのこ出て行ったりしませんし、夜だってちゃんと…ちゃんと出来るように、」
「ちょっと」
切羽詰まった声色で袂に縋り付いて来る。どうしたのだ、この女らしくない。
「私、あなたが好きなんです。嫌いにならないで。お願い」
ぐずぐず鼻を鳴らし始めたルイに一体どうすれば良いものか。好き、とは。我が耳を疑ったが兎に角今の彼女は混乱しているようだ。当然だろう。
「それは落ち着いてからもう一度聞かせてくれ。君はちょっと動転してるんだ。当然さ。平穏に生きて来た女があんな目に遭ったら」
悪いが今後も無いとは言い切れないけど、と言う前に涙を一杯に溜めた瞳が見上げて来る。
「いいえ、いいえ——私多分以前にどこかで、きっとずっと昔に…同じような経験を」
「は?」
「思い出せないんです。頭に靄が掛かったみたいに。だけど私どうしてもそんな気がして」
すぐそこに有るのに、思い出せないの。両の手で顔を擦るルイをもう一度抱き締める。
「良いから寝な。眠って頭がすっきりすれば思い出すよ」
「けど、」
「寝ろ。今の君は恐怖でどうかしてるのさ。朝まで一緒に居るから、ほら、目閉じて」
「嫌、怖い」
鼻を啜って嫌、嫌とむずかる女の後頭部を押さえて無理矢理胸元にくっ付ける。何も見えぬ様に。そう、今は何も見なくて良いのだ。あまりに混乱した妻に困惑する己の顔も。ルイがこんな風になるとは思わなかった。自身の妻となったが故の恐怖に錯乱する彼女を見るのは雲雀にとって辛い事だった。
暫くして聴こえ出した小さな息の音。漸く深い眠りに入れたようだ。そっと体を離しその寝顔を伺えば未だ涙に濡れたままの睫毛が洋燈の灯に反射してきらり光る。
嫌いにならないで、なんて。
「……」
些細な苛立ちをぶつけてしまっただけの話だと思っていた。雲雀としては一日寝れば忘れてしまう程に深い意味など無かった。
…ああそうか。自分は仕事で忙しくしていても、ルイはこの広い屋敷に縛られ感情の切り替えもままならない生活をたった一人で。今回に限った事では無い。これまでだってずっと、ずっと…
静かに眠る彼女を胸に、初めて分かった気がした。別の人生を歩んで来た思考も立場も違う人間と所帯を持つという事。相手の心情を把握しようと努力しぶつかればすり合わせ、それを重ねて行く事でしか信頼も安寧も築かれはしない事を。
今までの自分はどうだったろう。好きだ好きだ欲しい欲しい、言動の根本がそればかりで愛しいルイを悲しませてばかりだったではないか。
「…笑ってよ、ルイ」
小さな背を撫で摩り、この女を護りたい。大事にしたい。たった一人の彼女の生涯の男として。そんな思いを噛み締めた。