embrace
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呆然とするルイに男は嫌らしい笑みを深めて声を発した。わざとらしく、ゆっくりと。
「ルイ、僕の奥さん。きっとどこかに隠れてると思っていたよ。怖がらないで、出~てお~いでぇぇ~~」
「……っ」
舌舐めずりをする男を目前にさぁぁっと全身の血の気が引いて行く。己の愚かしさに目眩がした。こんな子供騙しの声真似に踊らされてしまうなんて。
「甘い甘い。女だてらに医者だか何だか知らんが、あの野郎の女にしちゃあてんで警戒心が足らないねぇ、奥様?」
改めて聴かされると声質が全く違うではないか。雲雀のそれよりずっと野太く篭って品性に欠けていて…極限の緊迫感がルイの感覚を狂わせていたのだ。
迫り来る脅威にカチカチ、歯が鳴り出す。
「何が、したいんです…あなた方…」
震える唇から漏れるか細い声ににやにや笑う男がルイの細顎をくいと持ち上げると、触れられた肌が嫌悪にぞわりと粟立った。
「こちとらあんたの旦那様にゃ散々煮え湯飲まされててねぇ…真っ向からじゃ勝ち目がねぇから不在の間に人質捕りに来たってわけよ。中々良い機会に恵まれなかったが、道崩れなんて天もたまにゃあ良い仕事しやがるぜ」
しかしあんた、と生臭い口が眼前に近付き吐き気を催す。気持ちが悪い、離れて!心の叫びも虚しく突如ガッと肩口を掴まれて出てきたばかりの小部屋へ押し込まれた。のしかかって来る体、耳元に掛かる生ぬるく湿った吐息。
「噂通りのえらい別嬪じゃねぇか。これを毎晩愛でられるたぁつくづくあんたの旦那殺してやりたいぜ」
「、離して…」
「連れ帰るだけの予定だったが気が変わっちまった。外は奴らに任せるとして…」
襟元が襦袢ごと力任せに剥かれ白い乳房が衝撃にふるりと揺れる。この地獄絵図の中で何を考えているのだこの男は。基地外の所業だ。
「…っ!」
「おーっと、細っこい癖に案外良い乳してんじゃねぇか。暴れんなよ。抵抗したら…」
血に塗れた刀のギラリと光る切っ先、そこを頬にあてがわれてルイはもう息も出来やしない。頭一個分向こうから徐々に迫ってくる醜悪な顔、粗暴な手。
嫌。嫌…!この体はあの人のものなのに、あの人だけの…
壮絶な恐怖、生への執着、妻としての操や矜恃、様々な思いは過ぎったかも知れない。しかしその瞬間そんなものを軽く凌駕した、雲雀以外を決して許せぬ雌の本能が激しい拒絶に唸りを上げた。意志とは無関係に振り上がった拳が勢い良く男の頬を打つ。べちり、耳に張り付く生々しい音。
「…!こんのクソアマぁッ…」
やってしまった…!思った時にはもう遅い。怒りに充血した目で構えられた刀が即座に振りかざされる。
こ ろ さ れ る
瞬間、降って来る刀を酷く緩慢に捉えた頭の片隅に、鋭い目をした男の端麗な姿が浮かび上がった。
「っぁ、」
喉の奥から漏れる心からの声。助けて、助けて
「恭弥さぁぁぁぁん!!!」
ッゴッ!!!
鈍い音と共にぐらり傾ぐ男の体。その手から零れ落ちた刀が力無く畳に転がる。
何が、起こった…?
パッと顔を上げればそこには。
「あ……」
その時の感情をどう表現すれば良いのか。
今度こそ涙がせり上がって来る。
鈍色に光る獲物を腕に、最高の頃合いでの夫の帰還だった。
何を言う前に響き始める残虐な音。一度、二度、三度…舞う血飛沫。
やっと帰って来た。助かった、怖かった、良かった…安堵に飽和した思い、しかし…
ぞくり。
最早ピクリとも動かぬ男が滅多打ちにされる地獄絵図に不意に何かが胸に去来する。不穏で薄ら寒い何か、既視感のような物が…
その瞬間ルイの脳は周囲の全てを遮断し、その“何か ”を求めて思考を彷徨わせた。しかし思い出せない。ただこれだけは明白だ。自分はこの戦慄すべき光景を知っている。経験している。
いつ?どこで?どのような状況で──?
生唾が湧いてきて心臓がバクバクと激しく鳴り出す。靄がかかったように先に進めぬ記憶に取り込まれそうになった時だった。「奥様!恭さん!」誰かが飛び込んで来てルイの意識は引き戻された。草壁だ。
眼前の惨事をルイに見せまいと立ち塞る草壁を振り切って無言で殴打を続ける雲雀の背にしがみつく。
「やめて…!死んでしまいます」
振り返った雲雀の狂気を孕んだ瞳がルイを映し、ゆっくりゆっくりと光が戻って来る。下げられる両の腕。「…すまなかったね」本物の彼の低く落ち着いた声に、はだけられたままの胸元を整えてくれる優しい手に、ぽろり一筋の涙が零れた。