embrace
name change
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ゆっくりと覆い被さって来る身体。寝衣の黒い着流しが纏うすっかり馴染んだ香の芳しさ。
首筋を乳房を柔く食まれ、襦袢を緩慢に払った手に背を尻を撫ぜ上げられて、決して人目に晒さぬ所までくまなく愛撫されて。
その度にぴくりと全身が震える。この人に触れられると何処も彼処もが擽ったくて心地好い。
けれど…
「相変わらずだね、君は」
目の前の人は落胆したように低く呟く。
何となく良い雰囲気で帰宅してすぐに湯浴みをしてそのままの流れでこうして布団に入ったから、今宵こそはと期待させてしまっていたのだろう。なのにルイの身体はいつもと何ら代わり映えなく。
濡れないのだ。
陰鬱な静寂が部屋を包む。が、喉が詰まる程消沈したのはルイとて同じ。
どれだけ懇ろに優しく触れられても熱の一つも孕まぬ白いままの肌。どうして自分の身体は彼を気持ち良く受け入れようとしてくれないのだろう。どこかおかしいのではなかろうか。
「…正直に言って良いよ。これをするのは嫌いかい?」
こう聞かれるのももう幾度目、既に忌々しい慣例のようになりつつある。違いますと首を横に振る所まで合わせて。
夏頃までは確かにそう、嫌だった。けれど徐々に…そして今日は尚更に、こうして素肌に感じる温かさを快いと感じる。ただ官能のみが伴わないのだ。その感覚がどうしても分からない。まるで肌の色と同様、生まれつきすっぽり欠乏しているかのように。
「正確に聞くよ。僕とこれをするのは嫌?」
「そんな事…」
落胆の分だけ普段より責められているように聞こえて──実際そうなのだろう。平常ならば仕方ないなの溜息で済ませ、どうにかやんわりそこを押し広げ入って来るのに、今日はさっさと身体を起こすと乱れた寝衣を整え始めてしまう。
「あの、私」
「もう良い」
明日の朝から京に発つ。暫し空けるよ。振り向きもせず言い残して出て行く雲雀。朝食の有無など尋ねる時間すら与えてくれずに。
「あ……」
どくん、どくん。遠ざかる足音の分だけ胸の音が大きく耳に反響する。みるみるうちに手足が冷え先端が痺れ、目の前が白く混濁して行く。気分が悪くなって来た。吐きそうだ。
嫌われて、しまった…?
それは心に一粒落ち広がった波紋が全身を蝕んで行くが如くルイ自身驚く程の動揺を齎しては消える事無く、いつしか座っている力すら奪い去りぐたりと空っぽの布団に倒れ込む。
喘ぐような苦しい息の中すとんと胸に落ちるように理解してしまった。
いつの間にか自分は彼に、女として生まれて初めての感情を持ってしまっていたのだと。
「……」
それはもっと甘いものだと思っていた。こんな風に気付きたくなどなかった。
ぎゅ、血が滲むまで噛み締めた唇よりもずっと痛い心を抱えて自分へ問い掛けても答えは返って来ない。
どうして私の身体は、心のままにあの人に応えてはくれないの。
雲雀が出立してから一夜、また一夜と酷い気分を引きずったままに日々は過ぎて、既に二週程経ってしまった。
今日も帰っては来ないのだろうか。見上げれば青い空が広がっているのに心は冷え込んだ気温を取り込んだように寒々しい。
組員達は誰も彼の帰還の目処は不明だと言う。本来ならばぼちぼちこちらに着いている頃だったが、どうも向かった先の方で古くなった路面が道崩れを起こし足留めを食らっているようだと。
喋り相手である草壁も雲雀に帯同しておりルイは一人静かに勉学に励みながら彼らの帰宅を待つ他無く、気は滅入っていくばかりで仕方ない。
此処の男達は何故か自分が話し掛けても皆引き攣った笑みを象ってそそくさと去って行くから。
いつぞやの包丁の件が今の今まで尾を引いているとはついぞ思わぬルイはそんな組員達の態度にも意気消沈しつつ、兎にも角にもろくすっぽ口も開けぬ孤独の時を耐えていたのだ。
「このまま帰って来ないなんて…ありませんよね」
零した言葉は白い息に溶けて、冬の澄んだ空気へ儚く消えて行った。
「来たぞぉぉぉーーー!!」
それは突然の怒号から始まった。
縁側の向こうから響いて来た野太い声に身を竦めるより早く血相を変えた組員の一人が部屋へ飛び込んで来る。立ち尽くすルイを視認するなり、室内の隅に設置されている本棚を横に移動させた。出て来たのは隠し部屋。
ドクドクドク…呆然と見つめていたルイの心臓が事態を察知して早鐘のように鳴り出す。これは──敵襲。
落ち着け、落ち着いて考えろ。来たばかりの頃草壁に口を酸っぱくして言われていた言葉を回らぬ頭で必死に思い返す。
“ 屋敷には避難用の隠し部屋が幾つか有りまして、奥様のお部屋の本棚はそこへ続く一つ。有事の際には速やかに手近なそこへ退避し決して物音を立ててはなりませんよ”
「奥様!早く!隠れて下さい!!」
鬼の形相で腕を引かれ力任せに薄暗い秘密の小部屋へ押し込まれる。
「組長の帰還まであなたは俺達が必ず守ります!絶対に出て来てはなりませんよ…どうかお気を確かに!では!」
言うなり開かれていた視界が閉ざされてしまう。これから一体どうなってしまうのだろう。
ガシャンッどんっ!であえであえ!ぐぁっ…ドッガッ!!
遠くから耳に届くは阿鼻叫喚の物音に罵声、断末魔、間近を走り抜ける荒々しい音。閉所故か何もかもが低くくぐもって聴こえて来て不安を煽る。
どれくらい経ったのか、ルイは一人光の差さぬその場所で息を潜め、恐ろしい時が過ぎるのをひたすら待った。心拍は治まらず流れる冷や汗がしゃがみ込んだ膝に垂れ落ちるのをまんじりともせず見つめるばかり。
恐怖で気が違いそうだ。ここに隠れて居れば安全?それよりも皆大丈夫だろうか。どうか誰もが無事で居られるよう祈りを込めていたその時だった。
ザッザッ…畳を擦る足音。誰か、入って来た…
大丈夫、大丈夫…見つかる筈が無い。息が止まりそうな瞬間を堪えて居たら。
「…ルイ?居るかい?もう大丈夫だから出ておいで」
いつもより低く響く待ち侘びた人の声に、安堵に涙が零れそうになった。
勢い良く立ち上がり目前を塞いでいた棚をずらすと、そこには──
「ほぉぉ、成程成程。こんな所に隠し部屋がねぇ」
返り血に染まった見知らぬ男が下卑た笑みを浮かべ立っていた。