Ⅰ 白の教会
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あれから何年経ったのか。
024には、もうよく分からなかった。
朝になる。
白い天井を見上げて目を覚ます。
決められた時間に扉が開いて、決められた時間に食事を与えられる。
名前ではなく番号を呼ばれ、検査室へ向かう。
血を採られる。
薬を飲まされる。
身体中に器具を取り付けられる。
神の力を近づけられる。
反応を記録される。
失敗すれば、また次。
成功しても、また次。
痛くても。
苦しくても。
泣いても。
何も変わらなかった。
「024。次だ」
その声に従って立ち上がる。
それだけの毎日。
季節を知るものは、研究所の中にはほとんどなかった。
窓はある。
けれど、そこから見える景色はいつも同じだった。
青い空。
遠くに見える木々。
穏やかに流れていく雲。
024は幼い頃から、何度もその景色を眺めてきた。
045から外の話を聞くたびに、あの向こうには何があるのだろうと思った。
窓に近づいて、そっと手を触れたこともある。
けれど、窓は開かなかった。
鍵がかかっているのだろうと、ずっと思っていた。
研究員に見つかれば叱られるから、長く眺めていることもできない。
それでも時折、廊下を通るとき。
024はほんの少しだけ歩みを緩めて、その向こうを見た。
いつか。
あそこへ行ける日が来るのだろうか。
そんなことを考えながら。
だから。
春が何回来たのかも。
夏が何度過ぎたのかも。
024は知らない。
ただ、身体だけが大きくなっていった。
───
『024』
検査を終えて部屋へ戻ろうとしていたとき、背後から研究員に呼び止められた。
024は振り返った。
「はい」
『明日から検査項目を一部変更する』
「……はい」
『成長期が終了したと判断された。身体データも成人基準へ移行する』
意味がよく分からなくて、024は少しだけ首を傾げた。
研究員は手元の記録用紙を確認する。
そして、何でもないことのように言った。
『今日で十八歳だからな』
「…………」
十八歳。
聞いたことのある数字だった。
もちろん、数字そのものは知っている。
けれど。
それが自分に結びつくまで、少し時間がかかった。
「……私が?」
研究員が顔を上げる。
『そうだ』
それだけだった。
おめでとう、なんて言葉はない。
生まれた日を祝う習慣など、この場所には存在しない。
研究員は記録用紙へ何かを書き込み、そのまま廊下の向こうへ歩いていった。
024だけが、その場に残された。
十八歳。
自分がいつ生まれたのか、024は知らない。
父親も。
母親も。
どこから来たのかも知らない。
覚えている一番古い記憶には、もう白い壁があった。
白い服を着た人間がいて。
首には番号があって。
自分は最初から、024だった。
だから十八歳と言われても、不思議な感じしかしなかった。
十八年、生きた。
──本当に?
そんな実感すらなかった。
ただ。
昔より手が大きくなった。
昔は届かなかった棚に、今は簡単に手が届く。
検査台へ上がるために抱き上げられることもなくなった。
泣きながら注射から逃げていた子どもたちも、いつしか泣かなくなった。
そして。
いなくなった番号も、たくさんあった。
───
『十八?』
夜。
消灯前のわずかな時間。
024がそのことを話すと、045は目を丸くした。
「うん」
『今日?』
「研究員が言ってた」
『……今日、024の誕生日なの?』
「たぶん」
『たぶんって』
045が困ったように笑った。
その顔を見て、024も少しだけ笑う。
「だって、知らなかったから」
『自分の誕生日なのに?』
「045は知ってるの?」
そう聞くと。
『……知らない』
二人は顔を見合わせた。
それから、同時に小さく笑った。
おかしな話だった。
自分たちが何歳なのかは研究員が知っている。
生まれた日は書類の中にある。
けれど、自分たちは知らない。
『十八かあ』
045が呟いた。
『大人だね』
「……そうなのかな」
『外ではそうなんじゃない?』
外。
その言葉に、024は045を見る。
045は昔から、外の話をするのが好きだった。
大きな街。
市場。
海。
祭り。
雪。
夕焼け。
家族。
学校。
ここには存在しないものを、まるで自分で見てきたみたいに話す。
『十八歳だったらさ』
045が壁にもたれながら言った。
『外だったら、何してるんだろうね』
024は考えてみた。
けれど、何も浮かばない。
「……検査?」
『それはここでしょ』
「じゃあ、採血」
『だからここ!』
045が吹き出した。
024も笑った。
小さな声で。
研究員に聞こえないように。
『学校とか行ってるのかな』
「十八歳でも?」
『たぶん。働いてる人もいるかも』
「働くって何するの?」
『パン屋とか』
「パン作るの?」
『そう』
「毎日?」
『毎日』
024は少し考えて。
「……それも同じことの繰り返しじゃない?」
045が一瞬黙った。
それから。
『違うよ』
静かに言った。
「何が?」
『自分で選べるから』
024は瞬きをした。
『今日はパンを作るとか。今日は休むとか。どこに行くとか。誰と一緒にいるとか』
045は天井を見上げた。
『外は、自分で決められるんだって』
自分で。
決める。
024には、それがどんな感覚なのか分からなかった。
朝起きる時間も。
食べるものも。
着るものも。
眠る時間も。
どの検査を受けるのかも。
痛みに耐えるのかどうかすら。
自分で決めたことなど、一度もなかった。
「……じゃあ」
024は小さく尋ねた。
「045は、外に出たら何したい?」
『私?』
「うん」
045はしばらく考えていた。
やがて。
『海が見たい』
そう答えた。
「海?」
024は首を傾げた。
「青いんでしょ?」
『そうだよ』
「毎日?」
『雨の日は灰色だったり、夕方は赤くなったりするらしいよ』
「……変なの」
『でしょ?』
045が笑う。
『だからまた見てみたい』
そして045は、024を見る。
『024は?』
「私?」
『外に出たら、何したい?』
突然そう聞かれても。
分からなかった。
したいこと。
欲しいもの。
行きたい場所。
そんなものを考えたことがなかった。
しばらく黙ったあと。
024は答えた。
「……045と一緒なら、なんでもいい」
045の目が少しだけ見開かれた。
『何それ』
「だって知らないから」
『もっとあるでしょ』
「ない」
『食べたいものとか』
「045が選んだのでいい」
『行きたいところ』
「045が行くところ」
『もう』
呆れたように笑ってから。
045は、少しだけ寂しそうな顔をした。
『じゃあ、一緒に空を見よう』
045が小指を差し出した。
幼い頃から何度もした仕草だった。
024も小指を伸ばす。
絡める。
「いつかね」
045が言った。
『いつか、ここから出よう』
その言葉を。
十八歳になった024は、もう子どもの頃のように無邪気には信じられなかった。
ここから出ていった子どもを、一人も知らない。
いなくなる番号はあっても。
帰ってきた番号はない。
出口がどこにあるのかすら知らない。
それでも。
「……うん」
024は答えた。
信じたかった。
十八年。
白い壁の中だけで生きてきた。
自分の名前すら知らない。
世界がどれほど広いのかも知らない。
空の色さえ、本当には知らない。
それでも024の中には、ずっと消えずに残っているものがあった。
──外へ出たい。
それがいつ生まれた願いなのかは分からない。
もしかすると。
045が外の世界を教えてくれた、あの日からだったのかもしれない。
消灯を知らせる音が鳴った。
二人は慌てて手を離す。
照明が落ちる。
暗闇の中。
024は目を閉じた。
十八歳になった。
けれど明日もきっと。
同じ時間に扉が開く。
同じ番号で呼ばれる。
同じ廊下を歩き。
同じ検査台へ横になる。
何年も。
何年も。
そうしてきたように。
024には、もうよく分からなかった。
朝になる。
白い天井を見上げて目を覚ます。
決められた時間に扉が開いて、決められた時間に食事を与えられる。
名前ではなく番号を呼ばれ、検査室へ向かう。
血を採られる。
薬を飲まされる。
身体中に器具を取り付けられる。
神の力を近づけられる。
反応を記録される。
失敗すれば、また次。
成功しても、また次。
痛くても。
苦しくても。
泣いても。
何も変わらなかった。
「024。次だ」
その声に従って立ち上がる。
それだけの毎日。
季節を知るものは、研究所の中にはほとんどなかった。
窓はある。
けれど、そこから見える景色はいつも同じだった。
青い空。
遠くに見える木々。
穏やかに流れていく雲。
024は幼い頃から、何度もその景色を眺めてきた。
045から外の話を聞くたびに、あの向こうには何があるのだろうと思った。
窓に近づいて、そっと手を触れたこともある。
けれど、窓は開かなかった。
鍵がかかっているのだろうと、ずっと思っていた。
研究員に見つかれば叱られるから、長く眺めていることもできない。
それでも時折、廊下を通るとき。
024はほんの少しだけ歩みを緩めて、その向こうを見た。
いつか。
あそこへ行ける日が来るのだろうか。
そんなことを考えながら。
だから。
春が何回来たのかも。
夏が何度過ぎたのかも。
024は知らない。
ただ、身体だけが大きくなっていった。
───
『024』
検査を終えて部屋へ戻ろうとしていたとき、背後から研究員に呼び止められた。
024は振り返った。
「はい」
『明日から検査項目を一部変更する』
「……はい」
『成長期が終了したと判断された。身体データも成人基準へ移行する』
意味がよく分からなくて、024は少しだけ首を傾げた。
研究員は手元の記録用紙を確認する。
そして、何でもないことのように言った。
『今日で十八歳だからな』
「…………」
十八歳。
聞いたことのある数字だった。
もちろん、数字そのものは知っている。
けれど。
それが自分に結びつくまで、少し時間がかかった。
「……私が?」
研究員が顔を上げる。
『そうだ』
それだけだった。
おめでとう、なんて言葉はない。
生まれた日を祝う習慣など、この場所には存在しない。
研究員は記録用紙へ何かを書き込み、そのまま廊下の向こうへ歩いていった。
024だけが、その場に残された。
十八歳。
自分がいつ生まれたのか、024は知らない。
父親も。
母親も。
どこから来たのかも知らない。
覚えている一番古い記憶には、もう白い壁があった。
白い服を着た人間がいて。
首には番号があって。
自分は最初から、024だった。
だから十八歳と言われても、不思議な感じしかしなかった。
十八年、生きた。
──本当に?
そんな実感すらなかった。
ただ。
昔より手が大きくなった。
昔は届かなかった棚に、今は簡単に手が届く。
検査台へ上がるために抱き上げられることもなくなった。
泣きながら注射から逃げていた子どもたちも、いつしか泣かなくなった。
そして。
いなくなった番号も、たくさんあった。
───
『十八?』
夜。
消灯前のわずかな時間。
024がそのことを話すと、045は目を丸くした。
「うん」
『今日?』
「研究員が言ってた」
『……今日、024の誕生日なの?』
「たぶん」
『たぶんって』
045が困ったように笑った。
その顔を見て、024も少しだけ笑う。
「だって、知らなかったから」
『自分の誕生日なのに?』
「045は知ってるの?」
そう聞くと。
『……知らない』
二人は顔を見合わせた。
それから、同時に小さく笑った。
おかしな話だった。
自分たちが何歳なのかは研究員が知っている。
生まれた日は書類の中にある。
けれど、自分たちは知らない。
『十八かあ』
045が呟いた。
『大人だね』
「……そうなのかな」
『外ではそうなんじゃない?』
外。
その言葉に、024は045を見る。
045は昔から、外の話をするのが好きだった。
大きな街。
市場。
海。
祭り。
雪。
夕焼け。
家族。
学校。
ここには存在しないものを、まるで自分で見てきたみたいに話す。
『十八歳だったらさ』
045が壁にもたれながら言った。
『外だったら、何してるんだろうね』
024は考えてみた。
けれど、何も浮かばない。
「……検査?」
『それはここでしょ』
「じゃあ、採血」
『だからここ!』
045が吹き出した。
024も笑った。
小さな声で。
研究員に聞こえないように。
『学校とか行ってるのかな』
「十八歳でも?」
『たぶん。働いてる人もいるかも』
「働くって何するの?」
『パン屋とか』
「パン作るの?」
『そう』
「毎日?」
『毎日』
024は少し考えて。
「……それも同じことの繰り返しじゃない?」
045が一瞬黙った。
それから。
『違うよ』
静かに言った。
「何が?」
『自分で選べるから』
024は瞬きをした。
『今日はパンを作るとか。今日は休むとか。どこに行くとか。誰と一緒にいるとか』
045は天井を見上げた。
『外は、自分で決められるんだって』
自分で。
決める。
024には、それがどんな感覚なのか分からなかった。
朝起きる時間も。
食べるものも。
着るものも。
眠る時間も。
どの検査を受けるのかも。
痛みに耐えるのかどうかすら。
自分で決めたことなど、一度もなかった。
「……じゃあ」
024は小さく尋ねた。
「045は、外に出たら何したい?」
『私?』
「うん」
045はしばらく考えていた。
やがて。
『海が見たい』
そう答えた。
「海?」
024は首を傾げた。
「青いんでしょ?」
『そうだよ』
「毎日?」
『雨の日は灰色だったり、夕方は赤くなったりするらしいよ』
「……変なの」
『でしょ?』
045が笑う。
『だからまた見てみたい』
そして045は、024を見る。
『024は?』
「私?」
『外に出たら、何したい?』
突然そう聞かれても。
分からなかった。
したいこと。
欲しいもの。
行きたい場所。
そんなものを考えたことがなかった。
しばらく黙ったあと。
024は答えた。
「……045と一緒なら、なんでもいい」
045の目が少しだけ見開かれた。
『何それ』
「だって知らないから」
『もっとあるでしょ』
「ない」
『食べたいものとか』
「045が選んだのでいい」
『行きたいところ』
「045が行くところ」
『もう』
呆れたように笑ってから。
045は、少しだけ寂しそうな顔をした。
『じゃあ、一緒に空を見よう』
045が小指を差し出した。
幼い頃から何度もした仕草だった。
024も小指を伸ばす。
絡める。
「いつかね」
045が言った。
『いつか、ここから出よう』
その言葉を。
十八歳になった024は、もう子どもの頃のように無邪気には信じられなかった。
ここから出ていった子どもを、一人も知らない。
いなくなる番号はあっても。
帰ってきた番号はない。
出口がどこにあるのかすら知らない。
それでも。
「……うん」
024は答えた。
信じたかった。
十八年。
白い壁の中だけで生きてきた。
自分の名前すら知らない。
世界がどれほど広いのかも知らない。
空の色さえ、本当には知らない。
それでも024の中には、ずっと消えずに残っているものがあった。
──外へ出たい。
それがいつ生まれた願いなのかは分からない。
もしかすると。
045が外の世界を教えてくれた、あの日からだったのかもしれない。
消灯を知らせる音が鳴った。
二人は慌てて手を離す。
照明が落ちる。
暗闇の中。
024は目を閉じた。
十八歳になった。
けれど明日もきっと。
同じ時間に扉が開く。
同じ番号で呼ばれる。
同じ廊下を歩き。
同じ検査台へ横になる。
何年も。
何年も。
そうしてきたように。