Ⅰ 白の教会
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白の教会へ連れてこられた子どもたちは、最初に記憶を消された。
自分の名前も、家族の顔も、どこで暮らしていたのかも。
何も答えられなくなった子どもたちに、研究員は名前の代わりに番号を与えた。
彼女は──024。
生まれて間もなく教会へ預けられた彼女には、そもそも消されるほどの外の記憶すらなかった。
母親の顔も知らない。
父親の顔も知らない。
家というものも、家族というものも知らない。
024にとって世界とは、この白い壁に囲まれた施設の中だけだった。
毎日のように行われるのは、神の力への適合実験。
身体に埋め込む。
触れさせる。
体内へ取り込ませる。
方法を変え、対象を変え、何度も何度も繰り返す。
けれど──誰も適合しない。
拒絶反応に苦しむ子もいた。
実験に耐えられず、そのまま戻ってこなかった子もいた。
024自身も幼い頃から何度となく実験を受けてきた。
それでも、一度として神の力が彼女に応えることはなかった。
そんな場所で、実験体の子どもたちはいつしか家族のようになっていった。
その中でも024が特に慕っていたのが、二つ年上の045だった。
024が三歳の頃、五歳だった045が白の教会へやってきた。
045にも、ここへ来る前の名前はない。
消されてしまった。
けれど、不完全だったのだろうか。
045の中には、ときどき外の世界の記憶が浮かんだ。
青い空。
草の匂い。
街を歩く人々。
母親に握ってもらった手。
父親の声。
そして──両親を奪った怪物。
実験を重ねるたび、それらは少しずつ霞んでいった。
だから045は、まだ覚えているうちに024へたくさんの話をした。
外の世界の話を。
024が、一度も見たことのない世界の話を。
───
研究所の消灯後。
024はベッドの端に座っていた。
今日も適合実験は失敗だった。
首筋に刻まれた「024」の数字に指を触れる。
隣のベッドから、小さな声がした。
『024』
「なに?」
『海って、覚えてる?』
024は首を傾げた。
「……私、見たことないよ」
『あ、そっか』
045が小さく笑う。
『海ってね、すっごく大きいんだよ!』
「どれくらい?」
『うーん……』
045はしばらく考え込んだ。
『向こう側が見えないくらい!』
「壁がないの?」
『ないよ』
「じゃあ、どこまで続いてるの?」
『ずっと向こうまで!』
024には想像できなかった。
壁のない場所。
どこまでも続いている水。
「……怖くないの?」
『最初はちょっと怖い。でも、きれいだよ』
「何色?」
『青』
そこまで答えて、045が黙った。
『……たぶん』
「たぶん?」
『前はちゃんと覚えてたんだけどな〜』
045は困ったように笑った。
『最近、分かんなくなるんだ。海がどんな色だったかとか。お母さんの顔とか……』
024は黙って045を見る。
『実験した後って、特に』
045は自分の頭に触れた。
『ここから、少しずつなくなってくみたい』
024には、失うという感覚がよく分からなかった。
自分には最初から何もないから。
それでも、045が悲しんでいることだけは分かった。
「海は青だよ」
045が顔を上げる。
「045が教えてくれた」
『……うん』
「向こう側が見えないくらい大きくて、壁がなくて、ずっと向こうまで続いてる」
さっき聞いたばかりの言葉を、024は一つずつ返した。
「だから、045が忘れても私が覚えてる」
しばらく045は何も言わなかった。
やがて、小さく笑った。
『じゃあ、お願い』
「うん」
『私が忘れたら、また教えて!』
「何回でも教える」
その夜も、二人は窓を見た。
窓の向こうには、星の浮かぶ夜空が広がっている。
024はそれを見上げながら尋ねた。
「外の空も、あんな感じ?」
『うん。でも、もっと大きいよ』
「窓より?」
『ずっと大きい。だって外に出たら、窓の端がないから』
024には、それも想像できなかった。
だからこそ、見てみたかった。
「いつか、見られるかな」
『見ようよ』
045が言った。
『二人でここから出て、本物の空を見るの』
「……二人で?」
『うん。海も見よう。街にも行こう。それから──』
「夕焼けも?」
045は笑った。
『夕焼けも』
024も少しだけ笑った。
けれど、ふと首筋に触れる。
指先に「024」の刻印が触れた。
「でも……外に出ても、これがある」
『うん』
「これを見たら、みんな分かっちゃうよ。私たちがここにいたって」
045は少し黙った。
そして、静かに言った。
『もしさ』
「うん?」
『もし誰か一人だけ、外へ出られたら』
024の顔が曇った。
「一人だけなんて嫌だ」
『私だって嫌だよ!』
045はすぐに答えた。
『二人で出たい。みんなで出たい』
そして、ベッドの隙間から手を伸ばした。
『でも……もし、どうしても一人しか出られなかったら』
024はその手を見る。
『その子が、みんなの分まで生きよう』
「……みんなの分まで?」
『うん。海を見て、空を見て、おいしいものをいっぱい食べて』
「それで?」
『いっぱい笑う』
024はしばらく考えてから、その手を握った。
「じゃあ、045が外に出たら?」
『024の分まで見るよ』
「私が出たら?」
『私の分まで見て』
「……分かった」
小さな手と手が、ベッドの間で強く結ばれる。
『でも、やっぱり二人で出よう』
「うん」
『それで一緒に夕焼けを見る』
「約束」
窓の向こうには、満天の星が瞬いていた。
自分の名前も、家族の顔も、どこで暮らしていたのかも。
何も答えられなくなった子どもたちに、研究員は名前の代わりに番号を与えた。
彼女は──024。
生まれて間もなく教会へ預けられた彼女には、そもそも消されるほどの外の記憶すらなかった。
母親の顔も知らない。
父親の顔も知らない。
家というものも、家族というものも知らない。
024にとって世界とは、この白い壁に囲まれた施設の中だけだった。
毎日のように行われるのは、神の力への適合実験。
身体に埋め込む。
触れさせる。
体内へ取り込ませる。
方法を変え、対象を変え、何度も何度も繰り返す。
けれど──誰も適合しない。
拒絶反応に苦しむ子もいた。
実験に耐えられず、そのまま戻ってこなかった子もいた。
024自身も幼い頃から何度となく実験を受けてきた。
それでも、一度として神の力が彼女に応えることはなかった。
そんな場所で、実験体の子どもたちはいつしか家族のようになっていった。
その中でも024が特に慕っていたのが、二つ年上の045だった。
024が三歳の頃、五歳だった045が白の教会へやってきた。
045にも、ここへ来る前の名前はない。
消されてしまった。
けれど、不完全だったのだろうか。
045の中には、ときどき外の世界の記憶が浮かんだ。
青い空。
草の匂い。
街を歩く人々。
母親に握ってもらった手。
父親の声。
そして──両親を奪った怪物。
実験を重ねるたび、それらは少しずつ霞んでいった。
だから045は、まだ覚えているうちに024へたくさんの話をした。
外の世界の話を。
024が、一度も見たことのない世界の話を。
───
研究所の消灯後。
024はベッドの端に座っていた。
今日も適合実験は失敗だった。
首筋に刻まれた「024」の数字に指を触れる。
隣のベッドから、小さな声がした。
『024』
「なに?」
『海って、覚えてる?』
024は首を傾げた。
「……私、見たことないよ」
『あ、そっか』
045が小さく笑う。
『海ってね、すっごく大きいんだよ!』
「どれくらい?」
『うーん……』
045はしばらく考え込んだ。
『向こう側が見えないくらい!』
「壁がないの?」
『ないよ』
「じゃあ、どこまで続いてるの?」
『ずっと向こうまで!』
024には想像できなかった。
壁のない場所。
どこまでも続いている水。
「……怖くないの?」
『最初はちょっと怖い。でも、きれいだよ』
「何色?」
『青』
そこまで答えて、045が黙った。
『……たぶん』
「たぶん?」
『前はちゃんと覚えてたんだけどな〜』
045は困ったように笑った。
『最近、分かんなくなるんだ。海がどんな色だったかとか。お母さんの顔とか……』
024は黙って045を見る。
『実験した後って、特に』
045は自分の頭に触れた。
『ここから、少しずつなくなってくみたい』
024には、失うという感覚がよく分からなかった。
自分には最初から何もないから。
それでも、045が悲しんでいることだけは分かった。
「海は青だよ」
045が顔を上げる。
「045が教えてくれた」
『……うん』
「向こう側が見えないくらい大きくて、壁がなくて、ずっと向こうまで続いてる」
さっき聞いたばかりの言葉を、024は一つずつ返した。
「だから、045が忘れても私が覚えてる」
しばらく045は何も言わなかった。
やがて、小さく笑った。
『じゃあ、お願い』
「うん」
『私が忘れたら、また教えて!』
「何回でも教える」
その夜も、二人は窓を見た。
窓の向こうには、星の浮かぶ夜空が広がっている。
024はそれを見上げながら尋ねた。
「外の空も、あんな感じ?」
『うん。でも、もっと大きいよ』
「窓より?」
『ずっと大きい。だって外に出たら、窓の端がないから』
024には、それも想像できなかった。
だからこそ、見てみたかった。
「いつか、見られるかな」
『見ようよ』
045が言った。
『二人でここから出て、本物の空を見るの』
「……二人で?」
『うん。海も見よう。街にも行こう。それから──』
「夕焼けも?」
045は笑った。
『夕焼けも』
024も少しだけ笑った。
けれど、ふと首筋に触れる。
指先に「024」の刻印が触れた。
「でも……外に出ても、これがある」
『うん』
「これを見たら、みんな分かっちゃうよ。私たちがここにいたって」
045は少し黙った。
そして、静かに言った。
『もしさ』
「うん?」
『もし誰か一人だけ、外へ出られたら』
024の顔が曇った。
「一人だけなんて嫌だ」
『私だって嫌だよ!』
045はすぐに答えた。
『二人で出たい。みんなで出たい』
そして、ベッドの隙間から手を伸ばした。
『でも……もし、どうしても一人しか出られなかったら』
024はその手を見る。
『その子が、みんなの分まで生きよう』
「……みんなの分まで?」
『うん。海を見て、空を見て、おいしいものをいっぱい食べて』
「それで?」
『いっぱい笑う』
024はしばらく考えてから、その手を握った。
「じゃあ、045が外に出たら?」
『024の分まで見るよ』
「私が出たら?」
『私の分まで見て』
「……分かった」
小さな手と手が、ベッドの間で強く結ばれる。
『でも、やっぱり二人で出よう』
「うん」
『それで一緒に夕焼けを見る』
「約束」
窓の向こうには、満天の星が瞬いていた。