Ⅲ 新しい名前
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身体が回復してからも、村の人たちは私を追い出さなかった。
それどころか。
『暇なら畑、手伝ってくれ』
『こっちもお願い!』
『無理させるんじゃないよ!』
そんなふうに、当たり前のように私を暮らしの中へ入れてくれた。
最初は戸惑った。
何かをしていなければ、ここにいる資格がないような気がした。
だから畑仕事を手伝った。
洗濯物を運んだ。
料理を覚えた。
薪を拾った。
『お姉ちゃん!』
村の子供たちが私の周りに集まってくる。
『遊ぼう!』
「え……でも私、仕事が……」
『後でいいから行っておいで』
大人たちに背中を押される。
子供たちに手を引かれて走る。
最初は遊び方すら分からなかった。
けれど。
いつの間にか、笑っていた。
食事の時間になれば、誰かが呼んでくれる。
『ご飯だよー!』
その声を聞いて家へ戻る。
みんなで同じテーブルを囲む。
今日あった出来事を話す。
誰かが笑えば、みんなが笑う。
そんな毎日が続いた。
不思議だった。
胸の奥にずっと空いていた穴が、少しずつ埋まっていく。
それでも、一つだけ困ったことがあった。
名前だった。
いつまでも「嬢ちゃん」や「お姉ちゃん」では不便だ。
ある日の夕食で、村の老人が言った。
『そろそろ名前が必要じゃないか?』
「……名前……」
胸が少し痛んだ。
『思い出せそうかい?』
私は首を振った。
「……何も」
沈黙。
すると、あのときスープをくれた女性が言った。
『だったら、新しい名前をつければいいじゃないか』
「新しい……?」
『昔の名前を思い出すまでの間だけでもさ』
私は戸惑った。
名前は。
誰かから、もらっていいものなのだろうか。
村人たちはああでもない、こうでもないと言い始めた。
子供たちまで混ざって、好き勝手な名前を叫んでいる。
その光景がおかしくて。
私は小さく笑った。
そして。
誰かが言った。
『──主人公、なんてどうだ?』
その瞬間。
なぜか。
胸の奥に、すっと馴染んだ。
「……主人公」
自分で口にしてみる。
主人公。
もう一度。
「主人公……」
『嫌かい?』
私は首を振った。
「……ううん」
そして、笑った。
「好き」
その日。
名前も過去もなかった私は──。
主人公になった。
───
それからの日々は、穏やかだった。
朝になれば目を覚ます。
「おはよう」と言えば、『おはよう』と返ってくる。
畑へ行けば仕事がある。
失敗すれば笑われる。
子供たちと遊ぶ。
夕方になれば、一緒に帰る。
食卓を囲む。
夜になれば。
『おやすみ、主人公』
そう言ってくれる人がいる。
「……おやすみなさい」
そして翌朝。
また誰かが名前を呼んでくれる。
──主人公。
そのたびに。
私は少しずつ、この世界に存在していいのだと思えるようになった。
過去はない。
家族も思い出せない。
自分がどこから来たのかも分からない。
首には、理由も分からない赤黒いチョーカーがある。
夜になると、ときどき悪夢を見る。
崩れる白い建物。
赤い光。
誰かの叫び声。
そして。
自分を呼ぶ声。
『――024!』
飛び起きる。
「……はぁ……っ……」
何も思い出せない。
胸だけが、どうしようもなく痛い。
そんな夜。
隣の部屋から声がした。
『主人公?』
「……!」
『大丈夫かい?』
私は首元のチョーカーを握りしめた。
少し迷ってから答える。
「……大丈夫」
すると。
『そうかい。何かあったら呼ぶんだよ』
足音が遠ざかっていく。
私はしばらく、暗い部屋の中で動けなかった。
やがて。
「……主人公」
自分の名前を呟いた。
024ではない。
意味の分からない数字ではない。
今の私を呼んでくれる名前。
「私は……主人公」
胸に手を当てる。
過去の自分が誰だったのかは分からない。
それでも。
明日になれば。
畑へ行く。
子供たちが待っている。
夕方になれば、みんなと一緒に帰る。
そして。
「ただいま」
そう言える場所がある。
記憶を失って目覚めてから初めて手に入れたもの。
名前。
人との繋がり。
そして──。
帰る場所。
私は目を閉じた。
この場所がずっと続けばいい。
このときの私は。
心の底から、そう願っていた。
それどころか。
『暇なら畑、手伝ってくれ』
『こっちもお願い!』
『無理させるんじゃないよ!』
そんなふうに、当たり前のように私を暮らしの中へ入れてくれた。
最初は戸惑った。
何かをしていなければ、ここにいる資格がないような気がした。
だから畑仕事を手伝った。
洗濯物を運んだ。
料理を覚えた。
薪を拾った。
『お姉ちゃん!』
村の子供たちが私の周りに集まってくる。
『遊ぼう!』
「え……でも私、仕事が……」
『後でいいから行っておいで』
大人たちに背中を押される。
子供たちに手を引かれて走る。
最初は遊び方すら分からなかった。
けれど。
いつの間にか、笑っていた。
食事の時間になれば、誰かが呼んでくれる。
『ご飯だよー!』
その声を聞いて家へ戻る。
みんなで同じテーブルを囲む。
今日あった出来事を話す。
誰かが笑えば、みんなが笑う。
そんな毎日が続いた。
不思議だった。
胸の奥にずっと空いていた穴が、少しずつ埋まっていく。
それでも、一つだけ困ったことがあった。
名前だった。
いつまでも「嬢ちゃん」や「お姉ちゃん」では不便だ。
ある日の夕食で、村の老人が言った。
『そろそろ名前が必要じゃないか?』
「……名前……」
胸が少し痛んだ。
『思い出せそうかい?』
私は首を振った。
「……何も」
沈黙。
すると、あのときスープをくれた女性が言った。
『だったら、新しい名前をつければいいじゃないか』
「新しい……?」
『昔の名前を思い出すまでの間だけでもさ』
私は戸惑った。
名前は。
誰かから、もらっていいものなのだろうか。
村人たちはああでもない、こうでもないと言い始めた。
子供たちまで混ざって、好き勝手な名前を叫んでいる。
その光景がおかしくて。
私は小さく笑った。
そして。
誰かが言った。
『──主人公、なんてどうだ?』
その瞬間。
なぜか。
胸の奥に、すっと馴染んだ。
「……主人公」
自分で口にしてみる。
主人公。
もう一度。
「主人公……」
『嫌かい?』
私は首を振った。
「……ううん」
そして、笑った。
「好き」
その日。
名前も過去もなかった私は──。
主人公になった。
───
それからの日々は、穏やかだった。
朝になれば目を覚ます。
「おはよう」と言えば、『おはよう』と返ってくる。
畑へ行けば仕事がある。
失敗すれば笑われる。
子供たちと遊ぶ。
夕方になれば、一緒に帰る。
食卓を囲む。
夜になれば。
『おやすみ、主人公』
そう言ってくれる人がいる。
「……おやすみなさい」
そして翌朝。
また誰かが名前を呼んでくれる。
──主人公。
そのたびに。
私は少しずつ、この世界に存在していいのだと思えるようになった。
過去はない。
家族も思い出せない。
自分がどこから来たのかも分からない。
首には、理由も分からない赤黒いチョーカーがある。
夜になると、ときどき悪夢を見る。
崩れる白い建物。
赤い光。
誰かの叫び声。
そして。
自分を呼ぶ声。
『――024!』
飛び起きる。
「……はぁ……っ……」
何も思い出せない。
胸だけが、どうしようもなく痛い。
そんな夜。
隣の部屋から声がした。
『主人公?』
「……!」
『大丈夫かい?』
私は首元のチョーカーを握りしめた。
少し迷ってから答える。
「……大丈夫」
すると。
『そうかい。何かあったら呼ぶんだよ』
足音が遠ざかっていく。
私はしばらく、暗い部屋の中で動けなかった。
やがて。
「……主人公」
自分の名前を呟いた。
024ではない。
意味の分からない数字ではない。
今の私を呼んでくれる名前。
「私は……主人公」
胸に手を当てる。
過去の自分が誰だったのかは分からない。
それでも。
明日になれば。
畑へ行く。
子供たちが待っている。
夕方になれば、みんなと一緒に帰る。
そして。
「ただいま」
そう言える場所がある。
記憶を失って目覚めてから初めて手に入れたもの。
名前。
人との繋がり。
そして──。
帰る場所。
私は目を閉じた。
この場所がずっと続けばいい。
このときの私は。
心の底から、そう願っていた。
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