Ⅰ 白の教会
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白の教会──。
その名の通り、白亜の壁に囲まれたその場所は、身寄りのない子どもたちを受け入れる慈善施設として知られていた。
戦争で親を失った子。
病で家族を亡くした子。
貧しさゆえに手放された子。
そして、生まれて間もなく捨てられた子。
行く場所のない子どもたちに温かな食事と寝床を与え、神の教えのもとで育てる。
白い衣をまとった神父たちは穏やかに微笑み、日曜になれば礼拝堂には多くの信者が集った。
人々はそこを、慈愛に満ちた場所だと信じていた。
──かつては、本当にそうだった。
まだ白の教会が名も知られていない小さな教会だった頃。
後に研究長と呼ばれることになる一人の神父は、行き場のない孤児を引き取り、貧しい者に食事を分け与えながら暮らしていた。
彼は神を信じていた。
祈りによってすべての人間を救えるなどとは思っていなかった。
それでも、苦しむ者の隣にいることはできる。
腹を空かせた子どもにはパンを与えられる。
帰る場所のない子どもには、眠る場所を用意してやれる。
それこそが自分に与えられた役目なのだと、信じていた。
そんな彼が、ある日──奇妙な物質を発見した。
それが何なのか、当時の彼には知る由もなかった。
ただ一つ分かったのは、それが人間の理解を超えた力を持っているということ。
後に、黒の教団によってイノセンスと呼ばれるものだった。
神父は震えた。
奇跡だと思った。
長い間祈り続けてきた自分に、ついに神が応えてくださったのだと。
「これは……神が我々に授けた力だ」
最初は、それだけだった。
その力で人々を救いたかった。
神が本当に存在するのだと、苦しむ者たちに示したかった。
しかし、人の理解を超えた力を目の当たりにすれば、噂が広がるのに時間はかからない。
──白の教会では奇跡が起こる。
──あの神父は、神に選ばれた人間だ。
──あそこへ行けば、神の御業を見ることができる。
一人。
十人。
百人。
礼拝堂を訪れる人間は増え続けた。
やがて小さな礼拝堂では人が収まらなくなり、建物は増築された。
献金が集まり、土地が広がり、さらに多くの孤児を受け入れられるようになった。
神父は喜んだ。
これでもっと多くの人間を救える。
そう思っていた。
──初めのうちは。
いつからだったのだろう。
「神が人々を救うために、この力を授けた」
そう語っていた男が、
「神はこの力を、私に授けた」
と口にするようになったのは。
人々は彼の前に跪いた。
彼の言葉をありがたがった。
彼が右を向けと言えば右を向き、祈れと言えば祈った。
そして皆、同じことを言った。
──神父様は、神に選ばれた御方なのだと。
毎日のようにそう言われ続ければ、いつしか本人も信じ始める。
自分には使命がある。
この力を世に広めなければならない。
より多くの人間を、正しい道へ導かなければならない。
そのためには──。
この力を扱える人間が必要だった。
研究が始まった。
最初は、自ら志願した成人の信者たちだった。
神の力をその身に宿すことができれば、より多くの人々を救うことができる。
皆、そう信じていた。
しかし、誰一人として適合しなかった。
方法を変えた。
それでも駄目だった。
対象を若くした。
それでもイノセンスは応えなかった。
失敗を重ねるほど、神父は焦った。
これほど多くの信者が自分を信じている。
神が自分を選んだというのなら、必ずどこかに答えがあるはずだ。
ならば。
成人で駄目なら、子どもならどうだ。
研究員の一人が反対した。
危険すぎる、と。
神父も最初は躊躇した。
目の前にいるのは、自分が守るために引き取った子どもたちだったから。
けれど──。
一人の犠牲で、千人を救えるとしたら。
千人を救うために、たった一人を危険に晒すことは、本当に悪なのだろうか。
その一歩を踏み越えてしまえば、次は簡単だった。
実験を怖がる子どもがいた。
母親に会いたいと泣く子がいた。
家に帰りたいと暴れる子もいた。
ならば、過去への執着を消せばいい。
恐怖が実験を妨げるのなら、その原因となる記憶を取り除けばいい。
やがて名前さえも不要になった。
名前とは、その子がかつて誰かに愛されていた証だから。
研究に必要なのは、その子が誰だったのかではない。
どの実験を行い、どんな反応を示したのか。
それだけだった。
子どもたちは名前を失い、番号で呼ばれるようになった。
そしていつしか、神父はこう考えるようになっていた。
もしイノセンスに適合する子どもを見つけることができたなら。
その子を神の使いとして人々の前に立たせればいい。
本物の奇跡を見せれば、さらに多くの者が白の教会を信じる。
やがて街が従う。
国が従う。
そして、いつの日か──世界が従う。
それは支配ではない。
神父はそう信じていた。
争いを繰り返す愚かな人間たちに代わり、神の意思を知る自分が導くのだ。
それこそが、世界を救う唯一の方法なのだと。
こうして白の教会は、二つの顔を持つようになった。
地上では、今日も鐘が鳴る。
礼拝堂では信者たちが祈りを捧げ、孤児たちが笑顔で迎え入れられる。
神父は壇上から慈愛に満ちた言葉を語る。
──すべての子どもに、神の愛を。
その足元。
厚い扉と幾重もの階段によって閉ざされた地下では。
子どもの悲鳴が響いていた。
身体に埋め込む。
触れさせる。
体内へ取り込ませる。
拒絶反応。
痙攣。
発熱。
出血。
死亡。
記録。
そして──次。
誰も、適合しなかった。
それでも実験は終わらない。
子どもが一人死ねば、その結果が記録された。
研究長はそれを失敗とは呼ばなかった。
神へ近づくための一歩。
そう呼んだ。
白の教会へ連れてこられた子どもたちは、最初に記憶を消された。
自分の名前。
両親の顔。
生まれ育った場所。
大切だった人。
それらを失った子どもに、研究員は番号を与えた。
その番号だけが、彼らが何者なのかを示すものとなった。
その名の通り、白亜の壁に囲まれたその場所は、身寄りのない子どもたちを受け入れる慈善施設として知られていた。
戦争で親を失った子。
病で家族を亡くした子。
貧しさゆえに手放された子。
そして、生まれて間もなく捨てられた子。
行く場所のない子どもたちに温かな食事と寝床を与え、神の教えのもとで育てる。
白い衣をまとった神父たちは穏やかに微笑み、日曜になれば礼拝堂には多くの信者が集った。
人々はそこを、慈愛に満ちた場所だと信じていた。
──かつては、本当にそうだった。
まだ白の教会が名も知られていない小さな教会だった頃。
後に研究長と呼ばれることになる一人の神父は、行き場のない孤児を引き取り、貧しい者に食事を分け与えながら暮らしていた。
彼は神を信じていた。
祈りによってすべての人間を救えるなどとは思っていなかった。
それでも、苦しむ者の隣にいることはできる。
腹を空かせた子どもにはパンを与えられる。
帰る場所のない子どもには、眠る場所を用意してやれる。
それこそが自分に与えられた役目なのだと、信じていた。
そんな彼が、ある日──奇妙な物質を発見した。
それが何なのか、当時の彼には知る由もなかった。
ただ一つ分かったのは、それが人間の理解を超えた力を持っているということ。
後に、黒の教団によってイノセンスと呼ばれるものだった。
神父は震えた。
奇跡だと思った。
長い間祈り続けてきた自分に、ついに神が応えてくださったのだと。
「これは……神が我々に授けた力だ」
最初は、それだけだった。
その力で人々を救いたかった。
神が本当に存在するのだと、苦しむ者たちに示したかった。
しかし、人の理解を超えた力を目の当たりにすれば、噂が広がるのに時間はかからない。
──白の教会では奇跡が起こる。
──あの神父は、神に選ばれた人間だ。
──あそこへ行けば、神の御業を見ることができる。
一人。
十人。
百人。
礼拝堂を訪れる人間は増え続けた。
やがて小さな礼拝堂では人が収まらなくなり、建物は増築された。
献金が集まり、土地が広がり、さらに多くの孤児を受け入れられるようになった。
神父は喜んだ。
これでもっと多くの人間を救える。
そう思っていた。
──初めのうちは。
いつからだったのだろう。
「神が人々を救うために、この力を授けた」
そう語っていた男が、
「神はこの力を、私に授けた」
と口にするようになったのは。
人々は彼の前に跪いた。
彼の言葉をありがたがった。
彼が右を向けと言えば右を向き、祈れと言えば祈った。
そして皆、同じことを言った。
──神父様は、神に選ばれた御方なのだと。
毎日のようにそう言われ続ければ、いつしか本人も信じ始める。
自分には使命がある。
この力を世に広めなければならない。
より多くの人間を、正しい道へ導かなければならない。
そのためには──。
この力を扱える人間が必要だった。
研究が始まった。
最初は、自ら志願した成人の信者たちだった。
神の力をその身に宿すことができれば、より多くの人々を救うことができる。
皆、そう信じていた。
しかし、誰一人として適合しなかった。
方法を変えた。
それでも駄目だった。
対象を若くした。
それでもイノセンスは応えなかった。
失敗を重ねるほど、神父は焦った。
これほど多くの信者が自分を信じている。
神が自分を選んだというのなら、必ずどこかに答えがあるはずだ。
ならば。
成人で駄目なら、子どもならどうだ。
研究員の一人が反対した。
危険すぎる、と。
神父も最初は躊躇した。
目の前にいるのは、自分が守るために引き取った子どもたちだったから。
けれど──。
一人の犠牲で、千人を救えるとしたら。
千人を救うために、たった一人を危険に晒すことは、本当に悪なのだろうか。
その一歩を踏み越えてしまえば、次は簡単だった。
実験を怖がる子どもがいた。
母親に会いたいと泣く子がいた。
家に帰りたいと暴れる子もいた。
ならば、過去への執着を消せばいい。
恐怖が実験を妨げるのなら、その原因となる記憶を取り除けばいい。
やがて名前さえも不要になった。
名前とは、その子がかつて誰かに愛されていた証だから。
研究に必要なのは、その子が誰だったのかではない。
どの実験を行い、どんな反応を示したのか。
それだけだった。
子どもたちは名前を失い、番号で呼ばれるようになった。
そしていつしか、神父はこう考えるようになっていた。
もしイノセンスに適合する子どもを見つけることができたなら。
その子を神の使いとして人々の前に立たせればいい。
本物の奇跡を見せれば、さらに多くの者が白の教会を信じる。
やがて街が従う。
国が従う。
そして、いつの日か──世界が従う。
それは支配ではない。
神父はそう信じていた。
争いを繰り返す愚かな人間たちに代わり、神の意思を知る自分が導くのだ。
それこそが、世界を救う唯一の方法なのだと。
こうして白の教会は、二つの顔を持つようになった。
地上では、今日も鐘が鳴る。
礼拝堂では信者たちが祈りを捧げ、孤児たちが笑顔で迎え入れられる。
神父は壇上から慈愛に満ちた言葉を語る。
──すべての子どもに、神の愛を。
その足元。
厚い扉と幾重もの階段によって閉ざされた地下では。
子どもの悲鳴が響いていた。
身体に埋め込む。
触れさせる。
体内へ取り込ませる。
拒絶反応。
痙攣。
発熱。
出血。
死亡。
記録。
そして──次。
誰も、適合しなかった。
それでも実験は終わらない。
子どもが一人死ねば、その結果が記録された。
研究長はそれを失敗とは呼ばなかった。
神へ近づくための一歩。
そう呼んだ。
白の教会へ連れてこられた子どもたちは、最初に記憶を消された。
自分の名前。
両親の顔。
生まれ育った場所。
大切だった人。
それらを失った子どもに、研究員は番号を与えた。
その番号だけが、彼らが何者なのかを示すものとなった。
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