小話詰め合わせ

「やあ、また会ったね。」
「あんたもよく言うな。」

 にこにこと笑ってそう言ってくる友人に返したのは、同意ではなく呆れだった。
 何しろ朝から数えてもう七回鉢合わせている。それも決まって後からやって来るのだ。態とだと思っても自意識過剰とは言わないだろう。だがそれを言う度に曖昧に笑って誤魔化されているのが妙に気になる。何を仕込んでいるのやら。

「で、こんなところでどうしたんだい?今日の主役は君じゃないか、春夫。」

 それは知っている。弟子達の祝福に囲まれて朝を迎えたのだ。それに会う人会う人が祝いの言葉をかけてくれる。だからこそわからないのだ。明らかに芥川一人がそわそわとしている、その理由が。
 くわえた煙草に擦った燐火を近づけて、芥川にも差し出す。いつもなら同じようにくわえて受ける火を、今日は煙草自体出さなかった。その火種を掌で押し退けて「あつ、」と零す。当たり前だろう。矢っ張りどこか上の空だ。

「言いたいことでもあるのか?」
「うーん、お誕生日おめでとう?」
「それはさっき司書室で聞いた。」
「えぇ…。」

 嫌そうに目を背けるものだ。別に言いたくないのならいい。来るもの拒まず去るもの追わず、が佐藤の精神だ。それになにも当たっているとは限らない。正直視界の端どころか中心をうろつかれるのは気になって仕方がない。が、ただそれだけだけと言えばそれまでか。
 思考を一度止めて瞼を下ろす。紫煙を吐き出せば幾許か心も落ち着いた。
 芥川は、生前から大事なことは口に出さない男だった。本音を垣間見せたのすら最晩年の一夜だけだ。そんな芥川に苛立つこともあった。谷崎に言わせればそれは佐藤が偏屈な田舎者であるその一点こそが悪いのだそうだが、芥川を責める気持ちがあるのも許してほしい。
 そうやって大事なことを言わなかったから、お前は。否、俺はお前を。

「取り敢えず、来ればわかると思うよ。」
「え。」

 すたすたと歩いて行ってしまう背中が消える前に、まだ長い煙草を灰皿に押し付けて追いかける。上へ上へと階段を進む足取りは何時もより急いているようだ。声音は普段通り、怒りも喜びも感じられない。立ち止まり前にした扉も、他の部屋と変わらない重厚な樫のそれだった。芥川はその扉を両の手で押し開いていく。

「っ、」

 差し込む陽光が、暗い灯に慣れた目を刺した。そうして目の前に広がったのは、

「海か……綺麗だな。」

 天の群青と混じる夕の橙、図書館の影が落ちた水面は揺らめいていた。ときおり強く吹き込む風は芥川の不思議な髪を靡かせ、潮の香りを運ぶ。何処かに海鳥でもいるのだろうか。鳴き声が耳を擽っていく。

「春夫。誕生日おめでとう。」
「それはさっき聞いた。」
「えぇ…。」

 意地悪くそう返せば、先程と同じ声が洩れてきた。違うのは一点。困ったなあという顔を浮かべながらも口元のにやけがいなくならないところだ。そう、そんな顔を見せてほしかったのだ。

「好きだよ。」

 また強く、風が吹いた。限りなく拡がる海が、それを背にしたこいびとが、あんまり綺麗で目頭が熱くなった。
1/1ページ
    スキ